秋刀魚は鋭く戦車を穿つ(2)

 どれだけ殴られようと風を起こせば、相亀を思いっ切り吹き飛ばせる。その気持ちだけで屈辱的な防戦に耐え続ける幸善だったが、少しずつ痛みよりも怒りが耐えられないほどに溜まってきていた。何かが吹き出しそうな予感が刻々と膨らんでいる。


 そして、その何かが我慢できないくらいに膨らんだ直後、破裂する気持ちと一緒に幸善は大きく左手を振るっていた。


「何も起きないじゃねぇーか!?」


 一瞬の風も吹かなったことに行き場を失った怒りのまま、幸善が相亀を全力で殴っていた。


「痛っ!?何で殴るんだよ!?」

「逆にあれだけ殴って、何で殴られないと思ったんだよ!?」


 幸善と相亀が睨み合い始め、一触即発な雰囲気に包まれたことで、苦笑しながら冲方が間に入ってくる。


「まあまあ、そこで止まろう。これはちょっと無理があったかもね」

「一通り、やっておいて無理はないでしょう?こっちは殴られてるんですよ?」

「俺もそう思いますよ。冲方さんも殴られてみますか?痛いですよ?」

「冲方さん。謝りましょう」

「ごめんなさい」


 水月が間に入り、冲方が頭を下げたことで、幸善と相亀はようやく落ちつき始める。冷静な頭になっていくと、疑問に思うことは今回の検証の結果だ。


「だけど、どうして風が起きないんですかね?」

「何かリミッターみたいなものがかかっているのかもしれないね」

「リミッター?」

「そう。倒れたくらいだから、もしかしたら、頼堂君の身体には負担が大きくて、本能的に使わないようにしているのかもしれない。もしそうなら、また同じくらいの危機的状況になったら、勝手に使えたりするかもね」

「それって、また人型ヒトガタと遭ったらってことですか?」

「それだけじゃないけど、それもあるね」


 幸善は露骨に嫌な顔をする。あれだけの命の危機をまた味わうことになるのは死んでも避けたい。というか、次に味わう時は恐らく死ぬ。


 そう思っていたら、幸善は保留にしている問題のことを思い出した。

 そろそろ、答えを出さないといけない。そんなことを思った直後、冲方がスマートフォンを取り出し、時間を確認している。


「ごめん。私はそろそろ行かないと」

「何かあるんですか?」

「頼堂君と戦った例の人型が、最近急増していた失踪事件と関与していたことが分かってね。その事後処理に駆り出されてるんだよ」

「ああ、あれって人型が原因だったんだ」

「でも、何で冲方さんが?」

「この前、相亀君が捕まえた密輸組織があるでしょう?その組織が密輸した動物の中に妖怪も交ざってて、例の虎もその一つみたいでね。そっちにも人員が割かれてて、今はQ支部も手一杯なんだよ」

「それで暇な冲方さんが駆り出されたんですね」

「君達の中で私はどういう立場?」

「いつもTシャツ姿の半ニート」

「いつも寝癖頭の暇人」


 幸善と相亀の評価に冲方は傷ついた心を隠せないまま、仕事のためにQ支部に帰っていった。牛梁も虎の一件から回復していない有間ありま沙雪さゆきの治療の手伝いがあるらしく、冲方と一緒にQ支部に戻るようだ。

 そうなると、残されるのが幸善達三人なのだが、三人だと仙技の特訓もできない上に、三人に任された仕事もない。


「帰ろっか」


 水月の提案に幸善と相亀は大人しくうなずき、三人で家に帰ることになった。


 とはいえ、幸善の家は公園から近いので、水月と相亀を見送ることになると思った直後、聞きたいことがあったことを思い出す。


「そういえば、二人は人型のことを知っていたんだよな?」


 水月と相亀が幸善を見てうなずいている。当たり前のことだが、二人は知っていたとなると、幸善の先を二人は歩いているということだ。


「二人は人型と戦うことを怖いと思わなかったの?仙人を続けるって、どうして思えたの?」

「私は親がいないから、自分で稼がないといけないし、それに…ううん。それが大きいかな」


 幸善は水月の両親の話を思い出し、水月が飲み込んだ言葉を察した。そのことについて思うことはあるが、それを水月に言えるほど、幸善は立派なものではないので、特に何も言えない。


「相亀は?」

「俺は別に何も思わなかった」

「はあ?何も?」

「これまで知っていた妖怪だって、同じくらいに危険な妖怪はいるかもしれないだろう?それと同じことだから、踏み込んだ段階でそのことは覚悟してる」

「けど、通りすぎる人が人型かもしれないとか、そういう怖さはあるだろう?」

「そんなの普通のことだろう?」

「普通?」


 あっけらかんと言ってのける相亀に幸善は唖然としてしまう。その表情を見たのか、相亀が呆れたように溜め息をついている。


「お前は通りすぎる人がどういう人なのか分かって生きてきたのか?」

「い、いや、知り合い以外は分からないけど…」

「なら、その中に犯罪者がいる可能性は?人混みを歩いていて、その中にナイフを忍ばせた通り魔がいる可能性は?そんな可能性をいちいち考えて生きてるのか?俺は気にしたことがない。それと何が違うんだ?」


 相亀の言葉は酷く当たり前のことだが、言われてみるまで幸善が気づいていないことだった。

 可能性だけなら、危険なことは日常の中に山ほどある。歩道を歩いている時に車が突っ込んでくる可能性は考えないし、災害に襲われることだってある。可能性があるだけで気にし始めたら、息をしていることすら気を遣わないといけなくなるはずだ。


「そんなの考えるだけ馬鹿だ。他にもっと考えるべきことがあるはずだ。少なくとも、俺のできることは限られた奴にしかできないことだから、俺が仙人を辞めるのは無責任だと思った」


 そう自分自身の考えを言った相亀を見て、幸善と水月はきょとんとしていた。その様子に気づき、途端に恥ずかしくなったのか、相亀の顔が一気に真っ赤になる。異性に抱きつかれている時と同じ反応だ。


「凄い…相亀君がそんなに真面目に考えていたなんて知らなかった…」

「お前、ちゃんとしてるんだな」

「やめろ!?そんな目で俺を見るな!?」


 盛大に狼狽えた相亀が逃げるように走り出してしまった。その後ろ姿を見つめてから、幸善と水月が揃って笑い出す。


 気づいたら、幸善の迷いは消えていて、どうしたいか答えが決まっていた。その答えを明日話そうと思いながら、幸善は水月を見る。相亀がいなくなった今となっては二人きりで、水月を家まで送る人は幸善しかいない。


「水月さん、家まで送るよ」

「え?でも、頼堂君の家って近いんだよね?」

「自分にしかできないことをやらないのは無責任だって、誰かに聞いたから」


 幸善がそう言ったら、水月はくつくつと笑い出した。


「分かった。お願いします」


 水月に言われて、幸善は水月と一緒に歩き出す。

 。幸善の気持ちは固まっていた。

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