蜘蛛の糸に秘密は吊られる(6)

 浦見十鶴という人間はとことんポンコツである。彼がロボットか何かなら、大事なネジが一つどころか、三つや四つはなくなっているレベルで何かが足りていない。重戸が把握しているだけでも、失敗の数は数え切れないほどにある。


 その浦見が未だに雑誌記者をやっていられる最大の理由が運の良さだ。執念とも言える取材を繰り返し、それが何度失敗に終わったとしても、最終的に狙っていたネタに辿りつけるだけの運の良さを持っている。

 それは重戸を含んだ浦見の周囲も認めていることであり、唯一浦見の褒められるポイントと言えるのだが、その運の良さが今回も浦見に味方していた。


 重戸の手を引き、警察官から逃れようとした浦見は持ち前の運の良さで、警察官を撒くことに成功していた。浦見と警察官の間に車が割って入ったり、浦見が転んだ拍子に警察官の視界から消えて物陰に隠れることになったり、凄まじい幸運によって浦見と重戸は路地裏で落ちついていた。警察官の声は既に聞こえてなくなっている。


「どうして、逃げ出したんですか?ちゃんと説明したら、きっと…」

「いや、だって、女子高生を張っていましたって言ったら、逮捕されそうだから」

「ああ、まあ、それは…先輩はアウトですね」

「そう思ったら、普通逃げるよね?」


 浦見の問いに重戸は即答できなかった。浦見の言動はいつも重戸の知っている常識からはかけ離れている。それにどのように反応したらいいのか、重戸は毎回答えが分からない。蔑むべきなのか、哀れむべきなのか、甘やかすべきなのか。重戸は考えても分からないことで頭を悩ませる。


「でも、これでどうするんですか?きっとあの学校近辺で不審者が発見されたとか言われて、先輩は一生近づけませんよ。もし、先輩が次に見つかったら警察のお世話になるでしょうね」

「あの子のことを調べるのは難しくなっちゃったかな~。本人に逢えたらいいんだけどね」

「どっちの?」

「どっちでもいいよ。あの少年に逢えたら、直接少年の話を聞けるし」


 そう言いながらも、可能性はかなり薄いことを流石に分かっているようで、浦見は難しそうに首を傾げている。その隣で重戸は時間を確認する。

 放課後の帰宅時間に合わせて女子校前にいたのだが、そこからの逃走劇もあったことで、仮にこれから女子校前に戻っても、探している少女を見つけることはできそうにない。そもそも、警戒されていると思われる状況で戻ることに意味があるとは思えないが、こうなると後は会社に戻るべきだろう。


 そう思った重戸が浦見に目を向けると、浦見は何かを思いついた顔をしていた。浦見の思いつきが真面なわけがないと、重戸が戦々恐々していると浦見が笑顔で提案してくる。


「これから、高校生が行きそうな場所を覗いてみる?」

「先輩…?本気ですか…?」


 重戸は浦見の正気を疑い始める。冷静に考えてみたら分かることだが、高校生が行きそうな場所を覗いて、そこに目的の人物がいる可能性は限りなくゼロに近い。

 もちろん、それが全くないとは言えないが、現実的に考えて勧められない手法であり、基本的には他の方法を試した方が価値は高い。


 しかし、浦見はその提案を本気でしているようだった。常識的に考えたらあり得ないことだが、浦見の常識は人間の常識から逸れている可能性がある。重戸は言葉を失って何も言えなくなる。


 それに浦見なら、その方法で本当に見つけてしまいそうな予感があった。警察官から逃れるほどの運を持ち合わせている浦見なら、適当に入った店でミミズクにいた女子高生どころか、例の少年を見つけてもおかしくはない。


 その思いに重戸が返答を迷っている間に、浦見は承諾したと捉えてしまったのか、重戸に背を向けて、路地裏から出ようとしていた。


「あれ!?先ぱ…!?」


 慌てて呼び止めようとした重戸の声に浦見が振り返る。不思議そうな表情で重戸に呼び止めた理由を聞こうとしている。


「どうしたの?」


 しかし、そう言った浦見の視線の先に重戸はいなかった。


「あれ?」


 重戸が急に消えたことに浦見が首を傾げながら、重戸の名前を何度か呼んでみる。


「重戸さん?どこに行ったの?」


 その声は路地裏に響くが、重戸からの返答はない。どこに行ったのだろうかと疑問に思いながら、浦見が歩き出そうとした。


 その瞬間だった。浦見の目の前に


「え…?」


 軽く中身をばら撒きながら、目の前を落ちてきた重戸の鞄に、浦見は驚いて動きを止める。ゆっくりとその落ちてきた先を見るために、浦見の顔が上に向いていく。


 その途中で、その場所に不自然な影があることに気がついた。路地裏は薄暗く、そもそも影が目立たないために気づかなかったが、浦見を覆う影が何か奇妙な動きをしている。

 そう思った直後、その影を生み出した正体を見つけた。浦見はその姿を見たまま、あんぐりと口を開け、言葉を失ってしまう。


 。それも。軽自動車くらいのサイズはあるだ。その蜘蛛が建物と建物の間に巨大な巣を作り、そこに重戸が絡まっていた。


「何あれ…?」


 浦見がぽつりと呟いた瞬間、蜘蛛がお尻を持ち上げ、浦見に向かって糸を飛ばした。

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