魔術師も電気羊には触れない(1)

 ミラー・ピンクが到着した段階で、図書館には待ち合わせ相手が到着していた。呼吸を整えるよりも先に頭を下げ、「遅れてごめん」とピンクが謝ると、オータム・フェンスが呆れた顔で見てくる。


「お前、また遅刻かよ…」


 フェンスの苦言の通り、ピンクは最近、遅れることが増えていた。それはピンクだけの理由ではないのだが、遅刻したこと自体の悪さもあって、ピンクは申し訳なさで一杯になる。


「まだミラーの学校は忙しいの?」


 ブルー・ドッグがフェンスとは対照的に心配した様子で聞いてきた。眼鏡の奥に見えるドッグの優しい眼差しに、ピンクは何と答えたらいいのか困ってしまう。


「いや、今日は違ってて、お姉ちゃんに呼ばれちゃって」


 端的に言えば荷物運びをさせられたのだが、仕事があるからと何とか説得し、今日のところは見逃してもらった形だった。その説明を聞いたフェンスが何を思ったのか、さっきまでの呆れとは違った明らかに怒りの籠った目を向けてくる。


「何だよ!?お前、羨ましいな!?」

「今の話で!?」


 フェンスはピンクの姉に対して、そこはかとない恋心なのか、思春期特有の年上女性に対する憧れなのか分からないが、そういった気持ちがあるようで、ピンクが姉の話をする度に、このような態度を取ることが多かった。


「そうかな?僕はやっぱり、弟が欲しかったよ、ブルーみたいに。同性の兄弟の方がもっと楽だよ」


 ピンクからすると、たまに意味の分からないことを言ってくる姉、チェリー・ピンクの姿を思い出し、懲り懲りした態度でそう呟く。その一言に苦笑を浮かべるのは、フェンスではなく、ドッグの方だった。どうやら、弟が羨ましいと言ったことに思うところがあったらしい。


「それはミラーに弟がいないからだよ。隣の芝生は青いって言うだろう?」

「ブルーがその表現をするとややこしいんだよな」


 フェンスが苦言を呈したところで、三人のいたテーブルの近くに人が立っていることに気づいた。見てみると、三人が集まった図書館で司書をやっているヒアラー・プレアデスが怒った表情で立っている。普段は温厚な老爺という風貌のプレアデスがそこまで怖い表情をしていることに三人は思わず息を呑む。


「ここは図書館だよ?静かに頼めるかい?」

『……ごめんなさい』


 三人が声を揃えて謝ると、プレアデスは満足したのか、表情をすっと柔らかいものに変えていた。


「それで三人は行かなくていいのかい?」


 そう聞かれて、自分達が話し込んでいたことに三人は気づく。プレアデスに礼を言って、三人は元からの目的地である図書館の奥に移動する。その周囲に人がいないことを確認してから、本棚に置かれた本を順番に奥に押し込んでいく。三人で手分けして、合計七冊の本を押し込んだ瞬間、その本棚がゆっくりと右に移動し始めた。

 やがて、その本棚が移動を終えると、その奥にあった扉が姿を現した。その扉にはドアノブに該当するものが一切なく、代わりに手の形をした凹みが中央に存在している。その凹みに代表して、フェンスが手を当てた瞬間、その扉がゆっくりと下に入っていく。


 その奥には地下へと続く階段が伸びていた。ピンク達三人が階段を下りていくと、その奥には一基のエレベーターがあり、三人はそこに乗り込んでいく。そのエレベーターにあったボタンを押すと、エレベーターが閉まり、エレベーターが上下に動き出す代わりに、三人の後ろにあったはずの壁がなくなり、そこは木目調の廊下が広がっていた。


「急ぐぞ」


 フェンスの声に賛同するようにうなずき、三人はその廊下を走り出した。迷路のように広い廊下を走り、途中ですれ違う人達に謝りながら、三人は英語で会議室と書かれた一つの部屋に飛び込む。

 そこで一人の女性が待っていた。ピクシーカットが特徴的な黒人女性で、飛び込んできた三人を苛立った表情で見ていた。


「三人とも遅い!何してたの!?」

『……ごめんなさい』


 ピンクが遅れていたところもあったが、その後に話し込んでしまったのは三人の責任だ。言い訳の一つもできない三人の様子を見て、会議室で待っていたミーナ・フェザーは溜め息をついていた。


「仕事だから、遅刻はないように」

「分かってます」

「次から気をつけます」

「なら、いいけど」


 納得したのか、諦めることにしたのか、フェザーが空気を変えるように呟いたところで、フェンスが疑問に思っていたのか口を開く。


「ところで今日の仕事って?」

「まあ、取り敢えず、移動するから、ついてきて」


 そのフェザーの一言から、本日のピンク達の仕事が始まった。三人はこの後、フェザーの案内で奇隠C支部を後にすることになる。

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