鼠は耳を齧らない(5)
鼠の声が聞こえてきた直後、視界が暗転したことで幸善は軽いパニック状態に陥っていた。すぐに暗転の原因が停電であると分かったが、分かったところで混乱しないわけではない。
そもそも、幸善は道に迷っていたところだった。Q支部という勝手の知らない場所で、単独行動をしている時点で、それも致し方ないことかもしれないが、迷っている張本人は致し方ないで済むはずがない。
どれだけ表情に出ているか幸善は分かっていないが、不安を抱えていることは確かだ。
そこに停電という第二の不安要素が重なり、幸善が混乱しないわけがなかった。停電は場所が自分の家であったとしても混乱するくらいだから、場所が勝手の知らないQ支部となれば尚更だ。
鼠の声は気づいたら聞こえなくなっていた。代わりに遠くから誰かの声が聞こえてくる。その声は聞いたことのない声だったが、誰かがそこにいるということは幸善を少し安心させた。
ただし、その声の方向に歩いていくことは難しそうだった。構造の分からないQ支部の中で、視界を奪われた状態で歩くことは危険でしかない。
不意にスマートフォンの存在を思い出した。スマートフォンなら標準でライト機能がついているので、その機能を使えば少しくらいは歩けるようになるかもしれない。
そう思った幸善がスマートフォンを取り出そうとしたところで、廊下全体を覆っていた暗闇の中に、豆電球のように微かながらも明かりが点る。その微かな明かりは幸善に十分な安心感を与えてくれた。
取り出そうとしていたスマートフォンを仕舞い、幸善は足早に廊下を歩き出す。明かりは微かだが、廊下を歩く分には問題がない。聞こえてきた声が遠退く前に、何とかその声の主を捕まえたい。
そう思いながら、廊下の先の角を曲がろうとしたところで、幸善は向こうから歩いてきた人物とぶつかりそうになった。
「ごめんなさい!?」
「す、すみません!?」
咄嗟に謝罪の言葉を口にしながら、幸善は相手の顔に目を向ける。薄暗い中ではっきりと表情までは見えないが、聞こえてきた声には聞き覚えがあり、幸善はすぐにそれが誰なのか理解する。
「あれ?水月さん?」
「頼堂君?」
水月と逢えたことで幸善はかなり安堵していた。このまま、Q支部内で迷子になり、一生を終えるのかもしれないと思っていたが、それも杞憂で終わりそうだ。
「どうして、ここに?」
「妖怪の声が聞ける理由を調べてもらいに来たんだよ」
「ああ、そうなんだ。ここで何をしてたの?」
「帰ろうとしてたんだけど、道に迷っちゃって」
水月は幸善に質問しながら、頻りに辺りを気にしているようだった。廊下の先を見回しながら、幸善の答えを聞いている。幸善と逢っているところを見られたくないような反応に、幸善が静かに傷ついていると、唐突に水月が幸善の手を握ってきた。
「え!?はい!?」
掌から伝わってくる温もりに幸善が狼狽えていると、水月が依然として周囲を気にしながら、幸善に聞いてくる。
「ちょっとついてきてくれる?」
「そ、それはそのつもりだけど」
水月の案内がないと幸善は帰ることができない。水月についていく以外の選択肢は幸善に残っていなかった。
幸善の答えを聞くなり、水月は幸善の手を引いて歩き出してしまう。手を繋いだままなのかと思い、幸善の心拍数が上がる。
そのまま黙って水月に手を引かれている途中、幸善は廊下に通じるダクトを発見した。さっきの鼠が同じような場所で話していたと思っていると、そのダクトの奥から微かな声が、一瞬だが、漏れ聞こえてくる。
「よし、混乱してる」
「今の内だ」
「行くぞ」
さっきと同じかどうかは分からないながらも、鼠の声を思い出させる声に、幸善の意識が水月の手からダクトに向く。
「混乱してる…?今の内だ…?」
ぽつりと呟いた瞬間、幸善は水月にぶつかってしまっていた。
「あっ!?ごめん!?」
立ち止まっていた水月は振り返り、謝る幸善に目を向けてくる。水月はきょとんとした表情をしており、小動物のような愛らしさに幸善はつい見蕩れてしまう。
「今の言葉って?」
水月にそう聞かれ、幸善は首を傾げる。まだ幸善は状況の把握ができていなかった。
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