虎の炎に裏切りが香る(10)

 幸善は全く状況の理解ができていなかった。有間が腹から血を流しながら倒れていて、その後ろには佐崎が立っている。佐崎の手には刀が握られていて、その刀からは血が滴っている。それらの事実を何度並べても、幸善は何が起こったのか理解できない。


 いや、正確には理解はできていた。何が起きたのかは分かり切っていることだ。状況を見たら馬鹿でも分かる。


 しかし、その事実を信じたくはなかった。これは何かの間違いだと幸善は思いたい。あの佐崎が凶刃を振るうわけがない。そう思ったところで、刀から落ちる赤い雫は確かな現実の痕を残している。


 不意に幸善の後ろで葉様が動いた。まさか、この状況を無視して、さっきの場所に戻ろうかとしているのかと思い、幸善が振り返ろうとした瞬間、幸善の脇を葉様が通り抜けていく。その手には鞘に納まった刀が握られており、その事実に慌てて首を向けた幸善の前で、葉様は刀を抜いていた。


「待っ…!?」


 幸善が声を出すよりも先に、葉様が振るった刀と佐崎の握っていた刀がぶつかり、佐崎の刀から赤い雫が周囲に飛び散る。刀を振るった葉様は佐崎を睨みつけており、その刀は明らかに斬るために振るわれていた。

 その事実に幸善は動揺から咄嗟に言葉を発せなかった。葉様が刀を振り切り、佐崎の刀を押すように二人の間に距離が開く。葉様は幸善の近くまで後退し、佐崎は斜面を少し下っていた。


 そこで顔を上げた佐崎を見て、幸善は佐崎の目が自分達を捉えていないことに気がついた。ただただ虚空を眺めているような虚ろさに、幸善は佐崎の意識を見つけることができない。


 体勢を立て直した葉様が再び刀を構えようとしていた。その姿を見て、幸善は咄嗟に手を伸ばしていた。踏み出そうとしていた葉様の肩を掴み、強制的に振り向かせる。


「何やってんだよ!?」

「何、だと…?見たら分かるだろう?あいつは斬ろうとしているんだ」

「何でだよ!?何で佐崎を斬るんだよ!?」

「あいつは明確に有間沙雪を攻撃した。それは俺達の敵になったということだ」

「敵って…どこからどう見ても、あいつの意識はないだろうが!?あいつは操られてるんだよ!?」


 佐崎の虚ろな目を示すように、佐崎の顔を指差しながら、幸善は葉様に伝えようとしていた。


 しかし、葉様は幸善の想像とは違う反応を返してきた。


「それがどうした?」

「は、はあ…!?お前、何言ってるんだよ…!?」

「意識があろうがなかろうが、あいつが攻撃をしている事実に変わりはない。あいつを始末するのに、それ以上の理由はいらない」


 佐崎は操られて行動している。そのことは十分承知な上で斬ろうとしている。平然とした表情で語る葉様を見て、幸善は言葉を失っていた。

 正気ではない。壊れている。そう思うくらいに今の葉様は歪んでいる。そう分かっているのに、幸善はすぐに言葉が出てこなかった。


「手を放せ。あいつが攻撃してくる」

「意味分かんねぇーよ…お前は何でそうやって、全部を斬ろうとするんだよ…?」

「俺は妖怪を殺す。そのために障害になるなら、佐崎も斬る。ただそれだけのことだ」

「そうやって斬り続けて…!!お前は…何を残したいんだよ?」

「残す?何を言っているんだ?」

「全部斬って、どうするんだよ?そうやって、妖怪全部を敵に回して、お前の周りはどんどん危険になって、妖怪を殺すのに障害になるからって、そいつらも切り捨てるのか?家族も、友達も、何もかもを無視して、その先に残ってるのは何なんだよ?ひとりぼっちのお前が妖怪のいない世界で笑っているのか?笑えているのか?」


 幸善の問いに葉様は何も言ってこなかった。この時になって、佐崎が言っていたことの意味がだんだんと分かってきていた。葉様は分かってくれる。そう信じていられるのは、実際には葉様の頭が理解自体はしているからだ。ただ葉様はそれらから目を瞑り、盲目的にならないと行き場のない感情に押し潰されていたから、今の葉様になったのだ。


 そのことを葉様の表情から悟っても、幸善は葉様を認める気にはなれなかった。それくらいの弱さなら誰にもある。誰にもあって、そのための解決法は他にもある。少なくとも、葉様にも適用される解決法が一つは思いついている。

 だから、ちゃんとここで目を覚ますべきだと幸善は思った。


 しかし、少し俯いた葉様は小さくかぶりを振るだけだった。


「そんなことはどうでもいい…妖怪を殺す…あるのはそれだけだ…それだけが正義だ…それだけが現実だ…他には何もいらない…」

「お前…!?」


 幸善が葉様にもう一度、言葉をぶつけようとした直後、佐崎が葉様の背後まで迫ってきていた。反射的に幸善は葉様を引っ張り、一緒に後ろに倒れ込む。刀を振るった佐崎はそこから更に追撃してくるが、その一撃は葉様の刀によって受け止められていた。

 葉様が強く刀を押し出し、佐崎を突き飛ばしたところで、幸善と葉様は立ち上がる。幸善は倒れたままの有間に目を向け、それから佐崎を見る。


「取り敢えず、どちらにしても、佐崎を止める必要があることは確かだ。斬るのはダメだが、意識くらいは奪わないと。それに有間さんも…」

「急所は逸れていた」

「え…?」


 不意に葉様が呟いた言葉に幸善は驚いていた。


「佐崎の刀は急所を逸れていた。まだ息はあるはずだ」

「そうか。それなら、佐崎をすぐに止めて、助けを呼ばないとな」

「お前の指図は受けない」


 その言い方に苛立ちながらも、幸善は刀を構える葉様の隣で体勢を整える。どちらにしても、一人で佐崎を相手にできるか分からない以上、幸善は葉様と協力しなければいけない。


 この葉様と協力することができるのか。その不安だけは強く残っていたが、考える時間は残されていなかった。

 先に動き出したのは、佐崎の方だった。

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