亀が亀を含んで空気が淀む(5)

 指を持っていかれるかもしれないと、慎重の上に慎重を重ねて行動していた幸善達を嘲笑うように、四人の前から相亀の姿が一瞬で消えていた。


 あまりに突然すぎる出来事に、幸善達は何も言えずに立ちつくしている。ゆっくりと顔を動かしてみると、同じような表情をした美藤達が同じように顔を動かしている。


「何が起きたの…?」


 美藤が引き攣った表情で聞いた瞬間、カミツキガメの首がグンと伸び、美藤の方に頭を向ける。そこで目でも合ったのか、美藤は小さな悲鳴を上げている。


「こっち見ないで!?」


 美藤がカミツキガメに拒絶の言葉を投げかけ、カミツキガメの前から逃げ出そうと走り出した瞬間、カミツキガメの口がぽかんと開いた。


 これだ。この後に相亀が吸い込まれた。

 そう幸善が思い出した直後、カミツキガメが掃除機みたいに空気を吸い込み始める。池の水や漂う木の葉や飛んでいる虫が吸い込まれ、口の中に消えていく。


 その仕組みや口の中に消えたものがどこに行ったのか分からないが、カミツキガメの口の中から相亀の声が聞こえてこないところを見ると、そこにはもういないのかもしれない。相亀はもういないのかもしれない。


 相亀と同じく向こうの世界に飛ばされそうになった美藤は、早々に逃げ出していたことが功を奏したようで、相亀のようにカミツキガメに吸い込まれることなく、池に尻餅をついていた。


 流石のカミツキガメも一吸いが限界のようで、転んだことで吸い込みから逃れた美藤を吸い込みに行くことはできないようだ。何も吸い込まずに吸い込むことをやめて、今度は浅河の方に首を伸ばしている。


「うわっ…こっち見たんだけど…」


 浅河が嫌そうな声を出した瞬間、カミツキガメの口がぽかんと開いた。普通なら噛みつかれると怯えるところだが、浅河は吸い込まれると怯えて逃げ出す。

 もちろん、その怯えに間違いはなく、浅河が逃げ出した途端、カミツキガメの吸引が始まる。さっきまでと吸引力が変わらないところを見ると、カミツキガメはサイクロン方式なのかもしれない。


 カミツキガメが浅河のいなくなった空気を吸い込み始めている。その様子を眺めながら、幸善は冷静に考える。


 この間に捕獲できるのではないだろうか。その思いがムクムクと湧いてくる。


 見るだけだとカミツキガメの吸引の容量や原理は一切分からないが、吸い込む間に動けないことは美藤を追いかけて吸い込まなかったことから分かることだ。すぐに吸い込みをやめないところを見ると、吸い始めてから吸い終わるまで硬直している時間があるのかもしれない。


 この吸い込みの間はカミツキガメも無防備になっている――のかもしれない。そう思ったら、この間に捕獲するのが正解な気がしてくる。

 幸善はカミツキガメの背後から、ゆっくりと近づこうとした。


 その瞬間、カミツキガメの首がグインと動いて、幸善の方を向いた。


「いや、こっち向けるのかよ!?」


 驚いた幸善が慌てて横跳びした瞬間、その幸善がいた場所の空気が全て吸い込まれていく。あのまま、そこに立っていたら、幸善は相亀っていたことだろう。

 そのことに恐怖を覚えている間に、カミツキガメは吸い込むことをやめていた。


 荒っぽいことはしたくなかったが、これはもう荒っぽいことをしてでも、カミツキガメを止めないといけないかもしれない。

 幸善がそう思い始めた直後、カミツキガメが再び浅河を見た。


「何で、また私なのよ…!?」


 浅河が不満をぶつけるようにカミツキガメに言葉を投げつけた瞬間、カミツキガメの口がぽかんと開く。それを見た浅河が拒絶するように手を伸ばしていた。


「こっち見るな!!」


 突き出した浅河の掌から仙気の塊が飛んでいく。そのサイズが結構大きいことに幸善が驚いた直後、カミツキガメが吸い込みを始めようとする。


 それが結果的に噛み合い、浅河の飛ばした仙気がカミツキガメの口の中に飛び込んだ。


 数秒間、鼓膜が破れたかと思うほどの静かな時間が漂い、不安に思った直後、吸い込もうとしたまま動かなかったカミツキガメの腹の中が爆発した。カミツキガメの口の中から爆発音と煙が溢れてきて、カミツキガメは白目を剥いている。


「と、止まった…?」


 浅河が小さく呟く中、カミツキガメに近づいた幸善がカミツキガメの失神を確認する。


「動かなくなったみたい…」


 その一言に美藤達もホッとしたような顔をしていた。


 ただ幸善だけはカミツキガメの捕獲に隠れた一つの事実に気づいていた。


 仮に相亀がカミツキガメに吸い込まれて、その先で生きていたとすると、そこに浅河の仙気が投げ込まれ、カミツキガメが気絶するほどの爆発が起きたということになる。

 もしそうなったら、そこにいた相亀が無事であるのかどうか。幸善は考えてみてから、両手を合わせる。


「何で手を合わせてるの?」

「尊い犠牲に…」


 幸善のその一言で美藤達もようやく気づいたのか、幸善と同じようにカミツキガメに向かって手を合わせている。


 生死不明の相亀が幸善達の気持ちの中で死亡した瞬間だった。

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