悪魔が来りて梟を欺く(19)
Q支部の医務室のベッドは少し硬かった。少し座っているだけだが、少しずつ痛みを感じ始めたお尻に、幸善は水月のことを思い出す。水月が入院している病室のベッドがこれと違っていたらいいと思いながら、すぐに別のことを思い出す。
「ちょっと待てよ」
呼び止める声を発したのは幸善だった。その声を受けた福郎が振り返る。福郎が妖怪であることをQ支部は把握していたらしく、亜麻の死体の回収と周辺の人間の記憶の改竄のために、ミミズク前まで来た仙人は福郎を気にしていなかった。
その福郎がミミズクに戻ろうとしているところを呼び止めたのは、福郎からまだ聞いていない話があったからだ。
ミミズクに入り、そこで亜麻と対面する前に、幸善は福郎に聞かされようとしていた話があった。あの話をまだ聞いていない。
「話があるって言っていただろう?あれを聞くよ」
この時の幸善は解毒が済んでおらず、まだ体調の悪さを抱えていたが、それを理由に放置する気にはなれなかった。後で聞くと約束しても、それが急ぎの用なら、その後で聞くことに意味がなくなる。今の内に聞いておかないといけない。その思いから福郎の言葉を待つ。
しかし、福郎は話すことを躊躇っているようだった。幸善が呼び止めると、店内に目を向けてから、ぎこちなく首を回す。
「あの話か…」
「ああ、何かあるなら聞くよ。話してよ」
「話そうと思っていたんだが…」
「どうしたんだ?」
幸善だけでなく、幸善と一緒にいたノワールも不思議そうな顔で福郎を見ていた。頻りに店の奥に目を向けている福郎だが、そこに何かがあるのだろうかと幸善は気になってくる。
「店がどうしたのか?」
「いや、その…話はまた別の機会でいい…」
「え?いいのか?急いだりしないのか?」
「急ぐべきかと思ったんだが…時には待つことも大事だと気づいた…だから、話はいい。ただ一つだけ約束をしてほしい」
「約束?」
「また店に来てくれないか?客として、この店に顔を出してほしい」
「そんなことでいいのか?」
「そんなことがいいんだ」
「分かった。約束するよ」
福郎とのその会話を思い出しながら、幸善は自分の身体の調子を探っていた。
そうしていると、医務室から出ていた万屋が戻ってきた。手にはカルテのようなものを持ち、頬に食べかすのような形で血液をつけている。
「まだいたのか?」
「ああ、はい。ちょっと考えごとをしていて…万屋さんは?」
「お前が戦った
「何か分かったんですか?」
「何かも何も、人型って言うだけあって、体内構造は基本的に人間と一緒だった。違いを探す方が難しいくらいだ。ただ…」
「ただ?」
「死因に関するところだけが不可解だった」
「死因が分かったんですか?」
「ああ、恐らく、こいつなんだが…」
万屋がポケットの中から無造作に白い塊を取り出した。何かと思って幸善が見てみると、それがボール型の骨であることに気づく。
「何ですか、これ?」
「分からん。ただ、人間で言うところの心臓に当たる部分にそいつがあった。恐らく、そいつが心臓を握り潰したことで、あの人型は息絶えたんだと思う」
「骨が心臓を?」
「その中を見てみないことにははっきりとは言えないが、心臓の一部がその骨の外側にあったことを考えると、それしか考えられない。ただその骨がどういう部位なのか、そこが分からない。人型にはその骨が全員あるのかもしれないし、何かしらの妖術なのかもしれない。どちらにしても、自殺する機構が身体の中にあるなんて、普通じゃねぇーな」
幸善は最期の瞬間の亜麻の姿を思い出す。あの時の亜麻の行動は今から思うとおかしな点が目立つ。あれは何かしらの合図だったのだろうかと考えてみるが、幸善に分かることではない。
あとで上の方に報告しておこう―――そう思っていると、急に医務室の扉が開いた。幸善と万屋が入口に目を向けると、そこには幸善の知らない外国人が立っている。
「お前が例のイレギュラーかぁ?」
急に顔を覗き込まれながら、英語で捲し立てられたことで幸善の頭は混乱していた。男が誰かも分からなければ、何を言っているかも分からない状況に、どうしたらいいのか分からなくなる。
「ふ~ん、なるほど…まあ、人型と渡り合ったって言うなら、取り敢えず、及第点だな。餌にするのはやめておいてやるよ」
男が何を言っているのかは分からないが、表情や口調から敵意を向けられているわけではないことは分かった。幸善がただ目を丸くしていると、そのまま、男は医務室を出ていってしまう。
「今の誰ですか…?」
残された幸善は思わず万屋にそう聞いていた。
「最近Q支部に来た応援だ。
「ああ、序列持ち…え!?序列持ち!?」
幸善はディールが立ち去った後の扉を見つめながら、先に知っていたNo.2の顔を思い出す。どうやら、特級仙人になるような人物は基本的に自分勝手なようだ。
結局、ディールが何を言っていたのか、幸善は一つも分からないままだった。
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