虎の炎に裏切りが香る(1)

 軽石かるいし瑠唯るいが嬉しそうな顔でスマートフォンの画面を見せていた。画面には若い男が映っている。林檎のように真っ赤な髪をした男だ。それを見せられた飛鳥あすか静夏しずかは不思議そうな顔をしていた。


「彼氏ができたんですよ」


 そうやって飛鳥に報告する軽石は今にも蕩けそうなほどに顔を綻ばせていた。飛鳥に報告する声は軽やかに弾んでいる。


「昔のロンドンブーツを思い出させる赤さですね。何をしている人なのですか?」


 飛鳥に聞かれたことで、軽石は照れ臭そうに身を捩らせていた。


「良く行くコンビニの店員なんですよ。声をかけられちゃって」

「それは…」


 流石の飛鳥も少しの沈黙があり、言葉を失ったのかと思っていると、不意に思ってもみなかった言葉が聞こえてくる。


「運命ですね」

「ですよね!!」


(いや、何でだよ…!?)


 軽石の前の席に座り、パソコンを前にしていた白瀬しらせ按司あんじが心の中で叫んでいた。軽石と同じく、Q支部の中央室でオペレーターとして働いている仙人の一人だ。今の今まで、軽石と飛鳥の会話を軽く聞いていたが、流石に最後の二人の言葉には突っ込まずにいられなかった。

 良く行っていたコンビニの店員に声をかけられた。それはどこからどう聞いても、ただのナンパだ。そのどこに運命を感じたのか、白瀬には全く理解できなかった。


 軽石と飛鳥の楽しそうな会話はしばらく続き、それは中央室に鬼山きやま泰羅たいらが戻ってきても変わらなかった。


「仕事もせずに何を話しているんだ?」

「彼氏ができたそうです」

「そうなんですよ」


 軽石に彼氏ができたことを飛鳥が鬼山に報告し、軽石は照れたように身を捩らせる。その姿を鬼山は何とも言えない顔で見ていた。


「ああ、それはおめでとう…」


 明らかに呆れた様子で言った言葉だったが、軽石は素直にお礼の言葉を言っていた。その姿に白瀬は『恋は盲目』という言葉を思い出す。


「それよりも、頼んでいた件は分かったのか?」

「ああ、それでしたら、私は忙しいので、白瀬さんに頼みました」


 軽石から話を振られた白瀬が鬼山の方を振り向いた直後、不意に気づいてはいけなかった真実に気づいてしまった。


「あれ?ちょっと待て。お前、まさか、彼氏ができたから俺に仕事を押しつけた?」

「え?あ、はい」

「『あ、はい』じゃねぇーよ!?何だよ、その理由は!?俺はてっきり他に仕事があるのかと思っていたのに…全然そんな感じじゃねぇーな!?」

「はい。特に急ぎの仕事はないですよ」

「そうみたいですね!?」


 自分の情けなさに落胆する白瀬を見て、流石の鬼山も同情したのか、白瀬の肩に手を置いてきていた。白瀬が顔を上げると、鬼山の困ったような笑みと目が合う。


「支部長…」

「報告」

「はい?」

「調べたんだろ?報告」


 そう呟く鬼山の表情からはいつのまにか笑みが消えていた。顔を見合わせていたはずなのに、一瞬の間に消えてしまった鬼山の笑顔に、白瀬は完全に言葉を失う。

 どうやら、ここに真面な人はいないらしい。


「そ、そうですね…」


 白瀬は仕方なく、さっきまでまとめていた情報を鬼山に報告し始める。


「確定…というところまでは行かなかったのですが、最初に確認された場所から考えるに、この山ではないかと思われます」


 白瀬が鬼山に数枚の書類を渡した。書類には北信越地方にある山の情報がまとめられている。


「それと、その周辺で不可解な妖気の反応が観測されています。ただ実際に妖怪の姿が確認された報告はありません。どちらにしても、その調査は行った方が良いと思われますね」

「なるほど。ありがとう」


 鬼山が書類を手に白瀬の元から立ち去ろうとしていた。その前に再び白瀬の肩に手を置いてくる。


「その…明らかに苦労すると思うが、頑張ってくれ」


 そう小声で言いながら、鬼山は未だに楽しそうに話している軽石と飛鳥を見ていた。そのことに白瀬は涙目になりながら、力強くうなずく。

 こうして、白瀬は今日もこき使われていることに気づいていなかった。

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