鼠は耳を齧らない(9)
電気が復旧したのは、ちょうど幸善が一匹の鼠を檻から解放した時だった。唐突に戻った明るさに、幸善は目を眩ませながら、鼠達に解放した鼠を明け渡す。
幸善の手から自由の身となった一匹の鼠が、鼠達の中にいる一匹の鼠と抱き合っている。その仕草は非常に人間らしいが、見た目は鼠なので感動的というよりも、愛らしさが勝っている。
「本当にありがとう」
解放していた鼠と抱き合っていた鼠がそう言ってきた。凛々しい男の声をしている。
「まさか、人間に助けてもらうとは」
驚くように呟く中で、未だに状況の理解ができていない様子の水月が近づいてきた。幸善が鼠達と会話をしている様子を見ながら、驚いた表情をしている。
「どういう状況?」
「この鼠達は捕まった仲間の鼠を助けに来ただけなんだ」
幸善が水月に見せるように、解放したばかりの一匹の鼠やその鼠が入っていた檻を見せる。檻を覆っていた布は恐らく檻を隠すためのものだ。
「誰かがここで捕まえていたんだ。飼おうとしていたのかもしれない」
「飼うって…奇隠内での妖怪の飼育は原則として禁止されているはずだよ。特殊な事情の場合は許可が出ることもあるけど…」
水月が周囲に目を向けている。そこはQ支部の中でも特殊な部屋であるはずの武器庫だ。動物を飼う部屋に適しているとは思えない。
「明らかに隠れて飼ってるよね」
水月は呆れた顔をしながら、鼠達に謝罪の言葉を向けている。鼠達の声は分からないはずだが、その態度を見ていれば、鼠達が友好的であることは伝わっているようで、水月は笑顔で鼠の頬をつついている。
しかし、禁止されているのなら、誰が鼠を捕まえていたのだろうか。そう思った幸善が檻に目を向けたところで、退かした布の下から何かが見えていることに気づく。どうやら、檻の隣に何かが置かれていたようだ。その上に布を移動させてしまったようで、幸善はその下に何があるのか確認するために、もう一度、布を檻の上に移動させる。
すると、見覚えのあるビニール袋が姿を現した。ビニール袋には『ラバーズマート』と書かれている。
(あれ?これって…?)
幸善はQ支部に来た時のことを思い出し、少し表情を曇らせた。あの人が鼠を飼っていたのかと思う一方で、あの人は実在しているのかという思いも強くあり、水月に確認を取ることができない。
「頼堂君?」
不意に水月に声をかけられ、幸善は我に返る。取り敢えず、分からないことは置いておくことにして、今は鼠達のことを心配するべきだ。
「この鼠達はどうなるの?」
「理由が理由だからね。多分、何か罰を受けたりとかはないと思うよ。ただどこから来たのか分からないところが問題だね。この数の鼠がいたとは思えないし、どこかから来たんだと思うけど」
「どこかから?」
その言葉に違和感を覚え、幸善は水月が言っていたことを思い出した。ほんの少し前の記憶だ。
「そういえば、ここが公園の地下じゃないって」
「ああ、うん。Q支部は日本支部だから、日本全国から行けるようになっているんだよ。あの公園のトイレは入口の一つで、他にもいろんな場所にいろんな形で入口があるの」
「つまり、この鼠達は全国の鼠が支部に集結した可能性があるってこと?」
「そういうこと」
Q支部が全国と繋がっているという話も、鼠が全国から集まってきたという話も、今更驚く話ではなかった。それ以上の驚きを味わっているので、幸善はそういうものなのかとしか思わない。
それよりも、全国から鼠達が集まってきていたのなら、その元いた場所に鼠達を戻してあげたいと思った。
「水月さん。この鼠達を元いた場所に帰すことってできるの?」
「ちょっと難しいかも。本人達が覚えているならできるかもしれないけど」
「けど?」
「その場合でも、頼堂君の力を借りる必要があるかも」
「それなら、全く問題ないよ。俺が手伝って帰せるなら、手伝ってあげたい」
幸善のこの発言もあって、その後、幸善と水月は中央室に戻ってきていた。鬼山に鼠のことを報告するついでに、鼠達を元いた場所に帰すことを相談するつもりだった。
鼠のことを報告し、その鼠達が元いた場所に帰したいと思っていることを幸善が話そうとした瞬間、水月が突然割って入ってきた。
「その前にもう一つ、報告しておきたいことがあるのですが」
「え?」
「どうした?」
「先ほどの鼠達との接触の際、頼堂君が
