第21話 追憶、この憎しみの行く末を②

「…………何だ、随分と静かだな」


 大量の吐血と、高熱によって大量の死者を出す流行り病が猛威を振るう辺境域。


 父と共に、幼少期のわずかな時間を過ごした村へと戻ったエンデュミオンは、奇妙なまでの静けさを訝しんでいた。


 父が、流行り病に効く完全な魔法薬と、その調合法を遺して二週間が経った。


 未だに感染の波は収まらず、王都でもいつ感染者が出てもおかしくないという状況に、宮廷魔導師達は必死に目ぼしい魔法薬の調合を繰り返し、王政府も有効な薬に莫大な賞金を懸けた。


 人間、エルフ、そして王政府に憎しみを抱く少年のエンデュミオンは、父の遺した調合法を自身の知識として刻み、記録は全て焼き尽くしていた。


「病が恐ろしいとはいえ、静かすぎる。もはや村には人がいないとでも言うのか?」


 かつて、父を魔導師として頼りながら、王政府やエルフ族との後難を恐れて村から石もて追い出した村に、エンデュミオンがわざわざやって来たのにはある理由があった。


 思えば、父が流行り病の魔法薬を作ろうと思い立ったのも、この村で感染者が出たと風の噂で聞いたのがきっかけだった。

 追い出されてもなお、父はこの村のことを思っていたのだ。しかし、エンデュミオンにはそれが堪えられぬ程、愚かな行為に思えてならなかった。


『俺を、そして父さんを追い出したのは奴らだ。元より、父さんの薬がなければ死ぬのであれば、その結果は奴らが招いたこと』


 吐血した血液から感染するらしき流行り病は、末期症状が出る前にエンデュミオンの父の魔法薬を飲めば発症を防げる。

 それは、幾度も父の血の飛沫を吸い込んだはずのエンデュミオンが発症していないことで、証明されていた。


しかし、エンデュミオンはその薬を握り潰した。


憎い、憎い、憎い。

母の愛を、暖かな家を、何もかも奪われた。


 まだ少年のエンデュミオンには、ただそれだけが体を前に動かす理由の全てだった。


「……ここは、確か村の集会所だったか?」


 粗末な作りの木造家屋がほとんどだが、一際大きく、少しだけ立派な梁を巡らせた建物。


 その入り口には、なにやら赤く染められた布が垂れ下がっている。


「何かの印か……中に入る必要は、なかろう」


 そのまま通りすぎると、一軒のこれまたも少し大きな民家があった。

集会所の裏手は、村長の家だったはずだ。


「チッ、表に出ている人間が一人もないとは、気味が悪いな。だが、むしろ今は都合が良い」


エンデュミオンが、村を訪れた理由はただ一つ。

 それは、かつてエンデュミオンが父と共に棲んでいた家が、手を付けられず残されているという噂を耳にしたからだ。


 あの家には、父の遺した魔法研究の資料や、貴重な魔法道具、それに様々な魔法薬調合の設備があったはずだ。


 村を出るときに、持ち出せるようなものは持ち出したが、それでも魔導書などは結構な数があったはずで、それだけでもかなりの財産になる。


 村の人間達が何を考えたのかは知らないが、大方、家を壊すことで報復されるのを恐れたのか、それとも今さら罪悪感でも出たのか。


 とにかく、残っているのなら回収しない手はない。もはや父はおらず、エンデュミオンには生きていく上でそれらが必要なのだから。


 あの家は、確か集会場を越えて、村の外れにある共同畜舎のさらに先、森の入り口に程近い場所にあったはずだ。


エンデュミオンは記憶を辿りながら、足を進める。


しかし、畜舎が見えた頃、奇妙な異変を感じた。


「うっ、なんだ、この匂いは?」


鼻腔を突き刺すような、強烈な腐敗臭。

明らかに畜舎からしているが、風向きの関係かここに来るまで気付かなかった。


家畜の糞尿の臭いとは、また違う。

これは肉が腐った臭い、つまり死臭だ。


 嫌な予感ほど当たるもので、恐る恐る覗き込んだ畜舎のなかは、地獄の様相を呈していた。


「うぐっ、ば、バカな、なぜこんな……家畜を連れて行かなかったというのか? それほど急いで村を捨てたとて、奴らに行くあてがあるとも思えんが……」


 流行り病の猛威は、確かに辺境の村々を中心に拡がっているが、となれば尚更村を捨ててどこか行く意味がないように思う。


 王都に集団で避難しようにも、検疫の為の検問で追い返されるのがオチだ。

それに、小さな村とはいえ、子供や老人が居ないわけではない。下手な移動は、かえって様々なリスクを高めるはずだ。


ならば、どこに?


 考えながら歩いているうちに、エンデュミオンは見覚えのある小さな家を見つけた。


「ふう、ようやく着いたか」


ひとまず、村人のことなど考えても仕方ない。

荷物をまとめてさっさと帰ろうと、ドアを開ける。


しかし、家の中はどうも想像とは違っていた。

荒らされた形跡があったのだ。


「チッ、さすがに手付かずとはいかなかったか。だが、高価な魔法道具はそのままのようだな。荒らされているのは、魔法薬の調合器具と書棚か?」


 盗人であれば、真っ先に狙いそうな品は全て手付かずで、なぜか魔法薬関係の品だけが無造作に散らかっている。机の上には、干からびた材料や薬草が並び、指南書が開いたまま置かれている。

まるで、素人が調合の真似事をしたかのような、そんな雰囲気だ。


それで、エンデュミオンはピンときた。


「奴ら、薬を作ろうとしたのか……」


 魔法薬の調合は、要所要所で魔法を行使しながら、材料を変質させたり、混合した物を調整したりと、普通の薬とはそもそも製法が異なる。

 

 ゆえに多少魔法の心得があろうとも、経験がなければ作れるものではなく、素人であれば基礎となる薬液を作ることすらおぼつなないはずだ。


 エンデュミオンは持ってきた運搬用の大きな袋に、片っ端から魔導書、調合器具、魔法道具を詰め込んでいく。

端からみれば、華奢なエンデュミオンに持ち運ぶことができる量ではないが、この袋も、そしてエンデュミオンも見た目通りではない。


あらかた目ぼしい物を収納したエンデュミオンは、袋を一旦置いて、手をかざす。


「エンデュミオン=クラウスフィアが命ずる。吊り上げろ"不可視の腕インビジブル・アルム"」


 重量軽減魔法をかけた袋は、本来の重量の1/5程にまで軽くなっている。

 

 袋そのものも、魔界大陸由来の魔獣の皮を張り合わせて作られた、非常に強靭で伸縮性に優れた逸品だ。これぐらいの運搬で破れることはないだろう。


エンデュミオンは袋を背負い、家を出る。

二度と戻らぬ家だが、必要なものは手に入った以上、感慨は何もない。


来た道を戻る中、エンデュミオンは押し黙りながら、あることを考えていた。


「素人がわざわざ魔法薬を調合しようと試みたということは、奴ら、村を出る気はなかったと言うことか?」


 散らかされた調合器具や書籍は、思い付きで少し弄っただけ、という感じではなかった。

おそらく数週間、下手をすればそれ以上、試行錯誤を繰り返したような痕跡があった。

瓶詰めにされた試作品らしき腐った液体や、枯れ果てた種々の薬草が、それなりの覚悟を思わせた。


 村を捨てて逃げようとするのならば、果たしてそこまで魔法薬にこだわるだろうか。


 寒気に似た予感が、エンデュミオンの背に冷たい風を吹かせる。


 その足取りは、来たときよりも確実に早くなっていた。

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