魔術師も電気羊には触れない(2)

 仕事は円滑に進んだ、と言ったら、良かったことのように聞こえるのだが、フェンスは満足いかない様子で項垂れていた。そのフェンスを戸惑った顔で見るピンクやドッグの前に、紅茶の入ったティーカップが並べられる。


「はい、どうぞ」


 最後のティーカップを置くと同時に、店員がそう言ってきた。三人が仕事終わりにやってきたカフェの店員で、それはピンクの学校の友人でもあるタイム・ツイルだ。フェンスが置かれたティーカップとツイルを見比べながら、今度は大きな溜め息を吐く。


「折角なら、可愛い女の子の店員が良かったな」

「可愛くない男の店員で悪かったな」


 ツイルが顔を歪めながら、フェンスを睨みつけていた。面倒なことになる前に、ピンクが慌ててツイルを宥めようとする。


 しかし、フェンスはそのことを知っているのか、気づいていないのか、ピンクの努力を無下にするように、このカフェの店員の一人に聞いていた。


「リックさん。どうして、このカフェは可愛い女の子がいないんですか?」


 その質問を受けたリック・フィリップは困ったように笑っていた。フェンスの質問にどう答えたらいいのか迷っているところに、追い打ちのようにフェンスが更に聞いていく。


「もっと可愛い女の子がいたら、この店も人気が出るのに。このままだと潰れますよ」

「ちょっとそこまでにしようか…」


 流石に問題だと思ったのか、ドッグがフェンスの腕を掴んだ。仙気をまとった右腕で思いっ切り握り始め、手首を襲ったと思われる激痛にフェンスは顔を歪めている。


「この馬鹿は黙らせるので、何も気にしないでください」


 ドッグは柔和な笑顔でフィリップにそう告げていたが、その隣ではフェンスが涙や汗でぐちゃぐちゃになった顔で、必死にドッグの身体を叩いていた。その様子を当人達以外で唯一理解していたピンクが青褪めた顔でドッグを見た。

 ドッグを怒らせると怖い。以前から分かっていたことだが、フェンスは忘れていたのだろうかとピンクは思う。


「つーか、オータムは何をガッカリしてたんだよ?ついに勉強についていけなくなったのか?」

「ついにって何だよ?それにもうとっくについていけてねぇーよ!」

「ダメじゃん…」

「そうじゃなくて、今日も何事もなく、仕事が終わったんだよ。何事もなく」


 フェンスは仕事がないように言っているが、別に仕事がないわけではない。そのことをツイルも分かったようで、フェンスが何に項垂れていたのか分からず、首を傾げていた。


「いいことじゃないのか?」

「違う!俺はもっと大きな仕事をしたいんだよ!細々とした小さな作業の繰り返しはもう飽き飽きなんだよ」


 そう言ったフェンスがピンクやドッグと一緒に行った今日の仕事は、施設に保護された野良犬に妖怪が交ざっていないかどうかの調査だった。前回チェックした日から本日までに保護された野良犬を見て回り、その中に妖気を持った犬がいないかどうかをチェックする。三人でやれば一時間もかからない作業だ。

 どうやら、それがフェンスは嫌だったらしい。


「もっとこう…大きな功績を立てたいんだよ!」

「建築の話?」

「物理的に建てるわけじゃねぇーよ」


 全く理解していない様子のツイルに見切りをつけ、フェンスがフィリップに目を向けた。この段階でピンクは嫌な予感がしていたが、フェンスはピンクが忠告するよりも先に、フィリップに話しかけ始めてしまう。


「リックさんもそう思うだろう?こんな小さな場末のカフェでいつまでも働くんじゃなくて、いつかはもっと大きな仕事をしてみた…」


 ドッグの拳がフェンスの後頭部に突き刺さり、フェンスはテーブルに伏した。苦笑いするフィリップにドッグが笑顔を崩すことなく、無言で頭を下げている。

 馬鹿だ。フェンスにそう思いながら、ピンクはテーブルから避難させていたティーカップを口につけた。


「そういう馬鹿なことを言っていないで、一つ一つ仕事を積み重ねることが大事だから。特に今はも来ていることだし」

「お客様?」


 フェンスを窘めるように言ったドッグの言葉にツイルが首を傾げていた。


「そう。仕事先の偉い人が最近、海外から来ているんだよ。その人に悪いところを見せたら、最悪クビになったりして」

「え…?マジで…?」


 フェンスが顔を起こしながら、衝撃の事実を聞いたようにドッグを見ていた。それはもちろん、ドッグの脅しであり、実際のところはそこまで何かあるわけではないとピンクは知っていたが、このフェンスが落ちつくのなら、言わないでおこうと思い、黙って紅茶を啜った。その間にドッグの頷きを見たフェンスが青褪め、何故かピンクのことを見てくる。


「大丈夫か…?お前の最近の遅刻、悪いポイントだぞ…?」


 その本気で心配した様子の一言にピンクは紅茶を吹き出しそうになった。まさか、自分の方を心配されていたとは思わなかったと思い、ピンクは返答に困ってしまった。そのことに気づいたのか、ドッグは笑っている。


「……心配してくれてありがとう」


 取り敢えず、ピンクは礼を口に出し、紅茶を啜ることにした。フェンスが落ちつくのなら、嘘も必要だから、この不名誉な可能性は甘んじて受けよう。


 そう思うことにしたピンクはこの時、知らなかった。

 この数日後にフェンスが待ち望んでいた大きな仕事が舞い込んでくることを。

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