幸善は水月の発言の意味が分からず、きょとんとした顔をしていると、鬼山の真剣さと驚きの詰まった表情と目が合うことになる。
「それはつまり、
「そうです。本人は気づいていないようですが、あの感覚は間違いなく、仙気でした」
幸善を置いて、水月と鬼山の会話が進んでいく。幸善のことを話していることは分かるが、二人が深刻な表情で語ることに幸善は覚えがない。
やがて、水月と鬼山の間で話し合いが帰結した雰囲気が流れていた。幸善に関する話題のはずだが、結局、幸善は会話に入ることができないままだ。二人が何を話していたのかも分からない。
「あのね、頼堂君。鼠達が飛びかかってきた時のことを覚えてる?」
「飛びかかってきた時?」
幸善は迫りくる鼠の大群や、それらから身を守るために両腕を上げ、自らの身体を庇った瞬間のことを思い出す。あの時はただ自分の身を守ることで精一杯だったが、気づいたら、多くの鼠が周囲で気絶していた。
「あの時、頼堂君は気を…仙気を身体から放出して、鼠達を吹き飛ばしたんだよ?」
「気?仙気?」
「そう。前にも聞いたと思うけど、仙技っていう仙人の技術があってね。その中の一つがそれなんだ」
「え?ん?んん?それを俺がやったって?」
「頼堂君は気づいてないみたいだったけど、それは間違いないよ。私は見てたから」
仙人の力を振るったと急に言われても、覚えのない幸善には一切実感が湧いてこなかった。自分のことを話しているはずなのに、御伽噺を聞いている気分だ。
「問題は気づいていないというところだ」
鬼山が幸善の目をまっすぐに見ながら言ってくる。その表情は先ほどから引き続き、真剣なものだ。
「仙気の放出は十分な威力を持った武器だ。言ってしまえば、君は銃を握っているのに、そのことに気づいていない状態なんだ。いつ引き金が引かれるか分からない。その危険性は分かってくれるだろう?」
鬼山の言いたいことは分かった。幸善が水月の言っている通り、本当に鼠を吹き飛ばしたのなら、幸善は大変危険な存在ということだ。
幸善は薬を盛られ、記憶を消そうとされたことを思い出した。それが幸善に効かないと分かった時に、次に取る手を想像し、幸善は心底怯えた。
「もしかして、今度こそ…!?」
「何を考えているのか分からないが、恐らく違うから落ちつきなさい」
鬼山に冷静に諭され、幸善は一度、悪い考えを頭から振り払う。その時にも違うと言われたのだから、その可能性が復活することはないはずだ。それくらいは思いたい。
「本題に入るが頼堂君。良ければ、仙人にならないか?」
「え?俺が?」
「もちろん、そのことを強制はしない。ただ力の制御ができるまで、しばらくはここに通ってもらうことになる。危険なまま放置することはできないからね。その力の制御ができたら、妖怪の言葉が理解できる君は仙人に向いていると思うんだ。どうだろうか?」
鬼山に聞かれても、幸善は即答することができそうになかった。未だに妖怪も仙人も良く分かっておらず、簡単な言葉で返事をしていいのかも分からない。
「しばらく考えてもいいですか?」
「ああ、大丈夫だ。ただ今も言った通り、力を制御する方法だけは身につけてもらわないと困るから、Q支部には来てもらうよ」
「はい。分かりました」
「その際の案内は…」
鬼山がそう言ったところで、中央室の扉が開いた。幸善達以外はQ支部内の止まっていたシステムの復旧に忙しいため、モニターから目を離すことはしないが、会話をしていただけの幸善達の視線は必然的に扉に集まる。
そこで中央室の中に入ってきた相亀を全員が見ることになる。
「支部長。何かエレベーター壊れてませんか?しばらく閉じ込められたんですけど?」
停電のことなど知らない相亀が不満を漏らすようにそう言った直後、鬼山が嬉しそうに声を漏らし、幸善は嫌な予感に襲われる。
「相亀だ。相亀に案内させよう」
「嘘…?」
「はい?」
落胆から表情を強張らせる幸善と、状況を理解できずにきょとんとした顔をする相亀を見て、鬼山は満足そうにうなずいている。
その後、幸善の存在に気づいた相亀に文句を言われながら、幸善は笑う水月を見て思っていた。
(案内されるなら、水月さんが良かったな)
深い溜め息は隠せそうになかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます