白い猫は眠りに誘う(10)

「……うが…!?」


 何かの音か、何かの声がすると思った直後、幸善は強烈な衝撃を顎に受けていた。衝撃で目を白黒しながら、幸善は自らの顎に触れる。正体は分からないながらも、痛みは現実のものとして幸善の顎に残っていた。

 そう思っていたら、幸善はノワールが逆立ちをするような形で、幸善に後ろ足を見せていることに気づいた。その後ろ足の向かう先は幸善の顎であり、幸善はそのことに気づくと全てを察する。


「お前が蹴ったのか!?」

「当たり前だろうが!?急に眠りやがって、背中に手が落ちてきて痛いんだよ!?」


 ノワールの発言を聞きながら、幸善は周囲に目を向け、そこが古びた神社であることを思い出す。ほんの数秒前までの自分がその中で眠っていることに気づくと、幸善は痛みも忘れて動揺していた。


「どうして今、眠っていたんだ?」

「あの猫の妖術だろう?」


 幸善に蹴りを噛ましたことで、冷静さを取り戻した様子のノワールが、常識を口に出すように呟いていた。ノワールは常識のように言っているが、幸善はノワールが何を常識に思っているのか分かっていない。


「どういうことだ?」


 幸善が疑問を口に出した時、ノワールは白い猫の様子を探っている最中だった。未だ姿は見えないようだが、白い猫の発したものと思しき鳴き声は今も聞こえている。


「こいつだ。あいつは音の妖術を使っているんだよ」

「音の妖術?」

「妖術っていうのは、それぞれの妖怪によって、いろいろ性質が変わるんだ。あの白い猫は音を衝撃波として飛ばしたり、感覚器官に作用させて人を眠らせたりするみたいだな」

「それで眠っていたのか」


 未だに痛みが残ったままの顎を摩りながら、幸善は納得していたが、そうだとして疑問に思うことが一つあった。


「じゃあ、何でノワールは眠っていないんだ?」

「それは多分、犬だからとかだろう?人と犬に同じ音で作用させることはできないってことだ」


 そう言いながら、白い猫の鳴き声を聞いていたノワールがうつらうつらし始めている。幸善は一切眠くないので、正にノワールが説明中の出来事が起こっているようだ。幸善はノワールの身体を軽く叩いてやり、正に襲われている様子の眠気を晴らしてやることにする。


「完全に俺達を眠らせてから、夜這いするつもりだな」

「表現」


 しかし、白い猫の目的はノワールが言っていることで間違いなさそうだった。幸善とノワールが眠っている間に止めを刺す。そのために眠気が襲ってくる直前に聞いた声を何度も繰り返していることが分かる。


「問題はどうやって、あの猫を止めるかだ」

「そのことなんだけど、さっき妖術の説明の時にノワールも使えるって言ってたよな?」

「ああ、あそこまで強くないがな」


 ノワールがあの白い猫と同じように妖術を使えるなら、幸善が囮になって隙を作り出したところに、白い猫を止めるための妖術をぶつける。これなら、何とかこの状況を打開できそうだと期待する幸善は続けて聞いていた。


「ちなみにどんな妖術が使えるんだ?」

「見て驚くなよ」


 自信満々な様子でノワールはそう言ってから、幸善の方に顔を向けてくる。まさか、自分に向けてくるのかと驚きで倒れ込みそうになった直後、そよ風のような空気の流れを感じていた。


「ほら、ちょっと風を感じるだろう?」

「え?あ、うん…」

「それが俺の妖術だ」

「団扇より弱い風じゃねぇーか!?この妖術にどんな使い道があるんだよ!?」

「いや、ほら、近距離で耳とかに使ったら、ヒャッてなるから」

「ドッキリ専用かよ!?」


 さっきまで期待していた自分が馬鹿だったと思いながら、幸善は状況の打開が難しくなったことに軽い絶望を覚えていた。このままでは東雲を助けるどころか、この場所から無事に抜け出すこともできない。


 そう思ってから、幸善は白い猫が激昂しながら口に出していたことを思い出した。


「そういえば、あの白い猫は東雲を知っているみたいなことを言っていたんだよな」

「昔飼われていたとかだろう?」

「いや、東雲はずっとペットを飼ってないはずだ。この前もその話をしたところだし」

「あれは?奇隠くおんが記憶を消した可能性は?」

「記憶…?いや、仮にそうだとしたら、俺が何も聞いていないはずがない。俺の記憶が消せないのなら、俺は東雲が何かを飼っているっていう話くらいは聞いているはずだし、ペットを飼ってないって話の時に疑問に思うはずだ」

「お前と知り合う前とか?」

「物心つくかどうかという頃になるぞ?その頃の東雲と今の東雲を一緒だって認識できるか?」


 もしかしたら、白い猫は東雲を別の誰かと勘違いしているのではないか、と幸善は考えていた。白い猫は東雲に似た別の誰かに飼われたことがあって、その時に奇隠が引き離したのか何なのか、飼い主と離れ離れになることがあった。そのことに対するトラウマから、白い猫は似ている東雲を捕まえて、二度と離れることがないようにしようとしている。


 もしそうなら、幸善は話を聞けるかもしれない。


 そう思った直後、幸善とノワールの背後で軽い足音がした。二人がゆっくり振り返ると、そこに白い猫が立っていた。

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