悪魔が来りて梟を欺く(5)

 三枚の賄賂を手に入れた翌日――幸善は演習場にいた。立ち会うのは相亀と冲方、それから、ノワールだ。


「何で、俺はここにいるんだ?」


 昨晩のことだ。東雲や我妻とフクロウカフェに行くことで決まった幸善から、ノワールは翌日のこと――つまり、今日のことを聞いた。


 ただし、それは説明と呼ぶにはあまりにお粗末な、一方的な事後報告とも言える内容だ。


「明日、Q支部に行く時、ノワールについてきてもらうから」

「は?はあ?どういうことだよ?」

「これは決定事項だからな。待ってろよ」

「いや、説明しろよ」


 ノワールは当たり前の権利を主張したが、その主張が通ることはなかった。


 結局、放課後を迎えた幸善に、半ば拉致される形でQ支部までやってきたノワールは未だに何が行われるのか分かっていない。


 ただ――幸善も冲方も真剣な表情をしており、冗談とか遊びとかではないことだけ、何となく分かっていた。その中で自分と同じだけ困惑した表情の相亀に、自分と同じだけ何も伝えられていないことも分かる。


「おい。何するんだよ?」


 相亀が当たり前の疑問を、当たり前のように幸善に聞いていたが、幸善は当たり前のように答えることがなかった。


「取り敢えず、お前は仮想敵だから、そこに立っていてくれ」

「はあ?どういうことだよ?」

「まあまあ。後で説明するから、取り敢えず、そこに立って」


 説明も何もなく、ただ話を進めようとする幸善の強引さに、相亀は明らかな危険性を感じていた。これは碌な話ではない。きっと断るべきだ。

 そう思った相亀を止めるように、冲方が言ってくる。


「相亀君は頼堂君の言う通りでお願いね。そうしないと見たいものが見られないかもしれないから」

「見たいものって何ですか?」

「とても重要で、待ち望んでいたかもしれないものだよ」


 冲方の説明は単純に意味が分からなかったが、冲方に言われて拒否するわけにもいかない。相亀は嫌な予感に襲われながらも、幸善の指示する場所に立つ。


 すると――正面に幸善が移動してきて、脇にいたノワールを抱え込んだ。急に抱えられたことにノワールは驚いた顔で吠えている。


「急に持ち上げるなよ!?」


 そのノワールの声の意味は相亀も分からなかったが、怒っていることだけは分かった。その理由が幸善の行動にあることも流石に察する。


「いいから。そのまま、じっとしていてくれ。これから、

「はあ?試すって何を?」


 ノワールが聞き返した直後、真剣な表情をした幸善が左手を上げ、その掌を相亀に向けていた。相亀はその行動の意味が分からず、「何をしてるんだ?」と聞きながら、幸善との距離を詰めようと歩き出す。


 その瞬間――。急な出来事に何が起きたか分からず、相亀はほとんど無防備な背中を演習場の床に叩きつける。


「痛っ!?」


 相亀が声を漏らし、悶える中、その様子を見た幸善が満足そうに笑っていた。


「よし!!やっぱり、そうだ!!」

「今のは――確かなようだね」


 幸善と冲方が今の流れから何かを確信したらしく、二人でとても納得しているが、全く説明を受けていない相亀とノワールは何も納得できていない。特に相亀は急に宙を舞った理由も分からず、不意に襲ってきた背中の痛みはずっと残り続けている。


