蛙は食に五月蝿い(3)

 先に帰った相亀や牛梁と違い、水月は残っていてくれたので、一緒に帰ってくれるのかと幸善は期待してしまっていたが、どうやら、ただ用事があっただけらしく、幸善は一人でQ支部の中を歩いていた。

 こうして一人で歩いていると、最初の頃はどこで道を曲がればいいか分からず、気がつけば迷っていたが、今では演習場からエレベーターまでの道くらいなら、一人で行けるようになっていた。明日からは一人で来られるかと言われたが、それも全く問題ないことだ。


 そのことを考えていると、幸善はさっき相亀が喜んでいたことを思い出した。確かに相亀と一緒に帰る必要や来る必要がなくなったと考えると、少し嬉しい気持ちがある。ともすれば、鼻歌の一つでも歌いそうなくらいに幸善は上機嫌になっていた。


 その時、廊下を曲がって飛び出してきた小さな何かが幸善の腹とぶつかった。それなりの衝撃に油断していた幸善は苦しそうな声を漏らす。


「ああ、すまない」


 低く渋い声が聞こえ、幸善は顔を上げる。その声には聞き覚えがあった。


「お前は、あの猫?」


 苦しそうな表情のまま、幸善は自分の腹から離れた白い猫を見ていた。あの後、Q支部に預けた白い猫だが、幸善の腹に体当たりしてくるくらいには元気に過ごしているようだ。


「ああ、お前だったか」

「元気そうだな」

「おかげさまでな」


 白い猫と軽い会話をしながら、幸善は腹の痛みが治まってきたことを確認するように腹を摩っていた。


「急に飛び出すなよ。危ないから」

「すまない。逃げている最中だったんだ」

「逃げる?」


 幸善が首を傾げた瞬間、白い猫の走ってきた方向から声が聞こえてきた。甘ったるい女性の声であり、白い猫と向き合っていた幸善は猫撫で声という言葉を思い出す。


「グラミーちゃん?まって~?」


 廊下を走ってきた人物から隠れるように、白い猫が幸善の後ろに隠れた直後、廊下の先から歩いてきた女性と目が合った。幸善も逢ったことのある人物だ。


「あ、確か、秋奈あきなさん」

「ああ、幸善君。この前はどうも」


 微笑みかけてきた秋奈莉絵りえの視界から隠れるように白い猫が背中にくっついてくる。その動きに幸善は白い猫にも秋奈が見えていると、どこかほっとしていた。前回急に消えたことから、もしかしたら、幽霊だったのではないかと馬鹿なことを考えていたが、本当に馬鹿だったようだ。


「急に消えて、ビックリしましたよ」

「ごめんね。私は案内できなかったから」


 不意に武器庫で鼠を見た時のことを思い出す。あの時は秋奈に対する幽霊疑惑があったため、特に何も言わなかったが、近くにビニール袋が置いていたはずだ。


「もしかして、秋奈さんが鼠を捕まえてました?」


 その一言に秋奈の身体がビクンと震えていた。微笑んだまま表情は強張り、ゆっくりと幸善から視線を逸らしていく。


「な、何のこと…?」

「図星って顔に書いてますよ」

「その…このことは…その…」


 秋奈が人差し指を立てて、自分の唇に当てていた。要するに内緒にしておいて欲しいということらしい。幸善としても、一度黙った身なので、これから特に報告する気もなく、取り敢えず、うなずいておくことにする。


「ところでグラミーちゃんは見なかった?」

「グラミー?さっきも言ってましたよね?誰のことですか?」

「白い猫の妖怪なんだけど」

「ああ、グラミーって名前にしたんですね」


 そう呟きながら、幸善は背中に目を向けていた。その動きに秋奈も気づいたのか、同じように覗き込み、発見したグラミーに満面の笑みを浮かべている。


「もう~!!こんなところにいたの!?逃げ出しちゃダメだよ?」


 グラミーに頬擦りしながら、秋奈はさっきも聞いた甘ったるい声を出していた。されているグラミーはそのことに心底困惑した顔で、じっと幸善の顔を見てくる。


「グラミー…ちゃん?」

「そんな顔で見るな」


 ちゃん付けで呼ばれている猫のものとは思えない低く渋い声で話してきた。グラミーは困惑しているようだが、取り敢えずは寂しくなる暇もなさそうなので、幸善はここに連れてきて良かったと改めて思う。


「秋奈さんがグラミーの世話をしているんですね?」

「他の子達も見てるけど、今は主に私がね」

「鼠のことと言い、動物が好きなんですか?」

「それもあるけど、この子の妖術はだからね」

「同じ?誰と?」

「ああ、ううん。何でもないの」


 秋奈はかぶりを振り、グラミーを抱いたまま立ち上がる。それから、思い出したように幸善を見ていた。


「そうだ。聞いたよ。仙人になったんだよね?」

「ああ、はい。冲方隊の所属だそうです」

「おめでとう。お祝いに困ったことがあったら、何でも言ってね。一つだけお姉さんが叶えてあげるよ」


 グラミーを抱いたまま、胸を張りながら言う秋奈の姿に、幸善は冗談半分でうなずいておくことにした。またグラミーみたいな妖怪を見つけた時に、世話をお願いでもしてみるかと思いながら、幸善はさっきした自分がした質問を思い出した。


 動物が好きか。良く考えてみると、妖怪は動物の姿をしているなら、仙人である以上はそれら動物と関わることになるはずなので、嫌いな人がいるはずがない。

 ちょっと馬鹿な質問をしていたと恥ずかしく思いながら、幸善は秋奈とグラミーに別れを告げ、再び廊下を歩き出した。

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