第19話 困惑、居候とミートソース

 夏真っ盛りという気温の中、エアコンをきかせたアパートの一室に神妙な顔をした竜之介とエンデュミオンがいた。


 二人の前には、腕を組ながら不機嫌そうな顔で二人を睨むセーラー服姿の少女、遠堂 澪夏ミオナが仁王立ちで立ちはだかる。


「と、いうわけでね。こちら、エンデュミオン=クラウスフィアさんだ。しばらく家に住むことになったから、仲良くしてくれ」


 学校から帰宅した澪奈に、竜之介は突然そう言い放つ。実に正々堂々と言ったものの、額に滲む汗は、これから起こるであろうことを予見してのものだ。


「はぁ!? どういうわけよ、このバカ兄貴!!ちゃんと説明しろっ!!」


 澪夏の怒りももっともだろう。


 街中で倒れた見知らぬ外国人を助けたら、なぜか兄貴の知り合いで。

 それだけならともかく、そう広くはないこのアパートで共同生活を送るなど、たとえ思春期でなくとも快諾はできない話だ。


「大体何よ、エンデュミオン=クラウスフィアって!? 絶対偽名じゃん!」


 間違いなく実名なのだが、竜之介が過去に異世界で魔王を倒して来たことなど一切知らない澪奈に、エルフ特有の冗長な名前の響きを一から説明するわけもいかない。


「エンデュミオン殿はー、そのー、スウェーデンの田舎から日本文化を学ぼうと、単身上京してきた好青年でー……」


「嘘つけ!目が泳いでんのよ!」


 取り付く島もないが、ここで引き下がればエンデュミオンは宿無しで異世界に放り出される羽目になる。エンデュミオンとしても、それは避けたいところだ。


「澪夏とやら、貴様の気持ちは理解できる。本当に申し訳ないことだが、帰る目処が立つまででいい。どうか、頼む。この通りだ」


 いかにエンデュミオンでも、頭を下げるべきタイミングに誇りを優先したりはしない。

 しかし、これは3年前の彼からは想像しがたい成長であった。


「オッフ……エンデュミオン殿が、あのエンデュミオン殿が頭を下げるなど……拙者、とても尊い物を見た気が……あれ、目の前が霞んで?」


 よよよ、と涙を拭く素振りで話を誤魔化し切ろうとする竜之介だったが、そんな手でどうにかなるほど、澪奈は甘くない。


「ふざけんなバカ兄貴! 大体、なんでそんな仲良い感じなのよ!? 一度も見たことないけど、そんな外国人の友達! ま、まさか、ボーイズラブ……!? 海外放浪の時に知り合ったの!?」


「はーーー!? お、お兄ちゃんを同性愛者扱いするんじゃありませんことよっ!? 」



 今から三年前、それまで二年間も消息不明だった竜之介が、いきなり姿を現した。

 就職で上京した竜之介は、終電間際の駅で見られたのを最後に行方不明となり、捜索届けが出されるも、ろくな進展がないまま家族ですら半ば諦めていた。しかし、ある日、元々住んでいたアパートにひょっこり帰ってきたのである。


 本人からすれば、見ず知らずの女神に拉致され、なんやかんやで世界を救って来たわけだが、残された家族が知ったことではない。


『誰にも言わずに、こっそり海外放浪の旅に行ってました! 嘘ジャナイヨ! いや、マジで本当にご心配お掛けして申し訳ありませんでした!』


 竜之介は、家族にも警察にもこれで通した為、あの世界での2年間は丸々、海外放浪ということになっているのだった。


 そして、竜之介が居なくなった後、「いつか、兄貴が帰ってくるかもしれない」と、東京の有名進学校に入学した妹の澪奈が、そのまま竜之介のアパートの部屋に住んでいた為、竜之介が元の世界に帰還してからは、兄妹二人で暮らしている。


 何だかんだ兄想いの妹なのだが、如何せん、思春期なのか態度がツンツンしており、些か思い込みが激しいのが、竜之介の悩みの種だ。


「う、ぅうううう! バカ兄貴、カナ姉ぇに言いつけてやるんだからぁあああ!!」


「ばっ、待て! それはマジでヤバい! 澪夏、みおなーーーーっ!」


 顔を抑えて部屋を出ていく澪夏を追いかけるも、既にその背は見えなくなっていた。


「なあ、リュノスケ。あれは貴様の妹なのだろう? やはり、私がここに間借りするのは迷惑になるだろうか……」


 竜之介の住むアパートは、そう古いわけではないが、ファミリー向けでもない為、今でも少々手狭ではある。


 かと言って、エンデュミオンがすぐに元の世界へ帰れる保証は全くない。

 竜之介からすれば、エンデュミオンの性格上、むしろ目を離す方がリスクが高いと思っていた。


「ま、まあ、飯でも食ってから考えましょう」


 こうして男二人、頭を悩ませながらの昼食が始まるのだった。


 この日のメニューは、お手軽にパスタだ。


「ほう、これはヘレディア地方の伝統料理に似ているな。存外、こちらにも同じ様なものがあるものだ」


 レトルトのミートソースをかけたものをフォークに絡めつつ、エンデュミオンは感心したようにそれを眺める。


「ああ、ありましたね。あのバカみたいに寒い雪原を抜けた後のパスタ、旨かったなあ」


 ヘレディアは北方の寒冷地帯にある小国で、かつての旅の途中に立ち寄ったことがある。

 そこにも、パスタに似た小麦を練って麺状した料理があった。


 竜之介、そしてエンデュミオンにしても、あのときと全く違う場所、そして二度と逢うことはないと思っていた相手と食事をしているのが、とても不思議な感覚だった。


「戻らねばな、あの世界に」


 噛み締めるようにエンデュミオンが呟く。

 未練はない、だが、やるべきことがあるのだ。


 口に広がるケチャップの酸味が、懐かしさと決意を、エンデュミオンに思い出させていた。

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