群狼は静かに牙を剥く(4)

 中央室のいつもの席に座り、鬼山はどんよりとした重苦しい雰囲気をまとっていた。ラウド・ディールの来日以降、ディールに取られ続けていた席だが、当のディールが亜麻あま理々りりを最後にして、一切人型ヒトガタとの接触がなくなったことに退屈し、部屋に籠ってしまったことで、無事に席を取り返すことができていた。もちろん、それ以降も巨大な蜘蛛の存在に、土田つちだという謎の男の情報もあったが、人型の所在が分かるまでディールは動く気がないらしい。

 要するに、ディールは美味しいところだけが欲しくて、それ以外の雑務には興味がないのだ。


 そのことに対する腹立たしさはあったが、問題の鬼山の重苦しさの原因はそこではなかった。時に頭の重たさに耐えかねたように、手で頭を押さえる鬼山の姿を見て、飛鳥あすか静夏しずかが心配した様子で聞いてくる。


「どうしました?風邪ですか?ネギを喉に刺しますか?」

「いや、死ぬから。せめて、巻いてくれ」

「括る派ですか?」

「あれ?心配なフリして殺意出してる?普段から、殺したいって思ってた?」


 真顔で聞いてきた飛鳥がどれほど本気かは分からなかったが、その発言が鬼山の気持ちをうまく紛らわせてくれて、少しだけ重苦しさが緩和されていた。そのことに鬼山が礼を言いかけたところで、遮るように白瀬しらせ按司あんじが声をかけてきた。


「すみません、支部長。少しこれを見てもらえますか?」

「どうしたんだ?」


 自分の前に置かれたモニターを指差す白瀬に呼ばれるまま、鬼山が白瀬の隣に移動し、そのモニターを覗き込む。モニターには土田を見つけた時と同じ空港の映像が映し出されている。


「例の土田という男を捜索していたところなのですが、ここ分かりますか?」


 そう言いながら、空港の人混みの中を白瀬は指差した。そこには一人の女の姿が映っていた。背中の中ほどまで伸びた金色の髪を靡かせ、隣にいる男に案内されるように人混みの中を歩いている。


 その姿に鬼山は首を傾げたが、どこか見覚えはあった。ただ見るからに外国人と思しき女性と逢ったら、そう簡単に忘れるものでもない。恐らく、対面せずに何かで見たのだろうと思うのだが、それがどこで見たもので、その女性が誰だったのか鬼山は思い出せずにいた。

 すると、鬼山と同じようにモニターを覗き込んできた飛鳥が小さく呟く声が聞こえた。


「シェリー・アドラー…」

「シェリー・アドラー…?そうか!?あのアドラーか!?!?」


 かつてアメリカにはR支部と呼ばれる奇隠の支部が存在していた。それが過去形になってしまったのは二年前のこと。一人の仙人の反乱により、その支部にいた仙人が全て殺されてしまったからだ。Q支部にいる水月みなづき悠花ゆうかもこの一件で両親を亡くしており、そのことから、この出来事を知っている日本の仙人も多い。


 ただし、そのR支部にいた仙人の中で、犯人である11番目の男ジャックを除き、唯一生存が明らかになっていないがいた。他の場所で殺されているとか、死体の判別が正常に行われなかっただけで殺害されていたとか、どちらにしても、既に死んでいると言われていた仙人だ。


 それがだった。


「あのアドラーが生存していただけでも驚きですが、問題は日本にやってきているという点です」

「そうか。アドラーが生存していたということは11番目の男と繋がっている可能性が高い。そうなると、11番目の男が日本に来ている可能性も生まれてくる」

「どうしますか?」

「Q支部に所属する全仙人にアドラー来日の情報を伝えろ。アドラーを捕まえ、11番目の男の居場所を吐かせる。それから…」


 鬼山がモニターを指差した。アドラーの隣でアドラーを案内している様子の男を示している。


「この日本人の男。こいつも探してくれ。アドラーが日本に来るために、この男が手引きした可能性が高い」

「分かりました」


 白瀬に指示を出し、再び自らの席についた鬼山は重苦しい溜め息を吐いた。既に頭を悩ませる問題を抱えていたのだが、そこにアドラーという別の問題も乗っかってしまった。アドラーが生存していた以上、11番目の男の協力者である可能性が高く、その確保は人型の調査に並ぶ重大事項になる。そのための動きも考えないといけない。


 しかし、鬼山は一つ重要な疑問に気がついていた。アドラーが11番目の男の協力者である場合、日本にやってきた理由は一体何なのだろうか。見つかる可能性を考慮しても、動くだけの理由がそこにないと日本にやってこないはずだ。少なくとも、観光のように簡単な理由ではないはずだが、鬼山にその理由は思いつかない。

 そうして考え込んでいると、再び頭の重さを感じてきた。鬼山は立ち上がり、隣にいた飛鳥に声をかける。


「悪いが、一度部屋に戻る」

「はい、分かりました。後でネギを届けます」

「いや、それはいいから。大丈夫」


 中央室を後にし、Q支部内にある自室に戻った鬼山が、テーブルの上に無造作に置かれた一枚の紙に目を落とし、再び頭の重さを感じていた。


 その紙を受け取ったのは、中央室に顔を出し、アドラーのことを聞く前のことだ。珍しく、鬼山の部屋を直接訪ねてくる人物があった。

 それが万屋よろずや時宗ときむねだった。鬼山の部屋を直接訪ねてくるだけでも珍しいのに、その人物が万屋だったことに鬼山は更に驚きながらも、万屋を部屋の中に招き入れた。


「巨大な蜘蛛の件か?」


 幸善と相亀が倒した巨大な蜘蛛。その正体の調査にも、万屋は関わってもらっていたので、鬼山はそのことだと思ったのだが、万屋はかぶりを振った。


「そちらは後でまとめて報告を出します。今日来たのは、これが本部から送られてきたので、本人に渡す前に支部長に結果を把握しておいてもらいたくて」


 そう言って万屋が差し出してきたのは、仙人になる前の幸善が行った気の検査の結果だった。妖怪の声が聞こえる秘密の解明のために、何か分かればいいと思った万屋が行った検査だったが、その結果がようやく本部から送られてきたらしい。


 そして、問題はその結果にあった。


「これは…?」

「それ以上の返答がなく、詳細は分かりませんが、そのような嘘を本部がつくとも思いません。ただ本人に伝えるとなると、少し慎重にならないといけない話かもしれませんので、その辺りは支部長の判断にお任せします」

「確かに、これは簡単に伝えていいものか悩むな」


 万屋とのそのやり取りを思い出しながら、鬼山はテーブルの上に置かれた幸善の検査結果が書かれた紙を手に取った。その内容は少し経った今も、当たり前のことだが変わっていない。


「さて、どうするべきか…」


 鬼山の重たい頭は重たさを失うことなく、鬼山の気持ちを暗くしていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る