蜘蛛の糸に秘密は吊られる(12)
巨大な蜘蛛を目撃した直後、浦見は蜘蛛の放った糸に襲われていた。糸は凄まじい粘着力を有しており、叫び声を上げながら、思わず尻餅を突いた浦見の足に絡まった瞬間、地面の一部になったのかと錯覚するほどにしっかりと、浦見の足を地面に固定する。
巨大な蜘蛛を頭上に仰ぎ、このままだと捕食されると危機を感じた浦見が、足に絡まった糸を取ろうと必死に足掻き始めるが、凄まじい粘着力を持った糸は人間の腕力で取れる代物ではなかった。掴んだ端から浦見の手も、足の仲間になるだけで、糸が取れる気配は一切ない。
巨大な蜘蛛がそこにいるのに、自分は糸で固定されて動けない。その恐怖が浦見を半ば錯乱状態に陥らせた。
取れないと分かっている糸を引っ張り続けることしばらく、浦見は周囲の状況も分からないほどに、意識をそこに集中させていた。その間、何かを口走っていた気もするが、自分では何を言っていたか把握できないほどに、浦見は錯乱していた。
もちろん、浦見がどれだけ引っ張っても、蜘蛛の糸が足から離れることはない。錯乱した浦見の行動はただの時間の無駄であり、浦見が逃げられることはなかった。
しかし、それだけの無駄を有しても、浦見は蜘蛛に捕食されることなく生きていた。
そのことに浦見が気づいたのは、浦見の目の前に少年が屈んだからだ。巨大な蜘蛛を前にした極限状態に、突如見知らぬ少年が現れたことに浦見は驚き、顔を上げていた。
その瞬間、少年が蜘蛛の糸を掴んでくる。そのまま、少年は糸をサッカーボールくらいの球体に変化させながら、力任せに引っ張り始めた。
糸の強靭さは足に絡ませた浦見が一番知っている。その程度の行動で取れる代物ではない。そう思いながらも、一所懸命に引っ張り続ける少年に浦見は何も言えないでいた。
そうしておよそ一分が経過しようとした頃。浦見の足に絡まっていた糸に変化が起きた。少年の力任せの引き剥がしに耐え切れなかったように、根元からブチブチと音を立て始めたかと思うと、そのまま浦見の足や地面から離れていった。
少年が現れたことだけでも驚いていたのに、その少年が糸を引き剥がしたことに驚いていると、手の上で糸を丸めていた少年が浦見を見てきた。
「大丈夫ですか?」
「え…?あ、は…」
声をかけてくれた少年に浦見が返事をしようとした直後、
「五分ほどで来てくれるらしいぞ」
少年の背後から声が聞こえてきた。その声に顔を向けた瞬間、浦見は更なる驚きから呼吸すら忘れていた。
フクロウと話していた少年。その少年がそこにいた。
浦見と同じように背後の少年に目を向けようとしていた目の前の少年が、驚きから固まっている浦見に気がつき、視線を向けてくる。
「どうしました?」
「え…!?あ、いや…!?」
返答に困りながら、例の写真の少年に目を向けようとしたところで、その背後に蜘蛛が倒れていることに気がつく。蜘蛛だけではなく、重戸もその側に倒れており、その姿を確認した浦見は状況の不可解さに混乱した。
その中で不意に思い出したのが、少年とは別の写真だった。
逢っていたはずの相手の記憶から消えた男。どこかに運ばれていくスーツ姿のサラリーマン。あの写真を思い出し、浦見の中で想像が爆発する。
何か良く分からないが、これは明らかに何かに巻き込まれた状態であり、このままだと自分の記憶も消されてしまう。
その事実に気がついた浦見の頭は瞬時に回転し、倒れた重戸を助けて、この場所から逃げ出す方法を導き出そうとした。
そして、最終的に重戸は見捨てることにした。
「ああ!?蜘蛛が!?」
明らかに態とらしかったが、浦見の行動はうまく少年の心に取り込めたようで、二人の少年は揃って背後の蜘蛛に目を向けていた。
その隙を狙って、浦見は一目散に走り出した。ここから逃げ出す。浦見の頭にはそれ以外の考えがなかった。
背後を確認することもなく、ひたすらに走り続ける。少年が追ってきているのか分からなかったが、追ってきていないはずがない。一瞬でも足を止めたら、そこで浦見は記憶を消される。場合によっては人格まで変えられるかもしれない。
その危機感の中を走り続けることしばらく。浦見は何度目かの曲がり角を曲がろうとした。
そこで目の前から来た少年とぶつかりそうになった。少年は手にビニール袋を持っており、その袋と自分の身体が浦見にぶつからないように、器用に浦見を躱してくれる。
「ああ!?ごめんなさい!?」
体勢を崩したことで転びそうになりながら、謝った浦見に向かって、少年は笑顔でかぶりを振っていた。
「いえいえ。大丈夫ですか?何か急ぎの用で?」
「いや、あのちょっと逃げている最中で」
「逃げている…?」
少年の反応に、いらないことを言ってしまったかと自らの失言を浦見が悔いた直後、少年は思ってもみなかった優しい表情をして、浦見に提案してくる。
「でしたら、助けましょうか?ちょっとの間、そこの物陰に隠れていてください」
「ええ!?いいの!?」
「少しくらいはいいですよ」
願ったり叶ったりの提案に浦見は思わず少年の手を掴んでいた。少年の手を上下に揺らすと、ビニール袋が重たそうに揺れている。何が入っているのかは気になったが、そのことよりも今は逃げ切ることが先決だったので、浦見は言われるがまま、近くの物陰に隠れた。
それから、助けてくれると言った少年は、浦見を追ってきた例の写真の少年と何かを話している様子だった。何を話していたのかは分からないが、最終的に浦見を追ってきた少年は浦見のいない道に入り、そのまま走っていく。
「もう大丈夫ですよ」
少年が行ったことを確認してから、浦見を助けてくれた少年が浦見に声をかけてきた。
「本当にありがとう」
礼を言いながら浦見が物陰から出ていくと、少年が不思議そうな顔をして、例の少年が走り去った道に目を向けている。
「だけど、驚きましたよ。てっきり借金取りとかに追われているのかと思っていたのに、来たのが彼だったから」
「いや、まあ、いろいろとあって」
「彼なら大丈夫だと思うけど。悪い人ではないし」
「ん?」
少年の言い方が気になり、浦見はさっきの様子を思い出していた。少年と例の少年は何かを話していたが、あれは浦見の行き先を聞いていたには長かった気がする。何より浦見を追いかけてきた例の少年が少し怒っていたようにも見えた。
「もしかして、君はあの少年と知り合い?」
「え?ああ、はい。クラスメイトですよ」
その一言に浦見は天から降り注ぐ光を感じた。例の写真の少年は素性が一切分からなかったが、これでようやく誰なのかはっきりする。その思いに思わず涙を流しそうになる。
「あの…えっと…ちょっと聞きたいことがあるんだけど…」
そう言いながら、浦見は自分を追いかけていた少年と自分が知り合いではないと言ってしまうと、そこに怪しさが生まれることに気がついた。何とか誤魔化さないといけないが、その部分は浦見の苦手とするところだ。
事情を説明することもできるが、それだと目の前の少年が巻き込まれてしまう可能性がある。他に方法はないかと浦見は頭を悩ませていた。
しかし、浦見に真面な案は降りてこず、気がついた時には普通の質問をしてしまっていた。
「……君の名前は…?」
「僕ですか?久世界人です」
「…久世君か…」
ここから、どうしよう。浦見は再び頭を悩ませることになった。
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