鷹は爪痕を残す(1)

 相亀あいがめ弦次げんじが溜め息をついていた。酷く疲れた様子で頭を抱えて、Q支部の演習場の床に座り込んでいる。

 その様子に頼堂らいどう幸善ゆきよしは流石に心配し、どうしたのかと聞いてみると、顔を上げた相亀にきっと睨みつけられた。


「お前、あの久世くぜ界人かいとって奴、何なんだよ!?」

「何?どういう意味?」


 あまりの相亀の剣幕に幸善は引き攣った笑みを浮かべる。幸善に迫ってきていた相亀も、幸善が聞き返した途端に勢いを失い、床に萎み込むように座り込んでいる。


「何か、凄く絡まれた」

「ああー…お前、何か急に東雲しののめと仲良かったからな」

「別に仲良いわけじゃねぇーよ。ただ向こうの敵意がなくなっただけだ」

「確かに、何でかお前は敵意を向けられてたからな」

「その台詞は二度と吐くなよ。俺の鉄拳がお前の顔面に減り込むぞ」

「急に怖いこと言うなよ…」


 相亀が項垂れている間に、演習場には人が集まってきていた。水月みなづき悠花ゆうか牛梁うしばりあかね冲方うぶかたれんも揃ったところで、いつものように特訓が始まる。


 幸善はそう思っていたが、その日はいつも通り始まらなかった。


 そもそも、いつも通りの特訓なら、そこに相亀がいる必要がなかった。そのことに気づいたのは、冲方が説明を始めてからだ。


「今日は相亀君が頼堂君に教える形で進めるからね」


『はい?』


 幸善と相亀が揃って首を傾げる。冲方は冗談を言っている風でもなく、幸善と相亀を見る顔は笑顔だ。


「その方がいいと思うんだよ」

「ちょっと何を言っているのか分からないんで、もう一度、お願いできますか?」

「だから、相亀君が今日の講師ね」


 この人は何を言っているのだ、という目で幸善は冲方を見てしまっていたが、それは相亀も同じ様子だった。急にこの人は正気を失ったのか、と言いたげな目で、幸善と同じように冲方を見ている。


