第26話 遭遇、危険な老貴族

「お客さん方ぁ、そろそろ下船の準備をお願いしまさァ!! お忘れもんのないように!!」


 その声で、グラニカは目を覚ました。

途端に鼻を突く潮の香り、すっかり慣れた揺れの感覚で、ここが海の上だということを思い出す。


 小さな明かり取り用の小窓からは光が漏れ出しており、どうやら昨日の夕方に乗船して一晩明けたらしい。

 船内では乗客と交代要員の船員が区別なく雑魚寝しており、未だに大鼾をかいている者や、伸びをしている者など様々だ。


 左を向くと、肩に寄り掛かってファーリアがすよすよと小さく寝息を立てている。


「すぅ…………すぅ…………」


 そのさらに向こうで、既に起きていたらしいセフィロが、グラニカの視線に気付くと申し訳なさそうな顔を向けてきた。

 ファーリアが寄り掛かって眠っていることに対してなのだろうが、華奢なファーリアは重くもないし、暖かくよい香りがして、女のグラニカでも思わず抱き締めたくなる程だ。


『大丈夫、もうちょっと寝かせてあげよ』


 起こさないように小声でセフィロにそう伝える。ファーリアは昔から寝起きが弱く、あまり早く起こしても、着くまでに眠くて愚図ってしまうからだ。


 グラニカの意図を理解したセフィロは、困ったように笑いながら、ファーリアの髪を優しく撫で上げる。それから到着して起こされるまで、ついに眠り姫の聖女様が目覚めることはなかった。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



「はい、まいどありィ!またのご利用を!」


 威勢の良い返事を背に受けながら、三人分の船賃を支払ったセフィロは、桟橋を出たところで大きく伸びをした。


「三人でレゴール銀貨9枚って、思ったより安いんだね」


「ん? ああ、あのぐらいの船じゃそれぐらいじゃないか? 船倉に輸入品を積んだ貿易船に乗せて貰えばもっと安いけど、定期船なら、これぐらいだよ」


 レゴール銀貨は、ガレオン王国の遥か西方にあるレゴール国が発行する銀貨で、流通量はガレオン銀貨とほぼ同等。ガレオン王国内でも普通に日々の買い物などで使用され、1枚で三日分の食事代と言ったところだ。


「ふぁぁ……むにゃむにゃ……ぅう、んー? それでも、私達が大陸へ……むに……渡った頃よりは、余程お安いですわよぉ……ふに……」


 ふにゃふにゃとグラニカの腕に絡み付く聖女様は、先程までぐっすりと眠っていたというのに、まだ半分は眠っているような有り様だ。


「もう、ちゃんと起きて、ファーリア様~」


 グラニカが頬をふにふにしても、イヤイヤするように首を振って目を瞑ろうとするのが、端から見ると微笑ましい光景だ。


そして、それは魔族から見ても同じらしかった。


「仲良きことは、良いことですなあ」


 三人の前方から、正装をした痩身の男性が近寄ってくる。三人とも顔が知れた身なので、フードを被るなど最低限の変装はしているが、その男の目は、微笑ましい光景につい声をかけたという雰囲気ではなかった。


 その側頭部から伸びる黒い湾曲した双角は、デーモン族の特徴だ。


「これが残虐非道の魔王を討ち取った彼の英雄様方であろうとは、いやはや、人相書きを熟読せねば危うく見過ごす所でしたぞ」


くっく、と喉を鳴らすような笑い方もさることながら、その紳士然とした服装からは、相手が相応の身分であることが察せられる。


「……我々をご存知のようですが、どこかでお会いしましたか?」


 十分に平和と言える情勢とはいえ、ここは元々魔王のお膝元。いかに悪逆の王と言えど、付き従う者が居なかったわけではない。


 セフィロは二人を庇うように一歩前に出て、左手を腰の聖剣に添える。

 しかし、その痩身の男は、その様子を見ると殊更嬉しそうに口角の皺を深めた。


「くっくっ……おっと、失礼を。いや、彼の勇者様は流石に油断などしておられないご様子で、私としたことが無性に嬉しくなってしまいました。しかし、どうかご安心を。私は、エレナリアの叔父に当たりますマダル=グラニファー。本日は、可愛い姪のお使いで参りました」


 その名を聞いて、グラニカとセフィロの体が一瞬強張る。


マダル=グラニファー。


 先代グラニファー家当主の弟にして、先代魔王軍参謀の一人。本家のエレナリアとは異なり、分家の当主である彼は、嬉々として魔王の傘下に下り、人間側の軍勢を大いに屠ったとされる。

 少数精鋭で魔王城への最短ルートを踏破したセフィロ達とは一度も剣を交えたことはないが、その名は、今でも恐ろしい魔族として世界中で語り草になっている。


「……あのマダル様御自らお迎え頂けるとは、こちらこそ大変失礼を致しました。私はセフィロ=ディア。そっちは妻のファーリアと……」


 エレナリアの使いという言葉で一応の警戒は解いたが、剣にかけた手は未だに離してはいない。


「グラニカ=シオン、です」


 緊張した様子で頭を下げるグラニカを、マダルは実に興味深そうに見詰める。


「シオン、ほお。貴女が『鬼族』宗家のグラニカ様ですか。お初にお目にかかります。剛力無双のお噂はかねがね聞き及んでおりますよ」


 グラニカはおっかなびっくりと伸ばされた手を握り返すが、マダルは心底嬉しそうに笑顔を作っている。

 セフィロとも握手を交わしたマダルは、くるりと身を翻すと、肩越しに三人へこう告げた。


「さて、到着早々申し訳ありませんが、エレナリアの元へご案内致しましょう。馬車を用意しています。こちらへ」


 グラニカは未だにふにゃつくファーリアを抱え上げ、セフィロと共にその後に付いていく。


 しばらく歩くと、港の前の石畳の道路に停められた、豪奢な装飾の施された立派な二頭立ての馬車が姿を表した。


 御者らしき男はこちらに気付くと、恭しく頭を下げて馬車のドアを開ける。

 内装は外見同様に細部まで細工がされ、所々に魔界独特と紋様やシンボルが踊る。


「僭越ながら、同席させて頂きましょう」


 優に四人は座れる座席が向かい合わせになっており、片側に三人、片側にマダルが座る形になった。


「あの、どこまで向かうのでしょうか?」


 セフィロがそう問うと、マダルは額をぱちんと叩いて笑い出した。


「はっはっは、いやはや、歳は取りたくないものですな。行き先をお教えしていなかったとは!」


咳払いを一つ挟み、マダルが答える。


「目的地はグラニファー本家です。皆様は魔王城へ向かうのでしょう? ああ、それと本家の部下からは、パラドン殿は既に到着していると報告が上がっております」


 エンデュミオンとグラニカへの襲撃の報を受けてすぐに出発したパラドンは、昨日には既にこちらでエレナリアと接触したはずなので、マダルの言葉には信憑性があった。


「それでは、一時の楽しい馬車旅を楽しもうではありませんか」


 危険な香りのする古強者の老貴族マダルと共に向かう先は、エレナリアとパラドンの待つグラニファー本家。いよいよ、セフィロ率いる勇者一行の、魔王城への再攻略が始まろうとしているのだった。



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