魔術師も電気羊には触れない(9)
人型。男の発した唐突な一言にフィリップは驚いていた。驚きをそのまま表情に出しながら、男の言葉に何を言えばいいのかと考え始める。フィリップには男がどうして人型と言い出したのか分からなかった。
「返答がないから聞くけど、僕が何でこの店に入ってきたと思う?」
「それは…」
評判を聞きつけたか、看板や外装を見て入ってきたのかと言おうとしたが、さっきテーブルについた男がそこでここはカフェかと聞いてきたことを思い出し、言葉に詰まった。
あれは分からずに取り敢えず入ってきたという風だった。カフェかどうかくらいは外から見ただけでも分かるはずだ。それが分からないということは本当に適当に建物に入ったことになる。
「君が思っている通りだよ。僕は適当に入ってきたんだ。もっと正確に言うと、ここに入ることが目的じゃなくて、この中に目的があると思ったんだよ」
「目的、ですか…?」
「そう。羊をね。探していたんだ」
「羊…?」
男の要点を回避するような回りくどい話し方に、フィリップは眉を顰めていた。男が何を言いたいのかフィリップには全く分からない。
「そう。羊がね。急に見つかったんだよ。あれは状況におかしいと思ったんだ。だって、そこに羊がいたら、植物が見つかった段階で見つけているはずだから。そうならなかったということはその後に、あの場所に騒ぎになる量の羊が移動してきたということになる。だけど、それは考えづらい」
「何を言っているんですか?」
「だから多分、誰かが連れてきたんだろうなって思ったんだよ。例えば人型とか、そういう誰かが連れてきたんだろうなって。まあ、大体人型なんだろうなって思ってたんだけど。それで街中で羊と関わっていそうな人を探すことにしたんだ。そうしたら、見つけたのが君」
「いや、私は羊と関わってなどいませんけど?」
「ああ、うん。さっきも聞いたけど、そう言ってたね。だから、僕は君が人型だよねって聞いたんだよ」
「どういう意味ですか?」
「ああ、そうか。君は…というよりも、普通の人は気づかないのか…」
納得したように小さく男が呟いた直後、男は自分の鼻を押さえながら、フィリップの顔を見上げてきた。
「君、獣臭いよ。それも外にまで臭うくらい」
フィリップは軽く鼻を動かしてみる。だが、男の言っている獣臭さは微塵も感じない。男がどうして臭いを指摘してくるのか意味が分からなかったが、男はその指摘に自信があるようで、一切態度を崩さない。
「きっとここにいるんだなって外を歩いていたら、すぐに分かったよ。もう一度、確認するけど、ここはカフェで君しか店員がいないんだよね?」
男の問いにフィリップは小さく頷いた。男はその仕草を見て満足したようで、小さく口角を上げている。
「なら、君だね。君以外にいないね」
自信満々に言いながら、男は立ち上がっていた。その姿を見ながら、フィリップは男の言ってきたことを考えてみるが、未だに男が何を言っているのか理解できない。
獣臭い。男はそう表現していたが、カフェという空間に於いて、不快に感じる臭いは大敵だ。フィリップはその部分をとても気をつけていたし、何か不快な臭いが漂っていることはないはずだ。事実、フィリップには何も臭わないし、男の前に入ってきた客も何も言っていなかった。
それなのに男は自信を持って、獣臭いと言ってきた。犬のような鼻でも持っていたら違うのかもしれないが、人間ではまずあり得ないことだ。
そして、男はそのことを理由にフィリップを人型と断定してきた。そこまでの一連の流れを思い出してみるが、フィリップには男の行動が全く理解できなかった。
だって、フィリップを人型と思ったのなら、言わずに不意を突けばいい。フィリップが人型だと思ったのなら、今すぐ拘束したらいい。
それをしてこない男に困惑しながら、フィリップは男の顔色をもう一度窺った。男は確信している。それが分かったのなら、フィリップに取れる行動は一つしかない。
男を始末するしかない。
男の手がフィリップに伸びてきた瞬間、フィリップは反射的に手を振っていた。左手で男を軽く扇ぐような手の動き。その軌道に合わせて、一瞬の閃光が視界を支配する。
次の瞬間、男のいる場所を通過しながら、列車のように太い雷が外に向かって伸びていった。
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