第20話 追憶、この憎しみの行く末を ①

 夢を見た。正確に言えば、昔の記憶だ。

 それは忘れることすら赦されぬ、多くの人間を殺した罪の記憶。


 何年前のことかは、もう思い出せん。

 ただ、あの時の怒り、苛立ち、そういった感情だけは不思議と忘れることができなかった。


 ああ、あれは確か________


 その日、私はつまらん用事を済ましに王都へ行った帰りだった。


 愚かな父親が、流行り病で死んでから何年が経ったかも、もはや興味はない。

 エルフの寿命は人間の3倍近く、ハーフエルフとて人間よりは十分長く生きる。


 元より、私と人間たちでは人生という尺度が違うのだ。


 母親の姿を最後に見たのは、物心つくかどうかの頃。愚かな父と同じで、エルフ族の長の娘である自身の立場も弁えず、その結果として生まれた私と父を捨てて、エルフ達の居住区へ戻った卑怯な女。生きてはいるのだろうが、この先逢うことは二度とないであろう。


 そんな両親の元に生まれ落ちた私が、突然愛と正義に目覚めるなど、三流の劇作家でも思い付かない脚本だ。


 だが、どうやら人間共の、少なくとも王政府の連中は、私が自分達の為に力を貸すことを信じて疑っていないらしい。


 今日、王都に出向いたのもそのあまりに検討違いの妄想の為だったと思うと、怒りで魔力が煮え滾りそうになる。


『高名なエンデュミオン殿には、是非とも宮廷付きの魔導師として、ガレオン王国の未来に貢献して頂きたく______』


 内務大臣と名乗る肥え太った虫を、その場で丸焼きにしなかったのは、私の懸命な自制が功を奏した結果だろう。これだけで、下手をすれば勲章ものだ。そんなもの、これっぽっちも欲しくもないが。


 エルフ族と人間、とりわけガレオン王国とは決して険悪なわけではない。

 むしろ、ガレオン王家はその力でエルフ族が居住地とする一帯を完全な不可侵領域にし、非常に完成した隔離による共存を実現している。


 エルフ族にも、上層部には外交手腕のある者がいるようで、王家との癒着によりエルフ独自の魔法技術、魔法薬の技術が流れているのは、公然の秘密である。


 もっとも、強力かつ革新的なそれらが民草まで下りてくるのは、何十年も先のことだろうが。


 そして、私の父はその利権関係に愚かしくも楔を打ち込んでしまった為に全てを失ったのだ。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 幼い頃に、何度か寝物語で聞かされた両親の馴れ初め。今思い返せば反吐が出そうなそれを、それでも幼い私は目を輝かせて聞いていた。


 辺境域の小さな村で、魔法研究をする傍ら、村人の病や怪我を無償に近い金額で治していた父は、ある日、エルフの棲む不可侵領域の近くで、一人の美しいエルフと出会う。


 エルフの掟では人間との接触自体好まれないが、それでも好奇心旺盛だった母は、初めて会った人間との色々な話をしたという。


 禁欲的な閉鎖された森の暮らしに飽き飽きしていた母が、魔法研究に邁進する若き父に頬を染めたのは、ただの偶然だったのだろう。


 二度、三度と重ねた逢瀬は、いつしか舞い上がった愚かな二人の情欲に火を灯した。


 当てのない数年の逃避行の末、彼らはエルフとガレオン王国の追手に捕まり、二度と逢わぬという誓いの元で、父と幼児の私は見逃された。


『ごめんな、エンデュミオン……ごめんな……』

 涙を流しながら私を抱き締める父に、かける言葉などありはしなかった。


 そうして、何とか二人で生きていこうと長年住んだ村に帰ることにした。

 それが、誤った選択だとも知らずに。


 村人達は、エルフ族と王家に睨まれた父を厄介者とばかりに責め立て、かつて病を治した者達ですら石をもって私達を村から追い出したのだ。


 それでも、父は何も言わずに頭を下げ、私をつれて村を出た。


 次に屋根のある場所を家としたのは、それから数ヶ月後のことだったと思う。


 その頃、辺境域で奇妙な病が流行りだしたのを、私達は風の噂で聞いていた。


『エンデュミオン、どうも先日聞いた病だが、あの村にも何人か病人がいるらしい……私ならば、薬を作れるかもしれない』


 許してもらおうなどとは、微塵も思っていなかったはずだ。ただ、どうしようもなく善人であった父は、石を投げられてもなお村人達を思ったのだろう。

 手持ちの金と自力で採取した薬草、そして頭の中にある知識を総動員して、未だ宮廷魔導師すら調合できないその病の特攻魔法薬を作り出したのだった。


 しかし、運命の神はいつだって残忍だ。


『近頃、薬の研究で頑張りすぎたかもな……少し、休む。悪いが、夕食はどこかで買ってきてく、げほっ、ごほっ、ぇあ、おえぇああ……っ!?』


 膨大な量の吐血、そして燃え上がるような高熱。

 奇しくも、それは父が研究していた流行り病の末期症状そのものであった。


『ぐぅ……ど、どこかで感染したのか……! す、すまない、げほっ、おぇぇ、え、エンデュミオン、この薬を、製法はごほっ、お前でも、調合はできるはずだ……末期症状になっては、はぁ、手遅れだが、症状が出る前、ならば……』


 その日から高熱を出し続けた父は、何度も血を吐き、懸命な私の看病も甲斐なく、三日目の夜に息を引き取った。


 父の残した薬の効果は本物らしく、吐血した血から感染すると考えられた病が、幾度となく血飛沫を吸い込んだ私に発症しなかったのがその証拠になった。


『調合、く、薬を、げほっ、村へ……そして、王政府へ、調合法を……』


 最期までそう言い続けた父は、実に詳細に魔法薬の調合方法を書き残しており、子供だった私でも同様の物を作ることはできた。


 そう、作ることはできたのだ。


 父を看取った私は、せめてもとエルフ族の棲む不可侵領域が見える丘に父を埋葬し、二度と参らない旨を告げて、その場を後にした。



 家に戻った私は、荷物を片付け、旅装を整える。

 数日前で父が眠っていたベッドは、所々に血の染みが付いており、感染を防ぐにはそれらを燃やすのが一番手っ取り早い。


 気付けば、私の顔には笑みが浮かんでいた。

 何が可笑しいわけでもない、そのはずなのに。


『くくっ、はははっ、あははははは!!村人を助ける? 調合法を王政府に渡す? あはははははははっ!! 馬 鹿 が!! その、その甘さがッ……母さんを、俺を苦しめたのが、死ぬその時まで理解できないのかっ!? 愚かしい"人間" が!!』


 掌に魔力を集中させ、無詠唱で炎を巻き起こす。

 その炎は、エンデュミオンの憎悪を映し出す鏡のように、血にまみれた寝具を、そして父が今際の際まで縋るように書いていたノートを、何の感慨もなく灰に変えていく。


 その中にあった知識は、全て頭の中に入っている。自分以外に使う者が居ないのであれば、それだけで事足りるのだ。


『なあ、父さん。魔法薬の調合法、そして研究は全部、俺が引き継ごう。だから、安心して見ていてくれ________俺の、この憎しみの行く末を』


 炎を見詰めるエンデュミオンの瞳。

 エルフ特有の美しいエメラルド色に、揺らめく赤い影が幾重にもまとわりつく。


 後に、救世の大魔導師と呼ばれるハーフエルフ。

 そんな彼の、知られざる闇。


 それが薄らぐのは、まだ遠い未来のことである。


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