鼠は耳を齧らない(3)
教えられた道は合っていたようで、複雑な迷路のようなQ支部の中でも、幸善は無事に目的地らしき部屋の前に辿りついていた。『医務室』と書かれた部屋の前に立ち、幸善は恐る恐る扉を開ける。
医務室は幸善の想像している医務室とほとんど変わりはなかった。学校にあるような医務室そのままである。
ただし、一部だけ明らかにおかしい部分があり、それは部屋の隅に片寄っていた。幸善の身の丈ほどもある機械が数台並んでいるが、幸善はその使用用途が一台も分からない。
「誰だぁ?」
カーテンで仕切られた部屋の一角から声が聞こえてきた。声を発すること自体が心底面倒なように、その声は地を這うように重たそうだ。
カーテンが開くと、その向こうから男が現れた。胡散臭さを煮詰めて残った残滓を人の形にしたらできたような、見るからに怪しい人物がゆっくりと起き上がろうとしている。
カーテンの向こうには、医務室に良くあるようなベッドが置かれていた。そこで今の今まで眠っていたというような表情を、起き上がった男はしている。
「見ない顔だな」
男は欠伸をしながら、幸善に近づいてきた。その態度に幸善は苦笑しながら、自分の名前と用件を男に伝える。
「俺は頼堂幸善って言います。何か、妖怪の声が聞こえる理由を調べるって言われて…」
「ああ、お前が例の…一人か?」
「ああ、はい」
「良く迷わずに来れたな」
幸善は秋奈のことを話しかけたが、本当に存在していたのか怪しい人のことを話して笑われたくないので、適当に誤魔化すことにする。男はまだ納得のできていないことが多いようだったが、それ以上聞いてくることはなかった。聞いても誤魔化すだけと幸善が思っていることに気づいたのか、そもそもの性格がそれだけズボラなのか分からないが、今回は助かったと言えた。
「じゃあ、そこに座れ」
男が入口近くに置かれた椅子を指差した。そこで気づいたのだが、男の胸元に斜めになった名札がついている。『万屋』と書かれており、さっき秋奈が言っていた人物はこの男のようだと幸善は気づく。
「どうした?」
幸善の視線に気づいたのか、万屋は自分の胸元に目を向けていた。
「それって」
「今日はお前のためにここに顔を出したが、普段の俺は人間相手の医者だからな」
「え?仙医って奴なんじゃ…?」
「ずっと仙人が怪我したり、病気したりするわけじゃない。妖怪の怪我や病気もたまに見るが、それも多いわけじゃないしな。普段の俺は大層暇なんだよ」
その言葉を失礼ながらも意外だと幸善は思ってしまった。振る舞いや見た目は胡散臭いが、仕事に対する考えは真面目なものを持っているらしい。
「助けられる力があるなら、誰かを助けるのが義務だ」
そう言ってから、万屋は少し照れ臭そうに頭を掻く。
「と、こんな話をしている場合じゃないんだ。とっとと座れ。調べるぞ」
「あ、はい」
そこから、万屋による幸善の身体の検査が始まった。病院で行われるような触診もあるが、そのほとんどは医務室の奥にあった使用用途の分からない機械を使ったものだった。幸善は言われるままに、それらの機械の前に立ったり、中に入ったりする。
そして、最終的に検査結果が出た。
「分からん」
「はあ?」
「だから、何でお前が妖怪の声を聞けるのか、理由が分からない」
「これだけ検査して?」
「分からないものは分からないんだよ。仕方ないだろうが。取り敢えず、お前の気を少し採取したから、ちょっと本部に送って調べてもらおう」
「気を採取って、そんな血みたいに採れるんですか?」
「そのための機械だ」
万屋はカルテに何かを書いていた。分かったことは一つもないはずなので、分からないということが分かったとでも書いているのだろうかと幸善は考える。
「さて、もう帰っていいぞ。後は報告しておくから」
「え?いいんですか?何も分かってないんですよね?」
「もうここで調べられることは調べてしまったからな。できることがないんだよ」
「そ、そうなんですか…」
結局、何も分からなかったと思いながら、幸善は万屋に礼を言い、医務室を後にする。
しかし、ここからが問題だった。医務室からエレベーターの位置くらいまでなら戻れると思っていた幸善だったが、迷路のようなQ支部の構造は幸善の想像を一瞬で超えてきた。
気づいたら、幸善は自分がどこにいるのか分からなくなっている。
完全に迷ったと幸善が焦り始めたところで、救いの声が廊下の先から聞こえてくる。人がいるなら道を聞けると思いながら、その声の方向に近づいてみるが、そこで幸善は不思議な経験をすることになった。
どれだけ声に近づいても、その声の主が見えてこないのだ。幸善は声の聞こえてくる場所を行ったり来たりしてから、その声が足下のダクトから聞こえていることに気づく。
「よし、準備は整ったぞ」
「あとは合図を待つだけだね」
「一斉に行くからね」
「怯むなよ」
幸善が声に引き寄せられるままに屈んでみると、そこで数匹の鼠が話している様子を見つけた。その言葉を理解できることから、その鼠達が妖怪であることに幸善が気づく。
その瞬間、幸善の視界が暗転した。
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