虎の炎に裏切りが香る(16)
葉様と佐崎がどのようにぶつかっているのかを傍から見ている瞬間は分からなかったが、葉様に生じた隙を潰すように、佐崎に向かって蹴りを噛まそうとした時に、幸善はようやく葉様と佐崎の違いの一端に気づいていた。
軽々と幸善から離れていく佐崎を見てから、隣にいる葉様に目を向ける。葉様は肩で呼吸をし、構えた刀は上下に動いている。それに反して、佐崎は未だに荒れた息の一つもしていない。
その違いの根本にあるのは体力ではなく、身体の使い方だ。佐崎に反して、葉様の動きには幸善でも分かる無駄な要素が多い。それが幸善の潰している隙に繋がっており、佐崎が一人で戦っていても隙を見せない理由にも繋がっている。
つまり、葉様と佐崎の差を埋めるためには、葉様の動きを佐崎くらいに洗練されたものにすればいい。
そう思ってから幸善はかぶりを振った。どう考えても無理だ。幸善にどうこうできる話ではない。
葉様と佐崎が再び刀を交え始め、山の中に音が響き始める。その姿を見ながら、幸善は冷静に考えていた。
葉様の動きに関与することは不可能に近い。それは葉様の動きの練度を上げることが幸善にできないという意味も含まれているが、何より、葉様の動きを高められるほどに幸善と葉様が協力できるとは思えなかった。考え方の違いは行動の違いにも現れ、咄嗟に合わせられるほどに息が合ったものにはならない。
圧倒とは行かないまでも、葉様が苦戦していることは見ているだけでも分かるほどだった。それだけの差をその場しのぎの協力で埋められるとは思えない。
そうなってくると、幸善にできることは葉様にはなく、佐崎の方にあると幸善は思った。葉様の動きを高めるのではなく、佐崎の動きを止める方が手っ取り早い。
何より、それはさっきから葉様の隙を潰す行動としてやっていることだった。
そのタイミングを見計らおうと幸善が葉様と佐崎に目を向けた直後、葉様の動きが鈍っていることに気がつく。明らかに佐崎の刀を避ける動きが遅くなっている。
そう思った瞬間、佐崎の刀が葉様に触れかけた。葉様は間一髪のところで躱しているが、完璧に躱すことは不可能だったようで、葉様の額から頬を流れるように赤い線が伸びている。
佐崎の腹を蹴飛ばし、葉様が佐崎と距離を取ってから、切れた額から流れる赤い線を手で拭っている。その間にも、葉様は呼吸を整えようと息を深くしていたが、一向に肩は上下をやめない。
完全に葉様は疲労が溜まっている様子だった。無駄な動きの積み重ねに、山の中という慣れない足場も重なり、その疲労は本人が思っているよりも本人の動きを鈍らせているはずだ。妖怪を全て殺すと息巻いていた割に、そこまで佐崎に苦戦するのかと幸善は言いたくなったが、今はそれどころではない。これ以上の時間をかけると、佐崎が葉様を斬りかねない。
葉様が佐崎を斬ることと同じくらいにそれだけは避けたいと幸善は思っていた。
一度、葉様を止めるべきかと幸善が思った直後、葉様が動き出していた。その目の鋭さに変化はないが、自分の身体の限界に気づいているのか、佐崎に距離を詰める身体の動かし方や刀の振るい方が大きく変化している。
明らかに急いでいる動きだ、と流石の幸善でも判断できてしまい、そのことに危うさを感じた瞬間、葉様が佐崎に刀を振るっていた。その動きは幸善には分からなかったが、刀を扱う者にとって不意を突いた動きだったのか、佐崎は反応できずにその刀を受けそうになっていた。
その姿に幸善は咄嗟に動き出し、葉様の刀を止めようとする。
「待て!?」
葉様に佐崎を斬らせるわけにはいかない。その思いから叫ぶが、葉様の刀は止まらない。
そう思った瞬間、葉様の刀が明らかに動きを鈍らせた。それが時間を作ってしまったのか、佐崎は上体を逸らし、葉様の刀を躱してから、大振りで無防備になった葉様の身体に向かって刀を突き刺す。
その直後、血飛沫が舞い、葉様が驚いたように口を開けていた。
「何故?」
そう呟く葉様の前で、幸善は自らの左腕に刺さった佐崎の刀を、右手で必死に掴んでいた。これ以上突き刺さっても、引き抜かれてもいけない。その瀬戸際で必死に抵抗する。
「いいから、分かってるんだろう!?」
佐崎の刀を止めたまま幸善が聞くと、葉様は本当に小さく「五月蝿い」とだけ言っていた。
そこから、刀を止められて攻撃手段を失った佐崎に向かって、葉様が勢い良く刀を振るう。その刀が佐崎に的確にぶつかり、佐崎は地面に倒れ込んでいた。幸善が左腕に刺さった刀を抜きながら、倒れ込んだ佐崎に目を向けるが、佐崎には傷の一つもない。
「俺の考えに変わりはない。ただ殺すのは妖怪だけで仙人は違う。それだけのことだ」
幸善が振り返ると、そう答えながら葉様が綺麗なままの刀を鞘に仕舞っていた。その姿に幸善は呆れたように笑ってから、左腕を襲う激痛に顔を歪める。
「とにかく…有間さんを連れていかないと…」
痛みに耐えながら、幸善が有間の方に目を向けた直後、近くの枝葉が微かに揺れた。その動きに幸善と葉様が反応し、葉様が刀を引き抜こうとした瞬間、聞き慣れた声が聞こえてくる。
「頼堂君!?大丈夫!?」
それは水月だった。その後ろには傘井や杉咲、皐月もいて、幸善はほっと安堵する。
「啓吾…!?」
気絶した佐崎に杉咲が駆け寄り、気絶しただけだと分かったのか、ほっとしている向こうで、皐月が慌てて有間に駆け寄り、さっきまでの無表情さを崩していた。その様子に流石の傘井も気づいたのか近づいていき、有間の腹部の傷に驚いている。
「これは…」
「早く治療を…まだ息はあります…」
幸善の言葉に傘井はうなずき、慌てて有間を抱え上げると、咄嗟に連れ出している。その姿を見送ってから、幸善は水月の手を借りて立ち上がっていた。左腕からの出血はそれなりで、足がふらついてきている。疲労が溜まっている葉様も同じなのか、佐崎の意識を奪ってから、座り込んだまま動けなくなっているようだ。
「何があったの?」
不意に杉咲がそう聞いてきた。葉様が何か答えるかと思い、幸善は目を向けてみるが、何も答える様子がなく、代わりに幸善が表情を歪めながら言う。
「後でもいい…?ちょっと説明すると、長くなるから…」
「分かった」
そう呟いた直後、杉咲が何かに気づき、佐崎に顔を近づけている。
「どうしたの…?」
「何でもない」
そう言って顔を上げてから、杉咲は佐崎を連れていこうとしていたが、うまく持ち上げられない様子だった。杉咲が苦戦していると何も言わずに葉様が近づいてきて、杉咲の手からそっと佐崎を奪い取る。
「戻るぞ。もたもたするな」
そう言って呟く葉様を見て、杉咲が驚いた顔をしていた。それは水月も同じだったのか、隣でそっと水月が聞いてくる。
「何があったの?」
その問いに幸善は微かに笑みを作りながら、首を傾げていた。
「さあね…?」
葉様の考えに変化はなかったが、そこに見えた微かな違いに、幸善は一定の満足感を得ながら、他のみんなと合流するために歩き出していた。
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