虎の炎に裏切りが香る(11)

 先に動き出したのは、虎の方だった。


 咄嗟のことで動き出せない浅河の眼前で、虎が全身から炎を吹き出していた。衣のように炎を身にまとい、浅河に飛びかかろうと四肢に力を込めている。既に冲方と傘井は動き出していたが、そこまでの虎の動きはあまりに一瞬で、二人でも間に合いそうになかった。

 浅河も虎の攻撃を躱そうとしていたら、間に合う可能性が出てきたかもしれないが、虎の炎を見てしまった浅河は頭を両手で覆いながら、丸まってしまっていた。虎の牙や爪や炎が襲ってきても、頭さえ守っていたらどうとでもなる、とは思えない。近くにいた相亀も急いで足を動かしたが、距離と元々の身体能力の差から、虎の動きには追いつけない。


 万事休す。そう思った直後だった。


 相亀の頭上を見えない風のような塊が通りすぎていった。それが虎の前にぶつかり、虎の炎の一部が掻き消される。浅河に飛びかかろうとしていた虎の足も、そのことに一瞬たじろいだのか、踏み込むことをやめていた。

 更にその塊は飛んでいき、虎の身体にぶつかっては虎の炎を掻き消していた。虎が苦しむような声を上げ、咄嗟に斜面の上の方に向かって跳躍し、距離を離している。


 そこに冲方と傘井が間に合っていた。冲方と傘井が息を合わせて振り下ろす刀に、虎が掻き消された炎を再び吹き出し、身を守ろうとしている。その炎の激しさに冲方と傘井も、うまく距離を縮められずに困っていた。


 その様子を眺めながら、相亀が振り返ろうとした瞬間、美藤と皐月が相亀の脇を通りすぎた。二人は浅河のところまで駆け寄り、座り込んでしまった浅河に声をかけている。


「仁海ちゃん!?大丈夫!?」

「だ、大丈夫…ありがとね、雫」

「ううん。無事で良かったよ…」


 そう会話する二人の姿を見ながら、相亀は首を傾げていた。一体、何が起こったのか、相亀には分からない。


「気を飛ばしたんだ」


 不意に聞こえてきた声に振り返ると、牛梁が相亀の後ろまで近づいてきていた。牛梁はまっすぐに美藤に目を向けている。


「威力はそこまで高くなかったが、弾速や連射速度はかなりのものだった」


 。相亀は傘井がそう言っていたことを思い出した。あの言葉はどうやら正しかったらしい。


「杉咲さん」


 不意に聞こえてきた声に相亀が振り返ると、相亀達に背を向けた杉咲を水月が呼び止めている場面だった。杉咲は水月に目を向けているが、その表情は無関心さを絵に描いたような、さっきまでの表情と違い、不機嫌さが目に見えている。


「何?」

「逸れたみんなを探しに行くの?」

「そうだけど。邪魔するの?」

「いや、私も行くよ」

「はあ?」


 突然の水月の発言に杉咲は困惑した顔をしていた。その会話を聞いていた相亀と牛梁も思わず顔を見合わせてしまう。


 そこで冲方と傘井が斜面を滑り降りてきた。美藤達がいた場所を通りすぎ、相亀達のいる場所までやってくる。そのことに目を向けた瞬間、傘井が焦ったように叫んでいた。


「全員、私達の後ろに隠れて!!」


 そのあまりに激しい叫びに相亀が不思議に思いながら、山の上に目を向けると、虎が炎の中に溺れるように沈んでいた。あれは何が起きているのかと思った直後、その炎がゆっくりと液体のように斜面を滑り落ちてくる。


「は、はあ…?マジ…?」


 相亀達に迫る炎は勢いを増していき、まるで雪崩のようになっていた。慌てて相亀達は冲方と傘井の後ろに向かうが、先に取り残されていた美藤達は動き出しが遅れたこともあり、迫る炎の勢いから逃れることができていない。


 このままだと、相亀達のところに来るまでに炎に飲み込まれる。そう思った直後、皐月が立ち止まり振り返っていた。

 その諦めたとも取れる行動に傘井が咄嗟に叫ぶ。


「走って!?」

「頼むよ!!」


 冲方が傘井に声をかけ、急いで走り出していたが、冲方が斜面を登るスピードよりも、斜面を炎の雪崩が下りてくるスピードの方が遥かに速かった。冲方が到着するよりも早く、炎が皐月を飲み込む。


