鼠は耳を齧らない(8)

 音を立てて迫りくる鼠の大群は、一目見ただけでは鼠と分からない形をしていた。正面から見たら巨大な猪のようであり、横から見たら大蛇のようだ。咄嗟に顔を向けた幸善の視界の半分以上がその鼠の大群で覆われていた。

 それらが鼠であると幸善が気づいたのは、それらの大群が幸善に飛びかかってくる直前だった。


「はあ…?」


 間抜けな声を漏らした幸善に向かって、鼠の大群は覆いかぶさるように飛びかかってくる。幸善は咄嗟に片腕を上げ、それら鼠の大群から自らの身を守ろうとしていた。


「頼堂君!?」


 遠くから聞こえてきた水月の声も、すぐに鼠の大群が出す鳴き声に掻き消されていた。そこに含まれた意味を幸善の耳は聞き取っているが、あまりに声が重なり過ぎて、詳細な意味を汲み取ることができない。

 それに幸善に声を聞くだけの余裕はなかった。飛びかかってきた鼠の大群に襲われないように、屈めた身を上げた両腕で覆うことに必死だったからだ。


 そして、飛びかかってきた鼠の大群が幸善の腕に乗っていく。幸善は腕に触れた足の感触に反応し、更に身を縮こまらせる。


 その瞬間のことだった。幸善の腕に乗った十数匹の鼠が、幸善の腕に触れた瞬間に、吹き飛ばされるように上空に昇っていった。そのまま宙を舞い、床や壁に背中を打ちつけ、気絶している。その勢いはその瞬間に止まらず、次に乗ろうとしていた鼠達も吹き飛ばされ、幸善に飛びかかろうとしていた鼠の大群は、気づけば幸善の隣で大蛇のように寝そべっている。


 そのことに幸善はしばらく気づいていなかったが、傍から見ていた水月は絶句していた。その現象が何なのか、水月は見ているだけで分かったからだ。

 ほんの少し前に、自分もから、尚更分かる。


「あれ…?」


 ようやく気づいた幸善がゆっくりと顔を上げた。周囲で倒れている鼠の大群に目を向け、驚いた顔をしている。


「な、何が…?」

「頼堂君!?今の内に逃げて!?」


 水月の声が聞こえ、幸善は倒れた鼠の大群から、その外側に目を向ける。そこでは未だ元気な鼠達が幸善を囲うようにして、様子を窺っていた。その小さな口が動き、鼠らしい鳴き声を上げている様子は想像がつく。


 しかし、幸善には別の言葉として聞こえていた。


「あいつを倒して

「助け出す…?」


 幸善が鼠達の言葉に疑問を覚えている間に、水月が幸善の近くまで迫ってきていた。幸善を取り囲んだ鼠達を見て、焦ったように叫んでくる。


「ちょっと待ってて!?今、そこから助け出すから!?」


 水月が鼠達に向けて手を構える姿を見て、幸善の頭の中で相亀が煎餅をあられに変える映像が浮かんでくる。水月がどこまでするつもりか分からないが、同じことをするなら、最低でも鼠達が怪我をすることは避けられないはずだ。


 幸善の頭の中で再度、鼠達の呟いていた言葉が浮かんでくる。

 もしかしたら、と想像し、幸善は背後に置かれたもののことを思い出した。そこにはが置かれているが、それはただ置かれているわけではなく、何かの上に置かれている形だ。


「ちょっと待って!?」


 幸善は咄嗟に叫んで、水月の動きを止めていた。水月は幸善に止められるとは思っていなかったようで、そのことに驚いた顔をしている。

 幸善は水月の動きが止まった段階で、鼠達に目を向けていた。幸善を見ながら、小さく呟いている鼠達は、幸善を敵のように睨んでいる。


「君達も待ってくれるか?助けたい子なら、多分助けられるから」


 幸善の言葉を理解したらしく、鼠達の表情が目に見えて驚いたものに変わる。鼠でも、ここまで表情から感情が分かるのかと、幸善は新たな発見をしながら、自分の背後に目を向ける。

 そこに置かれていた不自然な布を掴み、幸善は勢い良く持ち上げた。


 そして、その下に置かれていた小さな檻が姿を現す。その中では一匹の鼠が震えていた。


「な、何…?」


 鼠の小さな口から可愛らしい女の子の声が聞こえてきて、幸善は笑みを浮かべる。


「ごめんね。今、出すから」


 幸善は檻を開けて、中から一匹の鼠を取り出した。

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