白い猫は眠りに誘う(11)

 白い猫の口が開き、牙が覗く。幸善とノワールはただその光景を眺めていた。その次に起こることは分かっているが、白い猫の口が開くよりも先に動き出せるほど、二人の反応速度は速くなかった。


 次の瞬間には、鈍器で殴られるような衝撃に襲われ、幸善は吹き飛んでいた。境内を転がりながら、全身を襲う痛みに身を捩る。呼吸をするので精一杯で、苦痛を和らげるように漏らす声は微かなものしか出なかった。

 幸善は転がったまま、視線を左右に振るっていた。近くにいたはずのノワールの姿がない。そう思いながら探してみると、幸善とは違う方向に飛ばされたノワールが起き上がろうとしている。どうやら、直撃した幸善と違って、ノワールはその際に起きた爆発に吹き飛ばされただけのようだ。


 そのことに安堵している間に、白い猫は幸善の前まで歩いてきていた。その姿を見ただけで、幸善は今覚えている痛みを忘れるほどに、意識が持っていかれる。


「どうして…?」


 微かに漏れた声はただの疑問だった。必死になって自分達を攻撃する白い猫の行動が、表情が、どこか寂しげに見えてしまい、さっきまで考えていたことと一緒に、その声が漏れていた。

 それは完全な無意識だったが、白い猫は動きを止める。開きかけていた口は吠えるような鳴き声ではなく、意味を持った言葉を発するように動きを変える。


「どういう意味だ?」


 白い猫の問いに、幸善は自分が言葉を呟いていたと気づく。疑問が漏れていることに気づかなかったが、そのことで白い猫の動きが止まったのなら、ここが話を聞ける最後の時間かもしれない。


「どうして、ここまでするんだ?ここまでして、東雲と一緒にいようとするんだ?」


 その問いに白い猫は眉を顰めていた。その表情に幸善は言葉を間違えたかと不安になる。


「この場所だ」


 不意に呟かれた白い猫の言葉に、幸善は目を丸くしていた。白い猫はゆっくりと迂回するように近づいてくるノワールを気にしながら、言葉を続ける。


「この場所にあの人は毎日通っていた。箱に金属を捨てながら、何日も手を合わせていた」


 賽銭箱に硬貨を投げ入れ、手を合わせてから、心の中で願い事を呟く。その姿を想像して、すぐに疑問に思う。


 


「そこで私は見つかってしまった。あの人に拾われたんだ」


 そう呟いた瞬間の白い猫の表情は、優しさだけが詰まっている温かいものだった。その時のことを思い出しているのかもしれない。


「そこから、私はずっとあの人と一緒だった。ずっと、ずっと一緒だと思っていたし、あの人はそう言ってくれた。それなのに…」


 白い猫の表情が一変する。それまでの優しさが鳴りを潜め、一瞬で表情を怒り一色に染めている。


。ずっと一緒だと言ったのに」


 幸善は既に気づいていた。白い猫の話している相手がどうなったのか。その答えが分かってしまっていた。


 賽銭箱は壊れていた。あそこに硬貨を投げ入れても、神様に届くとは思えないほどの壊れ方であり、それは十年や二十年経った程度ではあり得ないほどの壊れ方だ。恐らく、あの賽銭箱が使われなくなってから、既にそれ以上の月日が経過している。

 その時から白い猫はずっと一緒だったと言っている。それはそのままの意味だろう。ずっと何十年も、白い猫は人間に飼われていたのだ。恐らく、若い頃は東雲と似ていた人間の女性に飼われていた。


 しかし、その女性はいなくなってしまった。それはどうしてか。その理由は深く考えなくても分かる。これだけの力を持った妖怪なら、逢いたいのなら逢いに行けばいい。それができないのはもう逢えないことが分かっているからだ。もう逢いに行く場所がないからだ。


 何十年も姿が変わらない白い猫を、ただの猫として飼い続けたとするなら、今の白い猫の怒りも、似ている東雲の姿を見つけてからの行動も、幸善は理解できた。

 それだけの人がいなくなったら、どれだけ寂しかったか、どれだけ悲しかったか、全く知らない幸善でも、その一端くらいは想像できる。そこに自分を拾った人と良く似た東雲の姿を見つけて、きっととても嬉しかったのだろう。


「つまらない話をしてしまった」

「幸善!?」


 ノワールの声が少し遠くから聞こえた。距離を縮めることはできなかったみたいだと思いながら、幸善は目の前の白い猫が口を開く様子を見つめる。


 このまま、この白い猫を一匹にしていてはいけないと幸善は思った。


 その直後、白い猫が吠えるように声を出す。その姿に向かって、幸善は踏み込んでいた。音の衝撃が幸善の肩を掠め、踏み込んだ幸善の腕を半歩後ろに持っていこうとする。


 それでも、幸善は歩みを止めずに、白い猫に手を伸ばすと、その身体を抱き寄せていた。咄嗟のことに白い猫は驚き、幸善の腕の中でじたばたと暴れ始める。


「何をする!?」


 白い猫が暴れながら、大きく鳴き声を上げる。音の衝撃がどんどんと幸善にぶつかるが、不思議と痛みはなかった。体内から吹き出てくる温かい風が、幸善の身体を包み込んだような感覚があり、ぶつかる音の衝撃を違う場所に逸らしてくれているようだ。


「大丈夫だ」


 幸善は腕の中の白い猫に囁く。暴れていた白い猫はその声に驚き、少し動きを弱めている。


「もう一匹にしないから。寂しくないから。だから、そんなに頑張らなくても大丈夫だ」

「嘘をつくな!?」

「嘘じゃない!!確かに妖怪を受け入れてくれる人間は少ないかもしれない。けど、俺が知ってる。俺達が知ってる。ちゃんと受け入れてくれる人達がお前のことを知ってくれる。もうそんなに寂しく思わなくてもいいように、一緒にいてくれる人達が、場所がちゃんとある」


 白い猫の飛ばす音の衝撃が弱くなった。幸善の腕の中で暴れる力も一緒に弱くなる。


「だから、もう大丈夫。大丈夫だから」


 幸善がぎゅっと抱き寄せると、白い猫がついに暴れることをやめて、幸善の腕の中で大人しくなった。そのまま、とても小さな声で鳴き声を上げ始める。それはさっきまでの攻撃の一切入っていない純粋な猫としての鳴き声で、今まで抱え込んでいた寂しさを吐き出すような悲しさがあった。


 ノワールが幸善に近づいてきて、安心した顔で幸善を見てくる。

 鳴いていた白い猫はやがて、小さな寝息を立てていた。

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