節制する心に迷いが吹き込む(13)

 拳を振り下ろしながら、幸善が思い出したのは葉様はざま涼介りょうすけの顔だった。妖怪は全て殺すと宣言する葉様の考えは幸善とは相容れないもので、幸善はその考えを真正面から否定した。妖怪を殺さずとも妖怪と分かり合えるはずだと幸善は考えていた。

 その考えを薫に止めを刺そうとする直前に思い出し、幸善の拳は止まっていた。そのことにノワールが驚き、慌てたように言ってくる。


「どうしたんだ!?」

「違う…俺は妖怪と殺し合いたいんじゃない…」

「何言ってるんだよ!?相手は人型ヒトガタだぞ!?」

「だとしても!!俺は分かり合う道を捨てたくない」


 幸善が躊躇っている間に、薫のダメージは回復したようだった。幸善の足を払うように身体を回転させ、幸善の体勢が崩れるなり、幸善から離れるように走り出している。


「分かったから、せめて逃がすな!!千明達まで危ない目に遭うかもしれないだろうが!!」

「それは分かってる。あの人は殺さずに捕まえる」


 崩れた体勢のまま、幸善が左手を地面に突き出し、薫との距離を詰めるために風を起こす。

 幸善の身体は走り出した薫の上に向かって舞い上がり、辿りついた空中で薫に狙いを定め、今度は空中に向かって掌を向ける。


 そのまま薫目がけて、幸善は落下した。幸善の全力の体当たりを食らい、薫は地面に倒れ込んだまま、ついに動かなくなる。起き上がった幸善が確認すると、意識を失っているようだった。


「本当に止めは刺さないのか?」


 ノワールに確認するように聞かれるが、幸善はうなずく。


「そう決めたんだ。取り敢えず、冲方さんに連絡しよう」


 そう言って、ずっと右腕で抱えていたノワールを地面に置き、冲方に連絡しようとスマートフォンを取り出そうとする。

 そこで自分のスマートフォンが壊されたことを思い出した。


「あ!?これ、どうするの!?」


 幸善が壊れたスマートフォンの破片の前に跪き、散乱した破片を手に取りながら、涙を浮かべた。幸善の起こした風で吹き飛ばされたのか、スマートフォンの部品は少しなくなっている。そのことも更に悲しさを増している。


「いや、知らんけど、奇隠に請求したら何とかなるんじゃないか?」

「本当だな?信じるからな?」

「まあ、データは戻らないかもな」

「マジかよ!?」


 幸善が衝撃を受けている間に、ノワールは倒れた薫に近づき、前足でつついている。


「つーか、こいつをどうするんだよ…?」

「まあ、待ってたら奇隠の誰かが来るとは思うけど。来なかったら、さっき時間稼ぎをしようとしていた俺達の作戦が馬鹿だったってことになるし」

「まあ、そうだよな…」


 ノワールが薫から離れる。


 その直後だった。幸善とノワールの


「え…!?」

「おい、まさか…!?」


 そう言ってノワールが鼻を動かしているのを見て、幸善も同じように鼻を動かす。薫がまだ起きているのかと思い、薫に目を向けようとしたが、そこでことに気づく。


「匂わない…?」

「そいつじゃないのか…?」


 ノワールが驚いている間に、幸善の視界は更に大きく歪み、ついにはノワールの姿も見えなくなる。景色は暗闇に変わるが、視界そのものが奪われていることではないようで、幸善自体の身体は見えている。


「何だ、これ…?」


 そう呟いた直後、幸善の視界が元に戻っていた。幸善もノワールも、例の公園近くに立っている。


 ただし、そこから消えているものが一つだけあった。


「おい、ぞ!?」


 ノワールの声を聞き、幸善はさっきまでそこで気を失っていたはずの薫の姿がないことに気がついた。慌てて周囲に目を向けてみるが、どこにも薫の姿はない。


「逃げたのか!?」

「いや、でも、確かに気を失ってたよな…?」

「そう見えたけどな…」


 薫がいなくなった理由をノワールと一緒に考えていると、不意に幸善の全身から力が抜け、その場に倒れ込む。その姿にノワールが慌てたように駆け寄ってくる。


「どうした!?何かされたのか!?」

「いや…違う…これは久しぶりの感覚だ…」


 幸善は初めて仙気を感じ取った時のことを思い出す。まだ真面な仙技も使えなかった時で、その時も同じようにぶっ倒れていた。


「仙気をどれだけ使ってるとか…気を遣ってなかったな…」


 そう後悔したように呟きながら、幸善はゆっくりと目を閉じる。奇隠の仙人がその場に到着するのは、それから数分後のことだった。

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