群狼は静かに牙を剥く(7)

「退院おめでとう!」


 高らかにグラスを掲げながら、盛大に叫ぶ勢いだけ残しつつ、それなりに静かな声で美藤びとうしずくが呟いた。浅河あさかわ仁海ひとみ皐月さつき凛子りんこがそれに続き、有間の持つグラスに自分のグラスをぶつけながら、「おめでとう」と呟いている。


「あぁ…ありがとう…」


 戸惑った様子ながらも、有間は手に持っていたグラスに口をつけ、そのグラスに入った水を一口飲んだ。


「というか、早くない?」


 有間の疑問は尤もだった。店内に入ってきて、四人が席についた後、店員が運んできた水の入ったグラスを有間が手に持った直後が今だった。普通は飲み物くらい頼んでからやることであり、水で乾杯は聞いたことがない。


「そもそも、何でここなの?」


 そう言いながら、有間は店内を見回す。美藤達高校生三人が住む場所の近くにあるファミリーレストラン。そこが今、四人のいる場所だった。


「ほら、ファミレスくらいの値段じゃないと」

「いや、そういうことじゃなくて…」


 そもそも、有間は外食が苦手であり、そのことを三人は知っているはずだ。退院祝いをすると言い出した時はどこでするのかと不安だったが、その先がこのファミリーレストランだと知り、有間は正直帰りたい欲に包まれている。せっかく家に帰れるようになったのだから、少しでも長く家にいたい。その気持ちが強かった。


「大丈夫だから、沙雪ちゃん。お代はちゃんと私達も払うから」

「も?え?私も払うの?」


 浅河の一言に困惑した有間が呟くと、有間の目の前で美藤が楽しそうに笑う。来たくもなかったファミリーレストランに無理矢理連れてこられた上に、代金まで支払わされるのかと思ったら、有間の気持ちは更に重くなった。


「大丈夫、大丈夫。仁海ちゃんの冗談だから。ここはちゃんと三人で分けるよ。そのためのファミレスだもん」


 美藤の言葉に浅河はうなずき、皐月はピースサインを作っている。その言葉に安心する一方で、別に自分の家でも良かったのに、という気持ちを有間は消せずにいた。


 しかし、三人に退院を祝われることが嫌なのかと聞かれると、別にそういうことではなかった。三人は頻繁に見舞いに訪れてくれたため、逢うこと自体が久しぶりというわけではないが、食事に行くなどのプライベートの付き合いは久しぶりだ。そういった場面がまた作れたこと自体は有間も嬉しかった。


「さあ、何頼む?」

「沙雪ちゃんって何でも食べられるの?」

「いや、まだあんまり…」

「なら、お子様プレートだね」

「このハンバーグが乗ってる奴にしよう」

「お子様なら行けるって言ってないよ?ハンバーグがダメなんだよ?」

「せっかくの奢りなのに?ほら、お酒とか飲んでもいいよ」

「私、飲めないよ?普段から飲まないよ?」


 美藤達三人がメニューを眺めながら、好き勝手にオーダーを決めていく。有間はそれが何とか奇抜な方向に進まないように止めながら、自分が食べられそうなものも注文できていた。


 その中で不意に皐月がよそ見をしていることに有間は気づいた。近くのテーブル席をじっと見つめているようで、その視線の意味が気になる。


「凛子ちゃん?どうしたの?」

「ううん。見られてた気がしただけ」


 皐月の言葉が気になり、有間も皐月の見ていたテーブル席に目を向けてみる。肩ほどの長さの茶色い髪に丸眼鏡、スーツを着た女性と、葉様はざま涼介りょうすけを思い出させる目つきの鋭さを持った男性が向かい合って座っている。そのどちらも見覚えがなく、少なくとも有間の知り合いではない。

 見られていたとしたら、一体誰なのだろうかと有間が考え始めた時、美藤が呼び出しボタンを押していたようで、店員が席までやってきた。


「ご注文はお決まりでしょうか?」


 定型文のような台詞を吐いて、店員が美藤からオーダーを聞いている。有間がそのオーダーで変なものを頼まれないように気をつけていた間に、皐月が見られていると感じた席の客は帰ってしまったようで、気づいた時には別の客が座っていた。


 やはり、ただの気のせいだったのか。そう思った直後、有間は運ばれてきたお子様プレートを見て絶望するのだった。

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