白い猫は眠りに誘う(4)

 特訓を開始してから一時間が経過する直前、幸善は全身を襲う虚脱感によって倒れ込んでいた。筋肉痛のように痛みがあるわけではなく、ただただ力が入らず、指一本すら動かすことができない。


 牛梁が倒れ込んだ幸善の隣まで近づいてきた。幸善の隣で屈み、幸善の顔の前で手を振ってくる。


「呼吸はできてる」


 そう呟いてから、幸善の手や足を軽く揉むように触れてくる。それはとてもこそばゆいが、今の幸善ではそれから逃れるように身を捩ることもできない。


「痛みはある?」


 牛梁の質問に答えようとしたが、あまりに唇が動かないので諦め、幸善は僅かに頭を左右に振るった。


「仙気の扱いに集中し過ぎて、体力の消耗に気づかない。仙気の扱いに慣れていない人に良くあることだ。大丈夫。少し休めば動けるようになるから」

「ダッサ」


 相亀がゲラゲラと笑っていることに幸善は腹立たしさを覚えるが、その怒りを相亀にぶつけるだけの力が今の幸善にはない。仕方なく、睨みつけるだけ睨みつけても、その睨みが相亀の笑いを増長させる。


「今日はこれで終わりだね。無理してもいいことはないから」


 牛梁によって壁近くまで運ばれ、凭れかかるように座らされた幸善を見ながら、冲方がそう言った。少し休めば動けるようになると言われた幸善としては、終わりにすることもないのではないかと思うが、冲方はその疑問を幸善の視線から感じ取ったらしい。


「今は身体がうまく動かせないくらいだけど、このまま続けると、もっと悪化するかもしれないよ。例えば、呼吸ができなくなるとか」


 冲方にそう言われて、幸善は牛梁が真っ先に呼吸の有無を確認していたことを思い出した。もしかしたら、今頃呼吸が止まっていたかもしれないのかと思うと、突然恐怖に襲われる。


「急ぐに越したことはないけど、その急ぎ方は考えないとね」


 冲方の言葉に幸善は納得する一方で、さっきから考え込んでいる水月の様子が気になっていた。そこまで考え込むことがあったのかと思っていると、その疑問を冲方に向けて呟いている。


「けど、どうして、あの時の頼堂君は気を飛ばせたんですかね?この様子を見るに、特別仙気の扱いに長けているわけではなさそうなのに」

「確かにそう聞いていた割には普通だったね。相亀君の最初よりは良かったけど、特別才能がある感じでもなかった」

「そこで俺のことを言う必要がありますか!?」


 赤面した相亀の様子に幸善は何とか唇の端を上げてみせた。相亀と目が合った瞬間に、唇を何とか動かして、「ダッサ」と言い返してやる。相亀は悔しそうにわなわなと唇を動かしていたが、結局何も言えずに顔を逸らしていた。


「私は水月さんとの間に起きた爆発も気になったね。あれは普通の仙気の反応じゃなかった」

「ですよね。あれはビックリしました」


 そう言いながら、水月は自分の手を見つめていた。その表情はほんの少し前までと同じ、考え込んでいる様子だ。


「拒絶反応って言うんですかね?あの時、頼堂君の手から押し出されるような感じがしたんですよね。あんな感覚、初めてだった」


 水月はそう言っていたが、幸善はただ爆発が起きたようにしか感じておらず、水月を押し出した感覚もなかった。冲方もその感覚を知らなかったようで、不思議そうに水月の話を聞いている。


 それらのことを話しながら、水月と冲方が次に幸善に何を教えるのかを話し合っている間に、幸善の身体を襲っていた虚脱感は少しずつ和らいでいた。走ることは難しいが、立ち上がり歩くことができるくらいに、幸善の身体は回復する。


「取り敢えず、帰れるくらいには回復したみたいだね」

「はい。お騒がせしました」


 幸善が相亀以外の三人に頭を下げてから、順番に礼を言っていく。相亀は不満そうだが、冲方からの暴露で弄られる可能性を考えているのか、その不満をぶつけてくる気配はない。


「それなら、今日はもう帰って休んだ方がいいよ。また明日も来れるかな?」

「ああ、はい。大丈夫です」

「なら、待っているよ」


 冲方との会話を済ませた直後、はっと気づいたように水月が声を出す。


「そうだ。まだその様子だし、頼堂君が無事に帰れるように送ってあげた方がいいよね?」


 水月のその一言に幸善は密かに色めき立つ。これはもしかしたら、水月が一緒に帰ってくれる流れか、と思っていると、水月がぱっと視線を幸善から逸らした。


「相亀君。お願い」


 幸善は相亀と冷めた目を合わせ、互いに何とも言えない表情をする。


『だよな』


 二人の意見と声が珍しく一致した瞬間だった。

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