悪魔が来りて梟を欺く(18)
亜麻がミミズクを飛び出した。その後を幸善も追いかけたはずだ。肩の上にはノワールが乗っていて、ノワールもそのことは確認している。
そのはずなのに、ミミズクを出たところで、亜麻の姿は忽然と消えていた。
人がいないわけではない。ミミズクの前を歩いている人は数人いた――が、その中に亜麻の姿は見当たらない。亜麻は幸善の膝蹴りで鼻を潰し、血を流しているはずだ。
仮に亜麻が走って逃げたとして、この中を通り抜けたのなら、その亜麻に注目が集まらないはずがない。全員が気にせずに歩いているはずがなく、驚きから立ち止まっている人も多いはずだ。
しかし――幸善は左右を確認する。道路を歩く人はそのどちらにもいるが、その中に立ち止まっている人はない。驚いた顔をしている人も見つからず、そこを亜麻が通り抜けたとは思えない。
「おい!?ノワール!?どっちに行った!?」
亜麻の姿は見当たらないが、亜麻が逃げたのなら、その匂いが残っているはずだ。犬であるノワールなら追いかけられる。
そう思ったのだが、ノワールは幸善の肩の上で困ったような顔をするばかりだった。
「どうした!?ノワール!?」
「いや、何か…匂い…途切れてて…分からない…」
「はあ!?何をそんな少年みたいな声で言ってるんだ!?」
「声は関係ないだろうが!?どうやったか分からないが、匂いが途切れていて分からないんだよ!?」
「じゃあ、亜麻さんはどこに行ったんだよ!?」
「寺とかじゃないか?」
「尼僧のことじゃねぇーよ!?」
幸善とノワールが言い争っている間に、福郎が二人の背後から近づいてきていた。ノワールの乗っていない方の肩に止まり、そこから左右を見渡している。
「あ、福郎」
「
「消えた。瞬間移動とかできるのかもしれない」
「あとは姿を変えるとかな。変えた後の維持に妖気を使っていないと見つけられないはずだ」
「瞬間移動…姿を変える…」
福郎がフクロウ独特の動きで首を回し、道路を何度も見回している。この動きに何も思ったことはなかったが、肩の上で間近に見てみると、少し気持ちが悪いな――と幸善が思っていると、福郎の動きが止まった。
「あそこの男…」
「ん?あのサラリーマン?」
「恐らく、あいつだ」
「何が?」
「あの女だ。あの男に化けている。間違いない」
「はあ?何で分かるんだよ?」
「足音だ。微妙な所作は変わっているが、足運びの部分に大きな変化はない。体重の増加を考慮すると、あの女と全く同じ歩き方をしている」
「そんなの分かるのか?」
「フクロウの耳を舐めるな」
「耳責めの話はしてなかったんだけど…」
「私がしたみたいな言い方はやめろ」
幸善は肩にノワールを乗せ、福郎と一緒に走り出していた。肩に犬を乗せた高校生が通り抜けたかと思うと、その後をフクロウが追いかけてくることに、通りすぎる人々が驚きの目を向けてきている。
もしかしたら、後で奇隠の手を借りないといけないかもしれないと思いながら、幸善は男が入っていた細い路地に飛び込み、そこにいた男の肩を掴んだ。
「ちょっと待てよ、亜麻さん」
その一言に男は振り返る。その姿は見るからにサラリーマンのおじさんで、全く亜麻らしさはないが、本当に亜麻なのかと幸善は少し不安になる。
「亜麻?」
男は不思議そうな顔で呟いた。その一言に幸善の頭は真っ白になる。
もしかしたら、違っていたのか――そう思っても、既に幸善の手は肩を掴んでいる。ここで引くことはできない。
もう押し切るしかない。そう思った幸善がその勢いのまま、男に詰め寄った。
「分かってるんだよ。あんたが人型の亜麻理々だって」
幸善がそう言い切った直後、福郎が幸善の肩に止まった。男の様子が変わらないことに幸善が内心焦っていると、福郎が肩の上から聞いてくる。
「動揺しているのか?心臓の音がうるさいぞ?」
「いや、お前が…」
亜麻だと言うから追いつめたのに違うかもしれない――と幸善が言いかけた瞬間、幸善の目の前から笑い声が聞こえてきた。その声に導かれるように目を向けると、幸善の目の前に立っていた男が小さく笑い始めている。
「何?凄く笑ってるんだけど…」
「いや、俺に聞かれても…」
「どうして…」
男が目の前で小さく呟く。
「どうして、分かった?」
顔を上げた男が両手を動かそうとした瞬間、幸善は咄嗟に手を伸ばしていた。
ミミズクで幸善が亜麻を目の前にしていた時のことだ。幸善がヒントを見つけ出そうと思い出した先の戦いの中には、カミツキガメとアメンボも交ざっていた。あの時、幸善は風が強力な檻になることを知ったのだ。
その時の記憶を参考に、幸善は伸ばした手から風を起こし、男を取り囲む風の檻を作り出していた。それがうまく行くかは賭けだったが、幸いなことに人一人分の風の檻がうまく出来上がる。
「何だ、これは!?」
「風の檻だ。このまま、あんたは逃がさない」
そう言いながらも、急速に消費される仙気に幸善は焦りを覚え始める。どこまで風の檻が維持できるか分からないが、このままだとすぐに仙気が底を尽きる。その前に男を拘束する別の方法を見つけないといけない。
そう思った直後、男が目の前で小さく笑っていることに気がついた。
「何を笑ってるんだよ…?」
「いや、ちゃんと穴があって良かったと思ってな…」
「穴?」
「いいか…?私は捕まらない…絶対に…それだけは決まっている……そして、お前はいつか俺達に捕まる……少なくとも、この程度の力だと絶対に…」
「どういう意味だよ?」
「……あの人の風はもっと凄い……」
「あの人?」
次の瞬間、男の全身が発光したかと思うと、風の檻を突き破るように上空に電気が昇っていった。雷が落ちるものなら、その反対のような現象に、幸善だけでなく、路地の外を歩いていた人達も驚いて見上げている。
どうやら、幸善の作り出した風の檻は円筒形になっていたらしい。サイズは小さいが、上の方に穴があって、そこから電気が飛び出したようだ。
そのことを確認した瞬間、幸善の風の檻の中で、ぐったりと力ない様子で男が地面に倒れ込もうとした。風の檻にぶつかり、弾かれる姿を見て、幸善はつい風の檻を解いてしまう。
その直後、男が幸善に向かって倒れかかってきた。その重みを受け止めたところで、福郎が男の身体に触れ、気づいたように声を出す。
「鼓動が聞こえない…」
「それって…?」
「死亡している…」
その一言を聞いた途端、幸善は忘れかけていた毒による気分の悪さを思い出す。
結局、幸善には何も分からないまま、全てが終わってしまったようだ。その思いから生まれた喪失感と、死んでしまった亜麻の身体の重さが一緒になって、幸善に伸しかかっていた。
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