鼠は耳を齧らない(2)
奇隠Q支部の入口。前日、前々日と二日間も見た都市伝説にもなっているトイレの前に幸善は立っていた。相亀との待ち合わせを完全にすっぽかし、勝手にここまで来たが、問題はここから先だ。Q支部に入るためには、このトイレを開ける必要があるが、都市伝説が生まれるくらいの開かずのトイレはビクともしない。
二日間も開けるところを見たのだから、もう開けられるはずだと、根拠の分からない自信を持って、幸善はドアノブを握ってみるが、ドアノブは右にも左にも回る気配がない。鍵がかかっているのか、中で何かがつかえているのか、どちらにしても途中で引っ掛かって動かなくなってしまう。
やはり、開けられないのかと思いながらも、開けられないことには中に入れないので、幸善は悪あがきをしてみる。相亀が来るまでに何とかしたいと思いながら、幸善は大きく身を仰け反らせながら、トイレの開かない扉を引っ張ろうとした。
そこで目が合った。三十代後半というところだろうか。美しいという表現の似合う女性で、可愛らしいワンピースを着ているが、その美貌と艶やかな黒髪は和服が似合いそうな雰囲気だ。
その女性が心底不思議そうな目で幸善を見ていた。幸善は猛烈に恥ずかしくなり、赤面したまま動けなくなってしまう。
「トイレ泥棒?」
「いやいや、違いますよ!?」
「だよね。トイレットペーパーの方だよね」
「そういうことでもないです!?」
幸善は必死に否定しながら、ふと女性がそこにいることを不思議に思った。ここのトイレは開かないことで有名なはずなので、普通は人が近づくことはない。あるとしたら、その理由は限られてくる。
何より、女性は明らかにコンビニ帰りらしいビニール袋を持っていたので、その可能性が高いと思われた。
「あの奇隠の人ですか?」
「ん?んんん!?」
明らかな動揺で目を泳がせながら、女性の目が幸善から離れていった。その分かりやすい反応に、幸善は少しだけ、ほっとする。これで問題なく、Q支部に入れそうだ。
「俺、頼堂幸善です。耳のことを調べてもらうために、Q支部に来たんですけど…」
「あ、ああぁ!?君が頼堂幸善君なんだね。名前は聞いているよ。もう~、驚かせないでよ」
バシバシと背中を叩かれ、痛いとも言えずに幸善は苦笑いを浮かべる。そこで気づいたのだが、女性の持っているビニール袋は『ファミリーマート』の物だと思っていたのだが、ロゴが似ているだけで、良く見てみると『ラバーズマート』と書いてある。
(どこのコンビニだよ…?)
聞いたことのない名前に、心の中でツッコミを入れている間に、女性がトイレの扉を開こうとしている。
「あれ?でも、弦次君が迎えに行くって…?」
「ああ~……何か、来なかったですよ…?」
「ふ~ん、そうなんだ。ダメだな、サボっちゃ」
「ですよね…」
流石に罪悪感を覚えながらも、幸善は女性と一緒にトイレの中に入っていく。前日、前々日と同じで、そこには地下に降りる階段が続き、その先には見慣れたエレベーターがある。
「そうだ。自己紹介をしていないよね?」
エレベーターに乗ったところで、ラバーズマートのビニール袋を軽く振り回しながら、女性が胸を張って言った。
「私は
「ああ、はい。よろしくお願いします」
何をよろしくしているのか疑問に思いながら、幸善は秋奈との挨拶を済ませ、それから、前回と同じようにエレベーターの先に広がった廊下に出る。
「そういえば、俺はここから、どこに行ったらいいんですかね?」
「あれだよね?耳のことを調べるんだよね?それなら、
「万屋さん?」
「そう。
「仙医さん?万屋さんじゃなくて?」
「ああ、いや、仙医は仕事の名前だよ。仙人専門のお医者さん」
「ああ、なるほど。そういう人もいるのか…」
「万屋さんのところなら」
そう言ってから、秋奈は親切に道順を細かく説明してくれる。その説明を聞きながら、幸善は進むべき廊下の先に目を向け、頭の中で道順を整理していた。
やがて、秋奈の説明が終わり、頭の中で道順を覚え切ったところで、幸善はお礼を言おうと秋奈の方を見る。
「ありが…」
そこで秋奈の姿が消えていることに気づいた。
「あれ?」
辺りを見回してみるが、秋奈の姿は長い廊下のどこにも見当たらない。
「いた、よな…?」
幸善は背筋を襲う寒気に身体を震わせた。妖怪の話を聞いたばかりのこともあり、もしかしたら、幽霊もいるのかと考えながら、幸善は急いで聞いた道順を進み出す。その道が合っているのか疑問はあったが、それ以上に一刻も早く、人のいるところに行きたい気持ちが強かった。
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