「勝手に納得していないで、説明くらいあってもいいんじゃないですか!?」


 相亀が冲方に怒りながら聞くと、冲方の不思議そうな目が相亀に向いた。


「もしかして、本当に少しも説明されていないの?」

「あったら怒りませんけど?」


 相亀が背中を摩りながら、怒りを鋭い視線として冲方に向けると、冲方の困ったような笑みが幸善に向いた。


「頼堂君。説明ゼロは危ないよ。危険なことくらいは伝えないと」

「まあ、相亀なら大丈夫かなっていう判断です」

「何だよ、その判断は!?」


 相亀が幸善に突っかかろうとする隣で、相亀と違って何が起きたか見ていたノワールが、不思議そうな顔のまま、幸善に顔を向ける。


「今のってだよな?」


 ノワールが幸善に聞くために吠えると、急に吠えたことに相亀が驚いていた。身体をビクンとさせ、ノワールを恐怖と驚きの混じった目で見ている。


「ああ、そうだ。今のは風だ」

「風…?」


 幸善の返答を聞いた相亀が何を言っているのかと怪訝げに幸善とノワールを見ていた。風と言えば、何か聞いた記憶がある――と思ってみたりもするが、その記憶はすぐには出てこない。


『何で、風が?』


 相亀や冲方は分からないかもしれないが、相亀の呟いたその一言は綺麗にノワールの一吠えと被っていた。そのことにノワールが気まずそうな顔をする中、幸善は聞きたかった答えを冲方から聞くため、確認する。


「今のはどうでしたか?」

「うん?ああ、そうか。ちゃんと言わなかったね。今のは確かにだったよ」


 仙術――その単語が出てきたことで、ようやく相亀は思い出す。


「風ってお前が起こせるって嘘ついたやつか?」

「だから、嘘じゃねぇーよ。本当に起こせたんだから」

「はあ?何で急に?」

「必要だったのはだよ。いや多分、もっと正確に言うと、だと思う」

「妖気?」

「どういうメカニズムか分からないけど、妖気と接触することで、頼堂君は風の仙術を扱える――そういうことみたいだね」


 冲方の説明を受けた相亀とノワールがきょとんとする。幸善は分かった事実に目を輝かせていたが、事前に聞いていたらしい冲方も不思議そうな顔をしている。


「そんなことがあり得るんですか?」


 相亀がついそう聞いてしまうのも仕方がないことだった。


 何故なら、妖気と接触することで仙術を扱えるようになる――という話は聞いたことがない。冲方もそのことが気になっていたのか首を傾げている。


「それが分からないんだよね。実際に起きているから、何とも言えないんだけど。仙気と妖気って使い方とか役割は似ているけど、その性質は結構違うんだよ。薬品と薬品を混ぜ合わせたら、化学反応が起きて爆発する――みたいな感じで、仙気と妖気を一緒にしようとしても、互いに反発し合ってできないはずなんだ」

「けど、確かに仙術は使えましたよ?」

「そうなんだよね。馴染んで、仙技どころか仙術を使えた――それはもしかしたら、頼堂君が妖怪の言葉を聞き取れることと何か関係があるのかもしれないね」


 耳持ち――妖気と接触することで使用可能になる風の仙術――幸善は自分自身で分からない身体の秘密を二つも抱えたようだ。


「まあ、どちらにしても、仙術はかなり強力だからね。人型ヒトガタに対抗する力として、序列持ちナンバーズと匹敵するか、それ以上のものかもしれない。それはうまく活用するべきだと思うよ」

「なら、妖気があるかどうかは最低限分からないとな」


 相亀に指摘されたことは気に食わなかったが、その指摘は尤もだった。未だに幸善は妖気を感じ取ることができないが、妖気が風の仙術を使えるかどうかのカギになっていると分かったからには、妖気の把握は絶対的に必要な能力だ。これまでのように妖怪の声を聞けば分かるから大丈夫とは言っていられない。


 それに妖怪の声も、カミツキガメやアメンボのように喋れない相手がいる以上、絶対ではない。そのことは植物の一件で分かっていたことだが、そろそろ、本格的に幸善も歩み出さないといけない時らしい。


「今後の頼堂君の課題は妖気の把握。それから、少なくとも、肉体強化の仙技を完璧に覚えることだね。その二つがあるかどうかは仙術を生かせるかどうかにも繋がってくると思うよ」

「そうですね。分かりました」


 幸善は冲方の言葉にうなずき、強く拳を握り締める。

 人型に対抗するために――次の目標が定まった。

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