蜘蛛の糸に秘密は吊られる(1)
そのことに気づいた
「え?今、お尻触ろうとした?」
「お、何だ?殺すか?」
ベッドを挟んだ反対側で
「違う違う!?ベッドがどれくらいの硬さか触ってみただけで、水月さんを触ろうとはしていないから!!」
「本当に…?」
疑った様子の水月に見られ、幸善は嘘をついていないにも拘らず、嫌な緊張をしてしまう。きっと、この不必要な動揺が冤罪を招くのだろうと思いながら、幸善が水月の視線に耐えていると、ようやく納得してくれたのか水月は幸善から目を逸らそうとした。
そこでホッとしたのも束の間、相亀の指が伸びてきて、幸善の顔を指差してくる。
「おい、信じるなよ、水月。ここで許したら、本当に触っても偶然とか言い始めるぞ」
「いやいやいや!?言わないし!?」
「え?触るの?」
「ち、違うよ!?それは言葉の綾で…!?」
「ほらな。正体を現した」
相亀の追撃が入り、幸善に対する疑いは深まるばかりだった。心なしか、水月は幸善から距離を取り始め、相亀はハエくらいだったら殺せそうなほどに鋭い視線を向けてきている。疑惑の段階のはずが扱いは既に犯罪者だ。
「騒がしいな」
敵しかいなくなった病室の中で、居心地の悪さに幸善が肩を縮めていると、ようやく
病室の外にまで聞こえていたらしい幸善達の声と、ベッドを挟んで合戦でも行おうとしているのかと思うほどの殺伐とした雰囲気に、入ってきたばかりの牛梁は不思議そうな顔をしている。
「どうした?何かあったのか?」
「頼堂が変態としての素顔を見せただけです」
「そうなのか?」
「いや、見せてないですよ!?」
「まだ疑いがある程度ですけど、十中八九黒ですね」
「何で、お前は俺を変態にしたいんだよ!?」
幸善は自分にかけられた疑いを晴らすために、必死になって相亀に抗議した。ただ幸善の抗議が相亀に届いている気配はなく、そのことに苛立っている間に、幸善達を呼び出した張本人である
「ちょっと冲方さん!?冲方さんが遅いから、俺が変態になりそうなんですけど!?」
病室に入ってきた冲方を見るなり、開口一番幸善が叫んだ。その叫びに冲方は挨拶よりも先に戸惑いを見せている。
「ど、どうしたの…?何があったの…?」
「いえ、冲方さんは気にしないでください」
「な、何か、ごめんね…資料を準備するのに手間取って」
間違った怒りを見せる幸善に冲方は戸惑っていたが、間違っていることが分かっている幸善は冲方に必要以上に怒ることもできない。遅れてきたことを謝罪した冲方に追加の言葉を送ることもできず、ただ何とも言えない顔で冲方を見続けていた。
その表情に冲方は困ったように笑っている。
「そ、それじゃ…いきなりだけど、呼び出した理由を話してもいいかな…?」
「お願いします…」
腹が捩じ切れそうになりながら、幸善はその言葉を捻り出していた。その様子に水月は堪え切れなかったように小さな笑いを零し始め、相亀は満足そうな顔を見せている――が、そのことに幸善は一切気づかない。
「じゃ…じゃあ、呼び出した理由なんだけどね。実は私のやっていた仕事が一段落ついてね」
「仕事って何でしたっけ?雑用?」
「そんな印象なの?違うよ。頼堂君が前に戦った
「ああ、ありましたね。それが?」
「まあ、そのこと自体は片づいた、で終わるような話だったんだけど、問題はその過程で分かったことなんだ」
そう言いながら、冲方が四人の前に数枚の資料を置いた。何とも言えない表情をした幸善を含めた四人が、その資料を覗き込む。そこには、冲方がさっき言った失踪事件の概要が詳細に書かれているようだ。
「これが?」
「最後の一枚を見て」
冲方に言われ、水月が最後の一枚を取り出すと、そこには少し荒い写真が載っていた。駅か空港か、人通りの多い場所に設置された監視カメラの映像で、その中に映った一人の男をアップで切り取っている。
「この写真って…」
「失踪した人の数人が国外に送られてたんだけどね。その人が関わっていることが分かったんだ」
「つまり、この人が人型と関わっていたってことですか?」
「もしくはその人が人型かもしれない。ただ情報はほとんどなくて、
「じゃあ、もしかして、Q支部の次の行動としてはこの人を探すってことですか?」
「そういうこと」
幸善達は改めて、そこに載った写真を見る。少し遊ばせた茶色い髪、丸眼鏡、黒系統のスーツ。情報は極端に少ないが、覚えられない顔でもない。
「見かけたら通報ですね」
「そういうことになるね」
「分かっていることは名前と顔だけなんですか?」
「あとは人を国外に送っていたってことと、もう一つ。何かを国内に輸入していたみたいなんだよね。まあ、それが何かは分かってないんだけど、結構大きな荷物だったみたいだね」
「それって関係あるんですか?」
「さあ?それは分からないよ」
幸善はもう一度写真を見ながら、人型という言葉から
「そういえば、頼堂君は人型を倒したんだよね?」
不意に水月が思い出したようにそう言った。未だ病室で入院中の水月でも、それくらいの話は聞いていたらしい。
「まあ、自殺されたけど…」
「でも、人型を相手にして、ちゃんと生きて帰ってこれたなら凄いよ。良かったね」
「それは…」
良くない――とは言えないにしても、良かったことと言い切ることは気分的にできそうになかった。
その幸善の評価が変態の流れから急に変わった様子を見て、納得していない人物が一人いた。相亀だ。
「いや、でも、かなりQ支部が動いて後処理をしたって聞いたぞ?もしも記憶を消されずに逃れた目撃者がいたら、どうするんだよ?」
相亀の言い分は明らかに悔し紛れの発言だったが、その発言を幸善は気分的に否定できなかった。確かにその可能性はあるし、きっともっと、いい解決法があったはずだ。それは全てにおいてそう考えてしまう。
しかし、幸善の代わりに別に怒る人がいた。それがまさかの牛梁だった。
「お前、頼堂と初めて逢った時、商店街で仙技をぶっ放したのに、そういう言い方はないだろう?」
「あっ…その…あの時は失礼しました…」
相亀が申し訳なさそうに牛梁に頭を下げ、水月と冲方が笑っている。その中でも幸善はモヤモヤとした気持ちを抱えていた。
しかし、この時の幸善はまだ知らなかった。幸善変態説はこの空気の中でも、絶滅していなかったことを――
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