白い猫は眠りに誘う(9)

 ノワールの鼻を頼りに辿りついた場所は古びた神社のようだった。鳥居を潜った先には壊れた賽銭箱があり、その奥にある拝殿はしばらく人の立ち寄った気配がないほどに荒れ果てている。


「本当にここにいるのか?」

「匂いはここに続いているぞ」


 まだ地面を嗅ぎながら、ノワールが拝殿に近づいていた。幸善はそれを追いかけてみるが、やはり、神社の中に誰かがいる気配はしない。


 そこで試しに一度、声をかけてみようかと考える。東雲が妖怪と逢ったことは確かなはずだが、今も妖怪と一緒にいるのかは分からない。もしかしたら、別の場所で別の理由によって帰れないことになっている可能性もあるが、妖怪と一緒にいるのなら、ここにいる可能性が高く、その場合は幸善の声に反応するかもしれない。

 幸善は東雲の名前を呼んでみようと思い、拝殿に向かって口を開いた。


 その時、幸善の視界をが横切り、喉の奥から異音が漏れていた。


「ヒャッ!?」

「ヒャ?」


 ノワールが不思議そうな顔で幸善に目を向け、驚いた様子に気づくと、ふんと鼻で笑っている。その姿に幸善は赤面しながら、横切った白い影に目を向けていた。


 壊れた賽銭箱の手前にが座っていた。


「猫…?」


 幸善の呟きにノワールも気づき、幸善と同じように白い猫を見て、少し眉を顰めている。


「野良猫か?」


 そう呟きながら、白い猫に近づこうとした幸善を邪魔するように、ノワールが幸善の前に移動してきた。そのことに不快さを感じ、幸善は眉を顰める。


「何だよ?邪魔だぞ」

「そいつは

「はあ?何言って…」


 言葉が途中で止まったのは、ノワールが言っていることの意味が分かったからだ。ここまではノワールが妖怪から漂う妖気の臭いを嗅ぎながらやってきた。ここに妖怪がいる可能性は非常に高く、東雲はその妖怪と逢っているはずだ。その妖怪と逢えば、東雲の居場所が分かるかもしれない。そう思っていたのだから、その時に現れた白い猫の正体は少し考えたら分かることだった。


 野良猫ではなく、その白い猫こそがだと。


「ここは私の縄張りだ」


 白い猫の口が開き、低く渋い声が聞こえてきた。その視線を見るに、ノワールに言っているようだ。


「勝手に入って、ごめん。荒そうとかは思ってないんだ。ちょっと聞きたいことがあって来ただけなんだ」


 幸善が白い猫に話しかけると、白い猫は少し不思議そうに幸善を見てきた。


「人間が私の言葉を理解できるのか?」


 幸善がうなずいてみせると、白い猫の表情は少し穏やかなものになる。


「そうか、分かった。その聞きたいことというのを聞こう」

「人を探しているんだ。俺と同じくらいの年齢の女の子なんだけど、逢わなかった?」


 幸善の問いに白い猫はゆっくりと表情を変えていた。眉間に皺を寄せる姿は不快さを覚えているようにも、怒りを覚えているようにも見える。


「その女の子がどうした?」

「連れて帰りたいんだ。その子の家族が心配しているから」


 そう告げた直後、それまでゆっくりと、微かに変化していた白い猫の表情が一変し、明らかな怒りを見せていた。


「今すぐ立ち去れ」

「ちょっと待ってくれ。急にどうしたんだ?」


 幸善が困惑しながら聞く前で、ノワールが微かに後退りながら、幸善に囁いてくる。


「妖気が全身から溢れてる。かなりやばい状態だぞ」

「妖気が全身から?」

「妖気を知っている奴なら誰でも、この距離でも分かるくらいに垂れ流しているんだよ。あれは完璧に昂っている証拠だ。何をするか分からない状態だよ」


 ノワールの焦ったような声に異常事態を悟りながら、幸善が白い猫に目を向けると、白い猫の怒りは更に増大しているようだった。


「あの子を連れて帰るだと!?私とあの子を離れ離れにする気か!?私から、あの子を奪い去るのか!?」

「また?」

「そんなことをさせてたまるか!?」


 白い猫が大きく口を開き、吠えるような声を出した。その直後、幸善は突風に煽られたように吹き飛び、大きく地面を転がることになる。拝殿から離れ、鳥居のある位置まで転がったところで、ようやく止まったが地面に打ちつけたことで、身体のあちこちが痛んでいた。


「今のは何だよ!?」


 幸善が怯えながら白い猫を見ると、再び白い猫が口を開いているところだった。その姿に身体が竦み、動けなくなっている間に、白い猫が再び吠えるように声を出す。


 その直後、ノワールが幸善の身体に猛烈な体当たりを食らわしてきた。幸善はノワールと一緒に倒れ込む。さっきまで幸善がいた場所には、突風のような衝撃が通り抜けていた。


「こっちだ!!」


 ノワールに言われた幸善は咄嗟に神社の奥に走っていた。白い猫はその背中に向かって何度も声を出し、その度に幸善の背中を掠めるように衝撃が通り過ぎていく。


「何だよ、あれは!?」

妖術ようじゅつだよ」

「妖術!?」

「妖怪は妖気でいろいろできる奴がいるんだよ。俺もあそこまで強くはないが、少しは使えるぜ」

「そんなのがあるのか?」

「お前が最近習っている仙術せんじゅつの妖怪版だと言えば分かりやすいか?」

「ん?仙術?」


 仙技のことか、と幸善が思った直後、幸善の背後で大きな爆発が起きた。幸善とノワールは吹き飛ばされることになるが、そのことが功を奏し、幸善とノワールは本殿の陰に隠れることに成功する。

 白い猫の視界から外れたことで、さっきまでの突風のような衝撃もなくなり、幸善とノワールは一度落ちつくことができていた。


「あんなの聞いてないぞ。どうしたらいいんだよ?」

「お前が習っている力を発揮したらいいだろ?」

「まだ、ほとんど使えないから」


 そう言いながら、幸善はさっきノワールが言っていた仙術という言葉を思い出す。


「そういえば、さっきお前が言ってた…」


 そこまで口に出した瞬間、遠くから甲高い猫の声が聞こえてきた。甘えるような声に似ているが、それとは少し違う鳴き声に、幸善とノワールの動きが止まる。


「何だ?」

「さあな。けど、気をつけておかな――」


 そこまでは聞き取れたが、その先はノワールの声をうまく聞くことができなかった。ノワールの姿がぼやけて見え、幸善は抗いようのない眠気に襲われる。


「何だ…急に……眠い……」


 そう呟きながら目を擦ろうと上げた手が、幸善の目に届く前に、幸善は意識を失っていた。上げた手は幸善の前にいたノワールの上に落下した。

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