「冲方さん。説明が足りないから、二人共困惑してますよ」


 水月からの注意が入り、冲方は申し訳なさそうに頭を掻いている。それは冲方らしいことだが、幸善と相亀は呆れずにいられない。


「仙技には個々人の得意不得意があるんだよ。例えば、水月さんは剣とか武器に気をまとわせることが得意なんだけど、相亀君は…」

「強いて言うなら、身体能力の強化、ですかね?」

「そう。それを頼堂君に詳細に教えてもらおうと思ったんだけど、頼堂君は武器を持っていないからね。それなら、相亀君が適任だって思ったんだよ」

「もしかして、前に言ってた頼みごとって…」

「これだよ」


 冲方の説明に相亀は悩んでいる様子だが、幸善は悩むこともなく納得していなかった。ゆっくりと首を回して、牛梁の姿を確認してから、幸善は冲方を見る。


「それなら、牛梁さんでもいいんじゃないですか?牛梁さんは何が得意ですか?」

「俺?俺は…特別得意な仙技はないなぁ。強いて言うなら、気の放出かもしれないが、それ以外も全体的にできるぞ?」

「ほら、凄く最適な人の台詞じゃないですか」

「いやいや、牛梁君は万が一の治療があるから、最初から考慮してないよ」

「そ、それを言われたら、もう何も言えません」

「じゃあ、決定だね」


 幸善は頭を抱えながら、突然の現実を受け入れるために顔を上げてみる。その途端に悩んでいた相亀と目が合い、涙が流れそうになって顔を押さえる。


「こいつに教わるなんて…!?」

「何か凄く腹が立つこと言うな、お前」


 顔を押さえた幸善の様子に、真顔でイライラし始めた相亀は悩みを忘れたようで、すぐに胸を張って、追撃のように幸善に言葉を投げつけてきた。


「そんな態度なら、俺が教えてやるよ。教えを請え」

「こんな講師に教わるくらいなら、仙気の暴走で爆ぜたい…」

「そんなクリリンの最期みたいになるより嫌なのか?」


 嫌だ、で済ませたいところだったが、実際、今まで通りの仙技の特訓で成果が出づらくなっていることは事実だった。最近の出来事から、仙技の会得に前のめりになっている幸善は、いくら相亀が嫌でも、それを断るには理由が足りない。これで成果が出なければ断ることもできるが、そうではない状態で断る我が儘を幸善は言い切る気持ちになれない。


「まあ、それしかないなら、仕方ないか。相亀…た…頼む…」


 顔を引き攣らせながら、幸善が相亀に頭を軽く下げる。


「誠意が足りないな。額が汚れてないぞ?」

「お前、さては血が通ってないな」

「二人共、そういうのいいから、そろそろ始めない?」


 笑顔で二人の間に割って入ってきた水月の背後に、幸善と相亀は修羅の姿を見てしまい、咄嗟にうなずいていた。


『はい…ごめんなさい…』


 二人が謝罪したところで、ようやく幸善の仙技の特訓が始まる。今回は相亀が教える立場にあり、そのことが幸善は不満であり、不安だったが、その不安は意外とすぐに解消されることになった。


「じゃあ、気を身体の表面にまとってみろ。肉体の強化はそこからだ」

「何か、擬音のオンパレードとかやめろよな」

「そんなことするか。教える側として無責任だろうが」

「多分、お前の意図せぬ形で喧嘩を売った人が全国にたくさんいるぞ」


 幸善は相亀と雑談を交わしながら、言われるままに仙気を身体の表面にまとっていく。


「いいか。仙気はそれ自体が力を持っているんだ。飛ばした気が爆発するところは見ただろう?気は力の塊なんだ」

「ああ、そこは何となく分かった」

「つまり、気が身体に入ると、それだけで身体に力が宿っていることになる。問題はそれを明確な位置に持っていけるかだ。例えば、腕や足の筋肉、骨、臓器そのものにまとわせ、鎧を着せているような形にもできる。気で強化するんじゃなくて、気そのものが力なんだから、まとったところは強くなるんだ」


 相亀の説明を幸善は驚いた顔をしながら聞いていた。その表情を相亀が不思議そうな顔で見てきている。


「何だよ、その顔」

「いや、意外と理論的に考えているんだなって。もっと筋肉が膨らむように、とか言われるのかと思ってた」

「人によっては分からないけど、俺は気の存在くらいしか感じられないからな。あとはその気を移動させた結果だ。その結果が肉体の強化として現れているだけで、俺は肉体の強化を感じたことはない。それは内臓の動きを意識しようとするみたいな、無理なことだと俺は思うことにしたんだ」

「はあー。意外と考えているんだな」

「その意外って言葉をそれ以上言うな。次に言ったら、俺の鉄拳がお前の腹を貫通する」

「お前も怖いこと言うなよ…」


 幸善は相亀の指示通りに意識しながら、身体能力の強化のために気を移動させようとする。その感覚を徐々に身体に覚えさせながら、幸善は不意に思い出したことがあった。


「そうだ。妖気の感じ取り方って、何かコツとかあるか?」

「妖気?そんなのお前の家で練習しろよ」

「俺の家?」

「仙気と同じだよ。妖怪から漂う雰囲気みたいなものを感じ取るしかないから、お前の家の犬で練習したらいいだろ?」

「そのコツはないのかよ?」

「コツ?俺は匂いとか、空気とか、そういう五感で感じ取れるものの延長線上にあると思っているけど?」

「五感の延長線上か…なるほど…」

「それより、今は身体の強化の方だからな」

「ああ、悪い」


 幸善は再び仙技の特訓に意識を戻す。帰ったら、ノワールに少し付き合ってもらおうかと頭の中では考えていた。

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