 その寸前、皐月が両手を伸ばしていた。その両手の前に気を動かし、そこから、壁のような形で放出していく。それは実際の壁のような形になり、迫りくる炎の雪崩を左右に押し避けていた。その下にいた美藤や浅河、更にはその下にいた相亀達を避けるように、炎が流れ落ちていく。


 その様子を見ながら、流石の傘井も感心した声を漏らしていた。


「凄い…」


 崩れ落ちるように皐月が座り込んだところで、冲方が皐月のところに到着していた。座り込んだ皐月を抱えて、一度虎から距離を開けるために、斜面の下まで降りてくる。

 冲方によって連れてこられた皐月の無事を確認しながら、傘井はつい聞いていた。


「今のって、気の盾?」

「は、はい…私、あれしか仙技が使えないので」

「あれだけ?肉体の強化とかは?」

「全く…身体の外に出した気を手から切ることもできないので、気を飛ばすこともできません」


 無表情ながらも苦しそうに肩で息をする皐月を見て、傘井は驚いた顔をしていた。相亀もそうだったが、傘井でもそのような仙人の話は聞いたことがなかったのだろう。


「けど、凛子ちゃんは凄いですからね。今のだって止めたし」


 美藤が取り繕うようにフォローしていたが、傘井はそのことが分かっていないわけではなかった。単純に驚いていただけだ。


「あの、いいですか?」


 不意に水月が手を上げて、話に割り込んできた。全員の視線が自然と水月に向かう。


「私と杉咲さんで、いなくなった頼堂君達を探しに行ってもいいですか?」

「え?そんな勝手に?」


 浅河が驚いた声を出した直後、虎が斜面を転がるように下りてきて、咄嗟に相亀達は距離を開ける。相亀は牛梁や美藤、浅河と虎から逃れるように右に跳んでいたが、全員がそうしたわけではなく、反対側に向かった五人が何かを話している様子だけ見える。


「何だろ?何を話してるんだろ?」

「つーか、あの虎、こっちを見てるんだけど…!?」


 相亀が気づいた直後、虎が飛んできて相亀は咄嗟に拳を構える。近づいてきたら、一発殴って大人しくしてやろうと思っていたが、そのことを察したのか、虎は炎を身にまとい始める。


「あ、ダメだ…」


 そう呟いた直後、虎の顔が爆発した。虎は大きく背後に吹き飛び、何とか体勢を整えている。爆発で炎は吹き飛んだが、傷自体は浅かったようで、見た目的には毛の一部が焦げていることくらいしか分からない。


 その爆発の理由は流石に二度目だったので、相亀にも分かっていた。振り返ってみると、今度は浅河が手を虎に向けている。どうやら、今の一発は美藤ではなく、浅河が気を飛ばしたようだ。


「悪いけど、私は雫みたいに何発も撃てないから」

「今の威力なら、一発で十分だ。相亀」


 牛梁に声をかけられ、相亀は牛梁と一緒に虎と距離を詰める。浅河の攻撃の影響か、すぐに炎が出せない様子の虎に向かって、二人は合わせて拳を振るっていく。虎の動き自体は素早く、攻撃を当てることは難しかったが、虎の動きを制限することはできていた。


 不意に虎の向こう側で傘井達が動いたようだった。相亀と牛梁が虎の動きを制限している間に、攻撃してくれるのかと思った直後、冲方を除いて一斉に四人が斜面を下り始めている。


「ええっ!?」

「ちょっと…!?」


 虎の動きを止めることに精一杯で声を出すことができなかった相亀の代わりに、その背後で美藤と浅河が驚いてくれている。何があったのかと相亀が疑問に思っていると、一人だけ残っていた冲方が二本の刀を構えて、こちらに走ってくれていた。虎に向かって刀を振るおうとしたが、その寸前で炎が復活し、三人は吹き飛ばされる。


「冲方さん!?向こうの四人は!?」


 体勢を整えながら相亀が叫んでいた。斜面を下りていた水月達の姿は既に見えなくなっている。


「向こうはいなくなった四人を探すために別行動。虎は私達五人で相手するよ」


 冲方のその発言に美藤と浅河が分かりやすく顔を引き攣らせている。


「え…?私達も…?」

「戦いとか慣れてないんだけど…?」

「期待してるよ」


 冲方の言葉に美藤と浅河は笑おうとしていたが、乾いた笑いすら出ていなかった。

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