悪魔が来りて梟を欺く(20)

「あれ?」


 久しぶりにミミズクを訪れた穂村は店に入るなり、そう声を漏らしていた。カウンターの向こうに立っていた仲後が笑顔で「いらっしゃい」と声をかけてくる。その前には、いつもの間の抜けた顔をした福郎が止まり木に止まっている。


 ただ穂村が不思議に思ったのは、そこにいつもならいるはずの姿がなかったからだ。穂村はキョロキョロと店内を見回してみるが、結局、その姿は見当たらない。


「亜麻さんはどうしたんですか?」


 穂村が仲後に聞いてみると、仲後は途端に寂しそうな顔をした。ちょうど手元にあったカップを手に取ろうと俯いたこともあって、ともすれば泣き出すのではないかと思うほどに、その表情は暗く見える。


「え…?もしかして…事故とか…?」

「いやいや、そういうことじゃないんだよ」

「そ、そうなんですね。ビックリしました…」


 仲後の様子から膨らんでいた悪い想像が違っていたことに、穂村はホッと胸を撫で下ろしていた。それから、当たり前のように最初に思いつかなければいけなかったことを思いつく。


「ああ、そうか。今日はお休みなんですね」


 穂村が納得しながら、仲後の脅しのような反応を笑おうとした瞬間、寂しそうな顔のままの仲後がかぶりを振った。


「違うんだよ。辞めたんだよ、亜麻さん」

「え?辞めちゃったんですか!?」

「うん。急にね」

「どうしてですか?」

「何でも、急に留学が決まったとかで、海外に行くそうだよ」


 あまりに突然の出来事を聞き、穂村は言葉を失っていた。亜麻がずっといるとは思っていなかったが、ここまで急にいなくなるとは思ってもみなかった。


「急に海外なんて…そんな…」

「でも、亜麻さんらしいと思わないかい?」


 仲後に聞かれて、穂村は亜麻の明るさを思い出す。どこまでも無邪気に明るく、いい感じに周囲を振り回していた亜麻だ。あの亜麻なら、突然海外留学が決まったと言って、鞄一つで海外に飛び出してもおかしくはない。


「確かにそうですね」

「また帰ってきたら、顔を出してくれるよ。その時に穂村さんもいればいい」

「そうですね。亜麻さんなら、明日とかにもひょっこり帰ってきそうですしね」


 そう言いながら、穂村は店内に目を向けていた。時間帯も相俟って、店内には穂村しか客がいない。福郎はいつもの様子で、仲後は騒ぐような人ではない。店内は穂村の知らないほどに落ちついた雰囲気を漂わせている。


「けど、静かになっちゃいますね」

「そうだね。しばらく鈴木さんも来れないようだし」

「ああ、そういえば、前に大きな仕事が近々あるとか聞きましたね。あれって何なんですかね?」

「さあ?彼の仕事のことは詳しく知らないからね。海外から取引相手が来るとか、そういうことを言っていたような…言っていなかったような…」

「マスターも覚えていないこととかあるんですね」

「それはもちろん、あるよ。特に最近は思い出せないことも増えてきたから、忘れない内に大事な技術とかは残しておかないといけないかもしれないとは思っているよ」

「ああ。それ、お願いします。マスターのコーヒーが飲めなくなるのは悲しいですから」


 穂村と仲後が話をしながら、仲後が穂村のためにコーヒーを淹れ始めた時だった。店の鐘が鳴り、店内に二人の客が入ってきた。見た目から察するに鈴木と同じくらいの年齢だろうと思われる男女二人組だ。店に入ってきて、興味深そうに店内を見回している。


「いらっしゃい」


 そう言ってから、仲後は男の方の手に目を向けていた。


「ああ、申し訳ないけど、店内は撮影しないようにお願いできるかな?」

「ん?ああ、これは大丈夫です。仕事に使うよう何で…」

「仕事?」

「実はここのマスターに聞きたいことがあってきたんです」


 男がカウンターに近づいてきながら、手元の鞄を探っている。なかなか探し物が見つからないのか、もたもたしている姿を見て、一緒にいる女が呆れた顔をしている。


「先輩。早くしてください」

「分かってるから、焦らせないでくれ」


 やがて、男は一枚の写真を取り出し、カウンターの上に置く。


が誰か知りませんか?」


 男が見せた写真を一緒になって穂村も覗き込み、そこで表情を変えそうになった。慌てて表情を取り繕って、何もなかったように椅子に座りなおす。どうして、この二人がそこに写っている人物を探しているのか、穂村には分からないことだが、分からないからこそ何も言えない。


 カウンターの上に置かれた写真にはが写っていた。

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