悪魔が来りて梟を欺く(2)

 頼堂らいどう幸善ゆきよしは静かに拳を握り締めた。手の中に残っている感覚の確かさに、全身の毛が逆立つような錯覚を覚える。浮ついた心は気を緩めば飛んでいきそうだ。

 再び風を起こせた。その確かな事実が幸善の心を強く躍らせていた。


 これで今度は人型ヒトガタと遭っても戦えるかもしれない――


 まだ風を起こすメカニズムが完璧に判明したわけではないが、その一端を掴めたことで、幸善はその希望に満ちた考えを懐いていた。


 その隣で、正反対の表情をした男が歩いていた。それはもちろん、相亀あいがめ弦次げんじだ。


 ほんの数十分前まで、相亀はカミツキガメのお腹の中でもがいていたのだが、そこからようやく脱出できたと思ったのも束の間、鞄の中にゴミをぶち込まれそうになったり、有間ありま隊の三人に揶揄われたり、散々な目に遭った挙句、気づいたら、カミツキガメをQ支部まで運ぶ役を無理矢理押しつけられていた。


 もちろん、相亀は拒絶したが――


「カメと一心同体になったお前以外に誰が運ぶんだよ?」


 ――という幸善の謎理論を有間隊の三人が支援し、相亀がカミツキガメを運ぶことに、相亀の意見を聞かないまま決定してしまっていた。


 その疲労もあって相亀の顔色は悪く、悪夢に魘されているような絶望に満ちた顔をしていた。


「何か今日は疲れたな…もうお前に怒る気力もないわ…」

「どうした?そんなにカメの腹の中は大変だったのか?」

「寧ろ、そこから出た後の方が大変だった…」


 相亀は全身から帰りたいという気持ちを発していたが、幸善はまだQ支部に用事があった。カミツキガメやアメンボを渡し、仕事の報告は済ませたが、それとは別に確かめたいことがある。


 まだ判明してない風の発生メカニズム――その部分に関して、幸善の中で仮説が生まれたので、その検証をしたかった。

 そのため、風の見極めができそうな人物――今回は冲方うぶかたれんを幸善は探していた。


「なあ、冲方さんって、どこにいると思う?」

「冲方さん?さあ?今は忙しいみたいだし、ここにいない可能性もあるんじゃないか?」

「ああ、そうか…」


 相亀の言うことは尤もだった。最近の冲方の忙しさを見るに、Q支部から出ている可能性は十分にある。冲方を探しても時間の無駄かもしれない。


 それならもう一人、幸善には当てがあった。元々、その人物のところに行く必要もあったので、幸善はそちらに当たってみようかと考え始める。


 その時、幸善と相亀の前を一人の少女が通りがかった。幸善達と同じくらいの年齢の少女だ。同世代の仙人とは虎の一件で多く逢ったが、その少女は初めて見る――と幸善が思っていると、その隣で相亀が呟く。


「あ、穂村だ」


 その声に反応するように、穂村が立ち止まった。幸善と相亀の顔を見て、小さく会釈をする。


「えっと…相亀君、だったよね?」

「ああ」

「貴方は…」

「俺はら…」

「もしかして、頼堂君?」


 幸善が名乗ろうとした途端、穂村が自分の名前を呼んだことに幸善は驚いた。初めて見るはずだが、以前に逢っていたのかと思っていると、穂村がすぐに自己紹介をしてくれる。


「私は水月悠花の友達の穂村陽菜です。頼堂君のことは悠花から聞いてます」

「ああ、水月さんの友達…友達?」


 その表現に幸善は引っかかった。仙人だったとしたら、何級仙人とか、何隊所属とか、他に言い方があるはずだ。水月の友達であることを強調したりしない。


 今の説明だとまるで――そう思っていると、隣でその考えを読んだように相亀が言う。


「穂村は一般人だ。仙人じゃない」

「え?仙人じゃないの?でも、ここQ支部だよね?」


 入っていいのか――そもそも、どうやって入ったのか――幸善の疑問は重なるが、相亀は至って冷静だ。


 ――と思ってから、さっきの反応を思い出す。相亀と穂村の反応は以前にも逢ったことのある反応だ。

 良く出入りしているのか―――そう思ったところで、相亀が口を開く。


「家族とか、友人とか、親しい人に仙人のことを話す人は多いんだよ。ある程度知っておいてもらわないと、日常生活に支障を来す場合があるからな」

「それって、俺も話していいってこと?」

「まあ、相手が信頼できるなら話してもいいんじゃないか?俺は話してないが」

「何で?」

「変な負担をかけたくないんだよ。巻き込むかもしれないしな」

「おおぅ…相亀が真面なことを言っている」

「人を奇人みたいに言うんじゃねぇーよ」


 幸善は家族や友人、身近な人物の顔を思い出していた。仙人や妖怪のことを話したら、どのような反応をするだろうか――と想像してみて、幸善は苦笑する。きっと笑われるか、心配されるかの二択だ。話すだけ無駄だな、と思い、幸善は穂村を見た。

 少し微笑んではいるが、その奥には悲しみが見え、幸善の胸が痛む。


「水月さんのこと、ごめんね」

「え?どうして、急に?」

「いや、怪我の原因は俺だし。俺がもっと強かったら、あんな怪我を負わずに済んだと思うし」

「そんなの…悠花も気にしてないから…それに分かってたことだから…寧ろ、ありがとう…悠花を助けてくれて」


 幸善と穂村はお互いに気まずそうな顔をしていた。そのまま向き合う二人に相亀が困惑している。


「あ、そうだ」


 そこで不意に穂村が思い出したような声を出す。どうしたのかと思っていると、鞄の中から小さな紙を三枚取り出した。見てみると、どこかの店の割引券のようだ。


「これ。二人にお礼。もう一人いるって聞いたから、その人にも」

「お礼って…そんなの別にいいのに」

「ううん。いいから。だから、悠花をお願いします」


 頭を下げる穂村に幸善と相亀は困ったように顔を合わせる。お礼――と言ってはいるが、その実は懇願に近い。ここで受け取らないのは、穂村の頼みを投げ捨てるようなものだ。


「分かった。任せて」

「こいつと違って、俺は怪我させないようにするから」


 幸善と相亀が割引券を受け取り、穂村はほっとしたように笑っている。その顔を見てから、幸善は相亀の足を小さく踏みつけた。


「痛っ!?」

「どうしたの?」

「いや、何でも…」


 睨みつけてくる相亀に笑みを向けながら、幸善と相亀は穂村と別れる。それから、向かおうと思っていた冲方以外の当てに二人は向かったが、その当てにしていた人物は外出中だった。


「またいないし」

「お前、良くこんなところに来れるな。怖くね?」

「怖くないよ。ただの自称ミステリアスなお姉さんだし」


 結局、この日は検証を諦め、幸善と相亀は牛梁うしばりあかねに逢いに行ってから、Q支部を後にすることにした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る