節制する心に迷いが吹き込む(9)
視覚を奪われた幸善は暗闇の中で、風を切る音ばかりを聞いていた。その音が何度も続き、何かが猛烈な速度で動いていることだけは分かる。その何かが何であるのかは状況を考えると分かることだ。
問題はその音の正確な位置までは分からないことだった。幸善がどれだけ耳を澄ませてみても、その音は幸善の一定距離から聞こえるばかりで、幸善の近くにいるのか、近づいているのかは分からない。
いつ、どこから、どのような形で、何をされるのか。暗闇の中で正確な状況の分からない幸善はただ身構えることしかできなかった。その恐怖は神経を確かにすり減らすが、タイミングが分からない幸善に気を緩められる瞬間はない。
一瞬でも気を緩めたら、その瞬間に攻撃を受ける。その状況は薫の攻撃を真正面から受けていたさっきまでの時間よりも、幸善の体力を奪っていた。
不意に風を切る音が近づいてきた気がした。そのことに驚いた幸善が腕を上げた瞬間、その腕に何かがぶつかってくる。
殴られたのか。蹴られたのか。分からないながらも、必死に両腕に力を込めた幸善を無視するように、そのぶつかってきた何かが幸善の上に乗りかかってきた。その唐突な重さに幸善は背後に転びそうになりながら、その重さの正体に気づく。
「ノワール!?」
「馬鹿野郎!?ぼうっとしてるんじゃねぇーよ!?こっちは殺されそうになっているんだぞ!?」
そのノワールの声に続き、猛烈な速度で風を切る音が続いてくる。幸善は右腕でノワールを抱きかかえ、咄嗟に自分の身体で庇っていた。何も考えていない反射的な行動であり、その行動に意味があるのか、行動してから気がついたが、その時には既に遅く、風を切る音が幸善の目の前にまで迫っている。
終わったかもしれない。そう思いながら、幸善は開いていても意味のない瞼を閉じた。
しかし、そこで風を切る音はピタリとやんだ。幸善はノワールを抱きかかえたまま、状況の一切が分からず、ノワールに囁くように聞く。
「どうなった…?」
「お前を殴りかけて、拳が止まった…それから、お前の様子をじっと見てる…」
「何で…?」
「知るか…」
「先にその子を始末しようと思ったんだが、意外と厄介だな。そうやって庇われると仕方がない。先に君の意識を奪おうか」
そう言って、薫が動く気配が分かった。空気の動きに微かな音、何より薫から漂う独特な気配が幸善の前で動いていると知らせてくる。まさか、これが妖気を感じ取ることなのだろうかと幸善は思ったが、そうではないようだった。
次の瞬間、幸善はまだ動いていた左足で地面を蹴り、前方から聞こえてくる猛烈な風を切る音を聞いていた。
その最中、幸善はノワールに聞く。
「どうして、あの攻撃から逃げられたんだ?」
「何か知らないけど、あいつからは変な匂いがずっとするんだよ。その匂いを意識していたら、あいつの動きを避けられてたんだ。狙って避けたわけじゃない」
「匂い…」
幸善は佐崎や山の動物が操られていた事実と、そこから漂っていた匂いの存在を思い出す。それらが重要なことだとすると、薫の妖術はその匂いが関係している可能性が高い。
試しに幸善が周囲を嗅いでみると、微かだが独特な匂いを感じ取ることができた。気づかない間にこの匂いを嗅いでいたことで、幸善の右足は封じられ、両目は使い物にならなくなったのかもしれない。
しかし、そのことが分かっても、幸善にはどうすることもできない。
そう思った直後、幸善は気がついた。
「待てよ。ノワール。お前は相手がどこにいるのか、どこから来るのか分かるんだな?」
「ああ。匂いがあるからな」
「なら、教えてくれ。俺が何とか逃げ回る」
「はあ?そんなので行けるのか?」
「分からないけど、俺には殺すではなく、意識を奪うって言ってきたから、多分、殺すほどの攻撃はしてこないはずなんだ。片足でも俺が逃げ回った方が逃げられる可能性は高いと思う。後は奇隠が
「分かった…取り敢えず、あの人型の場所をお前に教えたらいいんだな?」
「頼む」
「なら、正面。もう目の前に来る」
ノワールのその発言の直後、幸善の耳が目の前で停止した風を切る音を拾っていた。
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