黒い犬は妖しく鳴く(4)
エレベーターから繋がった地下施設は、その位置からは考えられないほどに広く、迷路のように複雑な構造をしていた。どこまで歩いても、ほとんど白ばかりの廊下が続き、同じデザインの自動ドアが並ぶばかりなので、幸善は来た道を戻るように言われても、一人で戻れるのか怪しく思えてくる。
「ここね」
先頭を歩いていた水月が立ち止まり、手で示したドアには『会議室F』と書かれたプレートが貼られていた。水月はドアの隣に小さくあるボタンを押し、ドアを開閉している。どうやら、ドアは自動ドアだが、完全に自動というわけではないらしい。
会議室は十数人での会議を想定としているのか、大きなテーブルの周囲に二十脚ほどの椅子が並んでいた。部屋の壁や天井だけでなく、そこに置かれたテーブルや椅子まで白い物ばかりが揃っている。この施設はどこまで行っても、白を強調してくるようだ。
「どうぞ」
水月に促されて、幸善は犬を抱きかかえたまま、一脚の椅子に座った。特別高価な椅子ではないようだが、座り心地は悪くない。あまりに長時間の座り作業をするなら、他の椅子の方がいいかもしれないが、会議室で話し合いをするくらいの時間なら、十分な物なのだろう。
会議室には隣接した小部屋があり、その部屋に入った水月が数個のコップを持って戻ってきた。幸善の前に置かれたコップを覗き込むと、中にはお茶が入っている。
「コーヒーもあったんだけど、そっちの方が良かったかな?」
「いや、大丈夫。ありがとう」
幸善は礼を言ってから、コップの茶を啜っていた。幸善に抱きかかえられたままの犬は、幸善の膝の上で幸善の前に座る水月達を見ている。
「そうだ。説明を始める前に、その子を預かってもいいかな?」
水月が幸善の膝の上に座る犬を指し、そう聞いてきた。相亀や牛梁が犬を連れていこうとした理由が分からない状態で、犬を渡す気分にはなれず、幸善は不安げに水月達を見てしまう。
「ああ、そうだよね。まだ良く分からないもんね」
「いや、疑っているわけじゃ…」
水月の反応に幸善はかぶりを振りながら否定しようとしたが、相亀の不満げな目と目が合い、その言葉も引っ込んでしまう。
「大丈夫。何か悪いことをするわけじゃないから。ちょっとその子の情報を登録して、その子が悪い子じゃないって、奇隠は把握したいだけなんだよ」
「その奇隠って何?悪い子じゃないとか、意味が分からないことが多過ぎて…」
「妖怪なんだよ、その犬は」
不意に相亀が呟いた言葉に、幸善は面食らって反応ができなかった。唐突に話の角度が変わることを言われても、怒ればいいのか、哀れめばいいのか分からない。
「ちょっと今はそういう話してないから」
「はあ!?お前、全く信じてないだろ!?」
「信じるも何もそういう話は小学生で卒業するべきだったな」
「嘘じゃねぇーよ!?普通の犬に見えるけど、普通の犬じゃねぇーんだよ!?」
必死な形相で叫んでくる相亀を見ていて、幸善はさっきから解消されていない謎を思い出した。黒い犬が流暢な日本語を話していることだ。あの状態を普通の犬とは言わないはずなので、やはり声は幸善にしか聞こえていないようだ。
それを思うと、犬が妖怪という話も信じられるものだが、相亀の話を信じたくない気持ちも強い。
「分かった!?それなら、別の方の証拠を見せてやる!!」
相亀が突然立ち上がり、水月がお茶を淹れてきた部屋に駆け込むと、何故か煎餅の袋を持って戻ってくる。
「この煎餅をあられにする」
「頓智?」
「違う!?」
相亀が一枚の煎餅が入った袋を不意に投げ、その袋に向かって手を突き出した。何をしているのかと幸善は呆れた目で見ていたが、その直後に相亀の手から異様な熱を感じることに気づく。この熱は何かと思っている間に、その熱の塊が移動し、煎餅の袋とぶつかった。
その瞬間、煎餅が爆散した。テーブルの上に煎餅が降り注ぐ様子を見ながら、幸善は唖然としてしまう。
「え?はい?」
「どうだ?これが
「相亀君。後で片づけてね」
「え?あ、うん…」
少し怒った様子の水月に、相亀はさっきまでの元気を途端に失っていた。幸善は幸善で相亀の口から出てきた新たな単語に戸惑っている。
「仙人?妖怪に続いて仙人?中国?」
「ちょっとその連想ゲームは分からないけど…私達は人間と妖怪を繋ぐ、仙人という存在なの」
「どういうこと?そういう人種?」
「ああ、いや、仙人はどちらかと言うと、職業みたいなことだよ。治安維持するのが警察だとしたら、妖怪に関するところを取り扱うのが仙人みたいな感じ。奇隠はその仙人の組織の名前なんだよ」
ちょっとずつだが、意味の分からなかったことに理由が肉づけされていき、幸善にも理解できるように話は進められていたが、それでも未だに頭の処理は追いついていなかった。どれだけ理由が正しくつけられても、起きた現象を現象として理解しても、すぐに飲み込むことのできない話はある。
「待って。一つずつ聞いていくから…えっと、ここについた時に奇隠Q支部って言ってたよね?」
「そう。奇隠はこの国だけじゃなく、全世界に広がる仙人の組織なの。全世界にRを除くA~Zまでの支部があって、ここは日本支部に該当するQ支部なの」
「その支部に入るために、あのトイレがあった?」
「そう。入るためにはコツがいるって言ってたけど、そのコツがさっきの仙技だね。ちょっと開ける時に、特殊な動作をする必要があるんだよ」
「そういうこと…」
非現実的な要素に目を瞑れば、それらは理由として説明されているように思える。だが、非現実的な要素を含んでしまうと、理由は何にでもつけられるようになってしまう。それを簡単に容認していいのか、幸善には判断できない。
「妖怪にも人間に害をなす妖怪と、そうじゃない妖怪の二種類がいるからね。私達はその把握に努めてるんだよ」
「つまり、この子を追いかけていたのは、そのどちらか判断するため?」
「それもあるし、もし害をなさないなら、その情報を奇隠が把握することで、何度もその子を調べる必要がなくなるでしょ?」
「それでさっき情報を登録するって言ったのか…」
未だに納得のできないことは多かったが、他に説明の思いつかないことも多いことは確かだった。犬が喋ることや爆散した煎餅など、幸善の常識にないことを他の理由で説明することは難しい。
そう考えている中で、幸善は当たり前の疑問に気づいた。
「あれ?何で俺がここに連れてこられたんだ?」
「ああ、それは頼堂君がその子をずっと抱っこしていたから」
「ああ、それだけ」
「ううん。それともう一つ」
水月がそう言った瞬間、幸善の視界が大きく揺れた。地震かと錯覚するほどの揺れだったが、すぐに揺れているのが地面ではなく、自分の方だと気づく。
「あれ…?」
その一言だけを残して、幸善はテーブルに突っ伏す形から起き上がれなくなる。水月が何かを話しているのは分かったが、その声は酷く歪んで聞こえ、内容まで聞き取ることはできなかった。少し顔を上げたところで、幸善の目にコップが飛び込んでくる。
(ああ…しまった…)
そう思った時には既に遅く、幸善は気づいたら意識を手放していた。
「ごめんね」
最後に水月の声が聞こえた気がした。
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