黒い犬は妖しく鳴く(6)

 頼堂家での決定は全て多数決で行われる。千明が拾ってきた犬を頼堂家で飼うと言い出した中で、幸善は必死に反対していたが、母である頼堂千幸ちゆきと父である頼堂善明よしあきが千明側につくと、問答無用で犬を飼うことに決定してしまっていた。


 千幸と一緒に楽しそうに犬の名前を考える千明を尻目に、幸善はじっと犬の顔を見てしまう。いかにも犬らしく振る舞っているが、その口はさっきまで日本語を発していたはずだ。

 しかし、やはり、その喋り声は幸善にしか聞こえないらしく、さっきから幸善と善明の前で意味のある言葉を発しているが、善明は笑いながら、どうして吠えているのか聞くばかりで、犬が意味のある言葉を話している驚きは見えない。


「あれから、どうなったんだ?」

「急に倒れてビックリしたぞ」

「まあ、あの女達が大丈夫って言ってたから、多分大丈夫だとは思ったんだが」

「しかし、あれがお前の妹だったのか」

「拾い食いをしようとしていたら、怒られてしまった」


 こんな感じで犬は幸善に一方的に話しかけてきていた。幸善にしか声が聞こえていないのなら、その声に返答すると頭がおかしいと思われ兼ねないので、幸善は答えなかったが、犬は気にしていないようで、それからも何度か話しかけていた。


 一方で千明や千幸の前では非常に可愛らしい犬を演じていた。そこに媚びれば飼われると分かっている振る舞いに、幸善は小さな苛立ちと、やはり飼うことを反対する気持ちが湧いてくる。


「やっぱり、これだね」


 千幸と一緒に紙に書きながら、犬の名前を決めようとしていた千明が、紙の一部を指差しながら呟いた。どうやら、そこに書かれている名前に決定したようだ。楽しそうに幸善と善明のいるところに来て、たくさんの名前候補が書かれた紙を見せてくる。


「これでどう?」


 千明が指差した場所には、『ノワール』と書かれていた。その名前に覚えのある幸善はすぐに由来を察することができた。


「お前の好きなバンドじゃん」


 アメリカのバンド『Noir.ノワール』。L・S・ダーカーがボーカルを務めるそのバンドを、千明は小学生の頃から応援していた。今が中学二年生だから、最低でも二年以上は応援しているはずだ。


「いいでしょ。ほら黒いし」

「白も多いけどな。モノクロって感じじゃないか?」

「ノワールがいいの!!」


 幸善と千明の提案なら、千明の方が勝ることは、さっきの犬を飼うかどうかの流れから分かることなので、幸善はそれ以上の反対をすることはなかった。犬改めノワールを飼うことも、今更反対しても変わることがないなら仕方がない。


 それよりも、ノワールのことが夢でなかったとしたら、前日に起きたことは全て現実のものということになる。商店街で追われたことも、あの地下施設のことも、妖怪や仙人のことも、全て現実に起きたことだ。

 それなら、不思議なことしかない。自分がベッドで目覚めた理由も、商店街での爆発を誰も知らなかったことも、全てが不思議だ。


 妖怪や仙人の話の真偽も含め、幸善はモヤモヤとした気持ちに襲われていた。気になってしまったら夜も眠れない、というタイプではないが、このことは放っておいていいのか怪しいところだ。

 特に自分が意識を失った理由のところはあまりに大きな問題に思えた。睡眠薬か何かは分からないが、薬を盛られたことは確かだと思う。それなら、今も身体に害がないとは言えない。


 しかし、どのようにあの場所を調べるか。もう一度、あのトイレの前に行ってみようかと考えている中で、不意に相亀の顔を思い出した。


 相亀は幸善と同じ高校に通っているはずだ。もしかしたら、高校の中を探すことで相亀を見つけることができるかもしれない。そう思ったが、相亀弦次という名前が本名かも分からない状態で、数百人の中から相亀を見つけられるか幸善には分からない。


 相亀を探すのは難しいかと諦め、トイレの前で待ち伏せでもしようかと思い始めていたのが、千明がノワールを拾ってきた翌日のことだった。いつものように登校していた幸善が廊下を歩きながら、考えていた。


 その途中、角を曲がろうとしたところで、向こうから曲がってきた人物とぶつかりそうになった。幸善は咄嗟に避けて、謝罪の言葉を口にしようとする。


 その寸前、幸善の言葉が止まり、その相手をじっと見つめることになった。


「悪い」


 そう言いながら、立ち去ろうとした人物を幸善は咄嗟に捕まえる。


「見つけた!?」

「なっ!?はぁ!?」


 幸善が鉢合わせたその人物は間違いなく、だった。


「お前、仙人だよな!?」


 幸善の指摘に相亀は酷く慌てた表情で周囲を見回してから、幸善を壁際に引っ張っていく。


「大声で仙人とか言うな…!?ていうか、お前、覚えているのか…?」

「覚えているって、どういう意味だよ?」


 相亀は心底不思議そうな顔で幸善の顔を見つめているばかりで、その言葉の説明をこの時はしてくれなかった。

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