節制する心に迷いが吹き込む(8)

 耳持ち。耳を持っている。言葉の意味をそのまま捉えるとそういうことになるが、耳を持っていると殺せないとは意味が分からない。

 幸善が言葉の意味を考えていると、その考えているということが薫に伝わったようだった。


「君には分かるのだろう?あの妖怪の言葉が」


 そう言って薫はノワールに指を向けていた。ほんの少し前に会話をしていて、言葉が分からないとも言えない。幸善は黙ったまま、うなずいてみせる。


「たまにいるんだ。妖怪の声が分かる人間が。俺達はそう言った人間を耳持ちって呼んでいる。妖怪の声を聞き取れる耳を持っているからな」

「その耳持ちは殺さないのか?」

「いや、だな。寧ろ、耳持ちは


 ほんの少し前とは全く違う薫の発言に幸善は身構えた。その咄嗟の防御行動を見て、薫はかぶりを振っている。


「それはあくまでの場合だ」

「普通の耳持ち…?」

「耳持ちっていうのは、その原因がある。大概は妖怪と長く触れ合っていたとか、生まれてくる前や直後に妖気を酷く浴びたとか、本来は遠い存在であるはずの妖怪と偶然にも近くなってしまったから声が聞こえる。それが普通の耳持ちだ。そういう耳持ちは基本的に殺す」


 薫が喉元を掻っ切るようなジェスチャーをする。その動きに幸善は唾を飲む。


「そうしないと俺達からすると厄介だからな」

「耳持ちの存在が…?どうして…?」

「俺からの攻撃に疑問を懐かないところを見るに、俺達の目的は知っているんだろう?」

「人間を滅ぼすこと…」

「そうだ。そうなると、必然的に仙人や人間が敵になる。それは別にいい。それは分かっていることだ。だが、そこに耳持ちがいるとどうなる?君なら分かるだろう?ちょうど君と犬の関係があるのだから」


 幸善とノワールの関係。それは人間と犬の関係であり、仙人と妖怪の関係であり、飼い主の兄と飼い犬の関係であり、互いに理解はしている友人に近しい関係だ。少なくとも、幸善と薫のように明確な敵対関係にはない。

 そして、それは薫の言う耳持ちとしての力があってのことだ。幸善とノワールは互いの言葉が分かるからこそ、この関係を維持している。


 そこまで考えると、薫達人型ヒトガタが耳持ちの何を危惧しているかは想像がつく。


「人型以外の妖怪との敵対…」

「そういうことだ。だから、耳持ちは殺す」

「でも、さっきは俺のことを…」

「ああ、君は殺せない。何故なら、君はから」

「違う…?何が…?」

「君には他の耳持ちのような。妖怪を知ったのは最近のことで、それ以前の妖怪の接触は見られなかった。母体にいる間もそうだ。母親にそういったことは起きていない」

「し、調べたのか…?」

「まあな。手段は豊富なんだ。ただし、分かったことは君が耳持ちになる理由がないということだったけどな。そうなると、君は殺せなくなる」

「どうして…?」

「君を殺せば、君という耳持ちはいなくなる。だが、君が耳持ちになった理由は一生分からない。仮に君と同じ方法で耳持ちが生まれたら、その根本的な原因を俺達は潰せないまま、仙人や人間に妖怪と協力する手段を明け渡すことになる。それは面倒だから避けたい」


 つまり、幸善が耳持ちになった理由が分かるまで幸善は生かし、その理由が分かったら、その理由ごと幸善を始末する。そうすることで、この問題は解決する、と人型は考えているようだ。


 それは幸善の命が助かることを意味しているが、そうなると薫の行動の一部がリカバリーできないことになる。薫が名乗ったこともそうだが、こうして耳持ちの説明をしてくれたことも、良く考えてみるとおかしい。

 そう思っていると薫は口調を変えることなく呟いた。


「だから、君は殺せないけど、殺さなければいいだけだ」


 何かされる。死んでいなければ問題ないと言わんばかりの何かをされる。そう思った幸善が立ち上がり、とにかく薫から離れようとした。


 その時、右足に力が入らないことに気がついた。まるで長時間正座をした後のように右足だけが痺れている。


「ちゃんと効いたようで安心だ」

「何をしたんだ…?」

「身体の感覚を少しずつ奪うだけだ。もちろん、生命維持は可能な状態にするから、奪えるのは四肢の感覚と、後はかな?」


 薫がそう呟いた直後、幸善の視界がぼやけ始める。何だと思いながら、目を瞑った幸善が目を擦る。


 そして、再び目を開けたところで、目の前が真っ暗になっていることに気がついた。


「え…!?」


 突然の変化に動揺した幸善は立ち上がろうとし、バランスを大きく崩して転んでしまう。右足に力が入らないことを忘れていたと思いながら、地面を両手で押し返そうとして、その眼前にあるはずの地面やどこに置いてあるか分かる手も、一切見えないことに気がついた。


「目が…?」

「ああ、どうやら、を奪ったみたいだな」


 暗闇の中から薫の声が聞こえてくる。

 その瞬間、幸善は血の気が引くほどの恐怖を覚えていた。

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