節制する心に迷いが吹き込む(16)

 奇隠で仙人を続けるか、仙人を辞めるか。その問題に対する答えが出ないまま、幸善は放課後を迎えていた。愛香のことも心配だったが、朝以降も東雲に連れられ、何度か愛香に逢いに行ってみると、意外と普通に過ごしていることが分かり、その心配も杞憂だったと幸善だけでなく、東雲も思っているようだった。


 そうなると悩みは一つに絞られるのだが、だからと言って、考えがまとまるわけでもなく、幸善は気づけばQ支部に到着してしまっていた。結局、答えが出なかったと思いながら、演習場を覗いてみると、そこには幸善以外の冲方隊の四人が揃っている。

 幸善が人型ヒトガタと接触した。その報告は愛香の一件に関わった冲方だけでなく、他の三人にも伝わっていたようで、幸善が顔を見せるなり、水月みなづき悠花ゆうかが驚いた顔で駆けつけてきた。


「頼堂君!?大丈夫なの!?人型と戦ったって聞いたけど?」

「ああ、うん、まあ…何とか」


 薫との戦いで負ったダメージは疲労に近しい蓄積の仕方をしていたが、それも休日を潰した休息の結果、ほとんどなくなっていた。もちろん、その前からの怪我の影響もあり、身体は完全な状態とは言えないが、怪我や疲労という部分に関して言えば、もう既に問題ない状態になっている。

 あれだけの力を持った薫と戦い、それだけで終わっていることは改めて考えても、奇跡に近いと幸善は思う。


「意外と元気だな」


 揶揄っているのか、驚いているのか分からない口調で、相亀あいがめ弦次げんじが言ってくる。


「それは俺も思った」


 薫の最初の攻撃は軽い事故くらいの衝撃があった。普通だったら骨が折れていたり、折れないにしても罅が入ったりくらいはしそうなものだ。それがなく、週末の休息だけで回復したことに幸善自身も驚くところがあった。


「完璧とは言えないながらも、仙技を使えるようになったからかもしれないね」


 冲方と牛梁が幸善に近づいてくる。感心したように呟く冲方の隣で、牛梁が黙って幸善の前まで来て、黙ってペタペタと身体を触ってくる。


「あの…?牛梁さん…?」

「問題なさそうだな」

「ああ、はい…それはいいんですけど、一言言ってもらっていいですか?」

「ああ、すまない」


 牛梁が幸善から離れた直後、その様子を眺めていた水月が聞いてくる。


「けど、どうして大丈夫だったの?」

「そう。その報告を聞かないとね」

「あの日、あったことですよね…」


 幸善は既に冲方に話した愛香の行方が分からなくなったことから始まり、知り合いだった薫が人型と判明したこと、愛香を発見したこと、そこで薫と接触したことを順番に話していく。


「それで俺が人型のことを知っているって知られてしまって、ボコボコにされました」

「あれ?何か死ぬ流れになったけど?」

「完全に死ぬ流れだった」


 改めて思い返してみても、身体が震えてくるほどに、あの瞬間の絶望は鮮明に残っている。


「けど、何か風が吹いたんですよね」

「何で急に詩的表現なんだよ」

「違う。本当に風が吹いたんだよ、左手から」


 相亀のツッコミに反論しながら、幸善が左手を突き出すと、冲方が怪訝げに覗き込んでくる。


「どういうこと?」

「左手から風を起こせるようになったんです。しかも、突然」

「それって、どんな感じだった?」

「どんな感じ?何か…仙気が風になっている…みたいな感じでしたよ?」


 幸善がそう話すなり、冲方は考え込むような素振りを見せていた。何か思い当たる節でもあるのだろうかと不思議そうにしていると、相亀も同じことを思ったのか、同じように不思議そうな顔をしている。


「ちょっと、今やってみてくれる?」

「え?今ですか?」

「うん、そう」

「いいですけど…どうして?」

「それが本当に仙気を変換して起こした風なら、それはがあると思うんだよ」


 その一言に幸善だけでなく、冲方以外の全員が驚いていた。仙術と言えば、今は奇隠のトップである三頭仙さんとうせんくらいしか使える人がいないという代物だ。それを幸善が使ったとしたら、それは一大事とも言えることだ。


「いやいや、ないですよ」

「そうそう」


 あり得ないと否定する相亀に幸善も同意する。


「何でお前も乗っかるんだよ…?」

「いや、普通に考えて、他の仙人…それこそ、冲方さんが使えないものを俺が使えると思えないし」

「けど、仙気の性質を別の物質に完全に変換するというのは、仙術の大きな特徴の一つだよ。それができないから、他の仙人は仙術を使えていないんだから」


 そう言われて幸善はつい自分の左手を見つめてしまう。確かにあの瞬間の感覚は仙気を風に変えていた。そのことは間違いなく、それが仙術と言われたら、仙術ということになってしまうのかもしれない。

 しかし、幸善にはどうにも実感が湧かない。


「取り敢えず、試してみてよ」

「そう…ですね…」


 冲方に見てもらえば、それが仙術かどうか、はっきりする。そう思った幸善はあの日と同じように左手に仙気を集め、その集まった仙気を風にするイメージで、勢い良く左手を振るった。


「…………あれ?」


 しかし、。幸善は不思議そうにしながら、何度も同じことを試してみるが、やはり風は吹かない。

 その様子に驚く幸善を見て、相亀が呆れたように溜め息をついた。


「何だ、嘘かよ…」

「嘘じゃねぇーよ!?何で、そんな嘘をつくんだよ!?」


 そう否定しながら、幸善は再び自分の左手に目を向ける。

 どうして風が起きないのか。疑問に思う幸善だったが、考えたところで答えが出ることでもなく、幸善はただひたすらに困惑するだけだった。

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