虎の炎に裏切りが香る(15)

 皐月にとって戦いの場における役割は攻撃を受けることだった。強力な盾を持つ皐月にはそれしかできないこともあったが、何より、強力な盾はそれ自体が凶器になっていたからだ。あらゆる状況で咄嗟に盾を作り出す。

 それが本能としてあったのか、鹿を目の前にした皐月は気づいたら、両手を上げて盾を作り出していた。見えない気の盾とぶつかり、鹿がぐったりと倒れ込んでいく。その姿を皐月はゆっくりと眺めていた。


 そして、その直後、頭の中で『クビ』の二文字が流れていった。無表情ながらも焦りの汗を掻きながら、皐月があたふたしていると、そのことに傘井が気づく。


「皐月さん…?」


 不意に声をかけられ、皐月はピタリと固まっていた。


「大丈夫…?」


 接合部の錆びた機械のようにぎこちなく、皐月が傘井の方に顔を向ける。


「は、はい…」


 水月と杉咲が熊の攻撃を避けている間に、傘井が皐月に近づいてきて、その近くに倒れている鹿を確認していた。ぐったりと倒れ込んだ鹿に触れたり、顔を近づけたりする傘井を見て、皐月の心臓は鼓動の速さを増していく。


「そ、その…つい、盾を…」

「気を失っている…」


 鹿の意識がないことを確認し、傘井が皐月に目を向けてきていた。その目に皐月の緊張は高まっていく。何を言われるのかと、表情にこそ現れないがドキドキして待っていると、ゆっくりと傘井が口を開いた。


「これなら、セーフかも…」

「え…?」

「二人共、外傷を作らないように意識を奪って。そうしたら、熊を止められるから」


 傘井にそう言われ、熊が目の前にいるのに、二人は傘井の方に目を向けてしまっていた。その表情は共に驚きを見せている。


「でも、さっき動物を攻撃したらクビだって」

「斬ったら流石にね。けど、外傷を残さなかったら、気を失ってても何とでも誤魔化せるからセーフ」

「大人としてはアウトな発言」


 杉咲の的確な指摘に水月は苦笑いを浮かべていた。その間も熊が止まってくれるわけではないので、水月と杉咲に向かって熊は向かってきている。


 熊の狙いは正確だったが、動きはあくまで獣のそれだった。攻撃は単調で推測しやすく、避けること自体は楽であり、そのことに困ることはなかった。

 水月と杉咲も攻撃自体には問題性を感じていなかったが、元々山に生息している動物ということで攻撃できない点は何よりも問題だった。いくら攻撃を躱せても、躱し続けていたら解決するわけではない。


 そこに僥倖とも思える傘井の発言が飛び込んできたのだが、それで解決するわけもなかった。外傷を残さずに意識を奪えばいいと傘井は簡単に言っていたが、それが楽なはずがない。

 思いつく最も簡単な方法は熊の気道を圧迫し、呼吸を止めることで意識を失わせる方法だが、熊の首を絞められる人間がいるのなら、その人に合わせて欲しいくらいだ。いくら仙人でも、その部分が簡単なはずがない。


 何より、二人は刀を振るって戦うことが基本であり、そのために身体を動かすことに慣れている。その一番大事な部分ができないとなると、熊を相手に時間を稼ぐこともできない。


「どうする…?」


 熊から逃れながら、水月が困ったように呟くと、杉咲は何も答えることなく、傘井と皐月に目を向けていた。


「多分、私達よりもあの二人の方が適任だと思う。だから、あの二人に止めさせるように動かす」

「動かす?」


 水月が聞いている間に杉咲は走り出し、熊の足下をちょろちょろと動き出す。その動きに目を奪われた熊が杉咲に狙いを定め、大きな手をぶんぶんと振るっているが、その手が当たる前に杉咲はその場から離れていた。

 その動きに合わせて、熊が走り出した先には、刀を構えた傘井が立っていた。


「あ、未散。やったね」


 杉咲の意図に気がついた傘井が感心したように呟く。熊から逃れるように動いていた杉咲はうまく熊の視界から逃れたようで、熊は目の前にいた傘井にターゲットを変えているようだった。

 その直線的な動きに目を向けながら、傘井は一度溜め息をついて、刀を構えている。


「え?斬るの?」


 杉咲が驚きの声を漏らした直後、傘井は熊の腹に向かって刀を振るっていた。その明らかに禁止していた行動に、水月と杉咲が驚いていると、腹を斬られた熊がその勢いのままに宙に浮き、地面に伏している。


 不思議なことに、その熊の腹からは一切の血が出ていなかった。


「え?斬ってましたよね?」

「斬ってないよ。今のは刀を振るっただけ。ぶつかったのは気の塊。練習してたんだよね。に憧れて」


 そう言って笑う傘井の前で杉咲が熊の意識の消失を確認していた。その際に顔を近づけ、杉咲は気がつく。


(独特な匂い…?香水のような……何の匂い…?)


 杉咲は立ち上がり、皐月が気絶させた鹿にも近づいてみる。その身体からは熊と同じ独特な匂いが漂ってきている。


(こっちも…?)


 杉咲が首を傾げる中で、傘井と水月が刀を仕舞っていた。そのことに気がつき、杉咲も考えることをやめて、同じように刀を仕舞う。


「取り敢えず、早くみんなを探そうか」


 そう言った傘井を先頭に、四人は幸善達を探すために、再び山の中を歩き出していた。

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