群狼は静かに牙を剥く(1)

 頼堂らいどう幸善ゆきよしは過去最高に機嫌が悪かった。軽く触れただけで、周囲に怪我をさせそうなほどに刺々しい雰囲気をまとい、登校した学校の廊下を歩いていく。


 機嫌の悪さの原因は前日にあった。謎の巨大な蜘蛛を倒した直後のことだ。相亀あいがめ弦次げんじが声をかけようとした被害者男性が突如逃げ出したのだ。その男を追いかけるまでの過程で、相亀と少し小競り合いはあったが、そのことはどうでも良くて、問題はその男を追いかけ始めた後だった。


 幸善は謎の幸運を発揮する男に追いつくことができず、ついに見失ってしまったのだが、まだ近くにいるはずだと思い、探そうとしたところで久世くぜ界人かいとと遭遇した。問題はここだった。

 久世と逢ったことで時間をロスしてしまったと思い、急いで捜索を再開しようとした幸善が、久世に誰か来なかったと聞いたことで、男の逃走ルートを絞ったのだが、その先で男を見つけることができなかったのだ。


 結局、諸々の目撃者である男の記憶を改竄できなかった上に、もう一人いた女性を見張っていたはずの相亀も、その女性を逃がしてしまったことで、二人は鬼山きやま泰羅たいらの大目玉を食うことになった。


 確かに男を逃がしてしまった幸善にも非はあるが、気を失っていたはずの女性を逃した相亀のミスは防げたはずのミスだ。その上、男と逃げる途中に逢った久世の証言を聞いた先で、男を見つけられなかったことから、幸善は面白半分で久世が嘘をついた可能性を疑っている。


 あの久世ならあり得る。幸善の気持ちを考えずに適当な嘘をついた可能性が十二分にある。そう思ったら、幸善は行き場のない憤りを感じてしまっていた。


 毬栗か海栗かと思うほどに刺々しさをまとった幸善が、いつもの朝の教室に入っていくと、その機嫌の悪さの一端を担っている人物が、ヘラヘラとした笑顔で立っていた。


「おはよう」

「よう、久世」

「あれ?何か怒ってる?」

「別に怒ってねぇーよ」


 久世由来の機嫌の悪さはあるが、あくまで幸善の勘違いであり、男が見つからなかったのは偶然の可能性もある。久世に直接的に怒ることはできず、幸善は機嫌の悪さを何とか静めようとしながら、席につこうとした。


 その寸前、


「そういえば、昨日はどうなったの?探してた人は見つかった?」


 座りかけた幸善に向かって、久世が放った一言を聞くなり、幸善はつい反射的に睨むような視線を向けてしまっていた。思わぬ視線に晒されたからか、久世は戸惑った顔を見せている。


「見つからなかったみたいだね…」

「まあな」

「どうしたの?どうして、誰かを追いかけていたの?」

「それは…」


 巨大な蜘蛛とか諸々を目撃したから、と言いそうになったが、それらの説明をすることは即ち、久世の記憶を改竄する必要に繋がる。正直に説明することはできない以上、うまく誤魔化して言わないといけないが、機嫌の悪さもあってか、幸善の頭は咄嗟に働いてくれない。


「その…アルバイト先の…あの…重要な情報を見て…そのことをあまり外で言わないようにお願いしようと思って…」


 大きな嘘はついていないが、本当のことも言っていない上に、全体的に少し怪しい。そういった具合の説明になってしまい、幸善は自分の説明の下手さを呪った。


「何?犯罪?」

「違う!?それは断じて違う!?機密情報的なアレだよ」


 アレとは何だと言っている本人が言いたくなったが、久世はその説明で納得してくれたのか、考えるように頭を掻いていた。

 何だと思いながら、幸善が久世を見ていると、その視線に気づいた久世がどこか困ったように笑いかけてくる。


「何だよ?」

「ちょっと君に謝らないといけないことがあるんだけど」

「謝らないといけないこと?」


 既に幸善は嫌な予感がしていた。この先を聞いてはいけないと、頭の血管が警告を出してくる。


「実は昨日、君が追いかけていた人を匿ったんだよ」

「はあ!?やっぱり、お前が関係していたのか!?」


 幸善の叫び声が教室中に響き渡り、クラスメイトの怪訝そうな視線が幸善に集まる。その中には東雲しののめ美子みこ我妻あづまけいの視線も交ざっており、特に東雲は心配そうな様子で今にも声をかけてきそうだった。


「な、何でもない。何でもないから。気にしないでくれ」


 クラスメイト全員、特に東雲に言いながら、幸善は膨れ上がった怒りを何とか静める。その様子を当の久世は少し引いた様子で見ている。


「それで…何だよ?匿ったって?」

「いや、何か追われている風だったから、借金取りにでも追われてるのかなって思って」

「いや、でも俺と逢った時点で、借金取りじゃないって分かっただろうが…!?」

「君が借金取りのバイトでも始めた可能性があったから」

「んなわけあるか!?」


 再び訪れた幸善の叫び声によって、教室中の視線が再び幸善に集まってしまった。幸善は深呼吸を重ね、何とか気持ちを落ちつけながら、今度も何もないという風にアピールする。


「ごめんね。どうやら、勘違いだったみたいで」

「こっちからすると、深刻な勘違いだったがな…!!」

「もしかして、あの人が誰か分からないの?」

「分かってたら、あそこまで真剣に追いかけないだろうが」

「ああ、そうだよね。俺も名前は聞かなかったな。名前は聞かれたけど」


 ぽつりと零した久世の一言が気になり、幸善は首を傾げた。


「名前を聞かれたのか?」

「うん、そうだよ。君と知り合いなのか聞かれて、その後に質問があるって言ってきて、それで名前とか、どこの学校に通っているのかとか聞かれたね」

「ちょっと待て。それでお前は答えたのか?」

「まあ、普通に」

「いや、知らない人に情報を教えない!!」


 久世の防犯意識の低さに頭を抱えながら、幸善は不意に何かを思い出しそうになった。ただ具体的に思い出すところまでは行かず、その何かが分からないまま、気持ち悪さだけが残る。今の話と繋がりそうな重大な話を幸善は知っているはずだが、それがうまく引っ張り出せない。


 一体何だったかと幸善が首を傾げたところを狙ったように、チャイムが学校中に響き渡った。自由にできる時間は終わり、自分の席に戻っていく久世を見て、幸善も席に座る。

 結局、思い出しそうになった何かは思い出せないまま、授業が始まるのだった。

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