悪魔が来りて梟を欺く(1)

 大部屋の病室。表現的にはそれが正しいのだが、並べられたベッドの数に対して、患者は一人しかいなかった。カーテンで仕切られたベッドの隣には一脚のパイプ椅子が置かれている。その椅子に座り、穂村ほむら陽菜ひなは心配そうにベッドに座る友人を見ていた。


 見られている当人――水月みなづき悠花ゆうかはばつが悪そうに苦笑いを浮かべている。


「本当に大丈夫なの?」


 再三の確認を受け、水月は苦笑したまま、更に表情を強張らせた。


 大丈夫――という表現が適切かどうか、自分の身体のことは良く分かっている。右腕と肋骨数本の骨折に、内臓の一部を損傷し、機能に障害が出ていると言われた。最低でも一週間は固形物が食べられないらしい。

 その状況を大丈夫と表現することに罪悪感を覚えながら、水月は再び「大丈夫」と口に出す。


「悠花がそういうなら、いいけど…」


 ようやく納得してくれたか、と水月がほっとしたのも束の間、穂村が悲しそうな目で水月の右腕に目を向けていることに気づいた。


 右腕がギプスで固定されてから、二十四時間ほど経っている。利き腕が使えなくなったことで不便な生活になるかと思ったが、今の水月の身体はそれどころではないほどに不便だった。呼吸の仕方も間違えれば、痛みを感じるような身体だ。利き腕がどうとか言っていられない。


 そのことを想像したのか、その腕が折れた理由を考えたのか、水月は穂村の頭の中を想像しながら身構える。

 すると、穂村が水月の想像通りの言葉を向けてきた。


「やっぱり、もう…辞めるべきなんじゃない…?こんなこと危ないよ…」


 辞める――それが何に対して向けられた言葉なのか、水月は聞く必要がない。


 水月がいる病室――それがことを考えたら、何を辞めるべきと言っているのか、すぐに分かることだ。


 だから―――


「辞めないよ」


 水月はすぐにかぶりを振った。


 穂村の言いたいことは分かる。仙人としての仕事は非常に危険だ。今回の一件がイレギュラーだとしても、他の状況で同じ結果になる可能性は十分にある。水月の両親が突然いなくなったように、水月が突然いなくなる可能性も常に存在している。


 だから――穂村は辞めるべきだと言っている。今日だけではない。これまでに何度も。その気持ちは痛いほどに伝わっている。


 けれど――水月は亡くなった両親と同じこの仕事を手放す気にはなれなかった。両親がこの仕事に見出だした役割があるのなら、その役割を自分が負いたいと、負うべきだと水月は思っている。


 それに―――


「お母さんとお父さんが働いていた奇隠で、私も二人みたいに働きたいの。二人ができなかったことを代わりにしたいの。だから、私は辞めないよ」


 を飲み込んで、水月は穂村にそう言った。浮かべる笑顔が穂村を安心させられたらいいな、と思いながら、水月は笑ってみせる。


「分かってる…分かってるよ…けど、私は悠花がいなくなるのは嫌だよ…」


 涙目を浮かべる穂村に、水月が優しく声をかける。


「大丈夫。もうこんな怪我しないから。こんな風に陽菜に心配をかけないから。だから、応援して」


 水月のお願いに、穂村が迷いながらもうなずく。その姿を見て、水月の胸がズキンと痛む。


 穂村には何でも話せた。自分の両親のことも、自分の仕事も、自分の悩みも、穂村を信頼しているから、何でも相談できた。

 けど、今は少し嘘をついている。その罪悪感がずっと胸の中にまとわりついている。


 このまま、この話を続けたくない―――胸の痛みが水月にそう思わせる。


「怪我が治ったら、どこかに遊びに行こうよ」


 水月が精一杯明るい声を作って、穂村にそう提案する。穂村は微かに目尻に浮かんでいた涙を拭き取り、思い出したように鞄の中を漁り出す。


「それなら…私、悠花とここに行きたいんだ」


 小さな紙――それもどこかの店の割引券のように見える。


「ここって?」

「フクロウカフェ。ちょっと前に見つけてから通ってるんだ。みんなはフクロウが怖いって言うから、私一人で何だけど…それ、常連客用の割引券なんだよ。この前、貰って…もしも、悠花の怪我が治ったら、一緒に行きたいなって思ってるんだ…」


 最後の方はとても不安そうで、すぐに掻き消えるような声だった。水月が一緒に行ってくれるかどうかではなく、水月の怪我がちゃんと治るのか、急に不安になったのだろう。それは表情を見たら、すぐに分かる。


 だから、水月はできるだけ安心させるため、明るい声を出すように頑張った。


「常連って…そんなに通ったの?」

「居心地良くて」

「なら、私も行きたいな。一緒に行こうね」

「うん」


 穂村が嬉しそうにうなずく姿を見て、水月も嬉しい気持ちになる。ただ、その気持ちが強くなればなるほど、罪悪感も強くなる。


 ズキンと痛む胸を誤魔化すように水月は割引券に目を落とす。

 フクロウカフェ――その言葉を思い出し、水月はそこに書かれた店名に首を傾げた。

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