第15話 習得 、翻訳魔法と狂戦士

「えーと、保険外診療となりますので、ちょっとお値段の方が高くなってしまいますね」


 総合病院らしい大きな受付、その清算窓口の一つで、言いにくそうに事務員が苦笑する。


 エンデュミオンが熱中症で病院に担ぎ込まれた翌日。

 点滴ですっかり復調したエンデュミオンは、竜之介に買ってきて貰ったTシャツと短パン姿で病院の待合室に座り込んでいる。



 そして当の竜之介は、当然のように保険未加入なエンデュミオンの入院費用の支払いに、財布を手にガタガタと震えながら冷や汗をかいていた。


「ろろろ、六万円!? ろっくまんえん!?ろっくまんえん!? 過ぎ去りし季節はドラマティックかよ……ああ、健康保険って偉大なんだなあ……」


『どうしたのだ、リュノスケ。まさか金が足りんのか?』


 様子のおかしい竜之介を見かねて、エンデュミオンが声を掛けた。


 しかし、そもそもこの世界に転移したばかりのエンデュミオンにどうこうできる問題ではない。


『い、いや、大丈夫っす。気にしないで下さい』


 安心させるようにエンデュミオンを下がらせて、竜之介は一枚のカードを差し出し、か細い声で祈るように問う。


「ここ、クレカ使えますか……?」


 なんとか支払いを終え病院を出た二人は、他に行くあてもないので竜之介のアパートへと向かうことにした。病院の最寄りの駅からは、電車と徒歩で1時間ほどかかる。


『この世界は、貴様が言っていた通り我々の世界とは随分と違うようだな』


 竜之介の半歩後ろを歩くエンデュミオンは、落ち着いた様子ながらも、通り過ぎる景色を興味深げに眺めている。


『エンデュさんが意外に冷静で、俺は驚いてますけどね。俺の時は、訳もわからずもっと叫んだりしたもんすよ。オッフ、懐かしいでござるなあ』


『……貴様、昨日から気になっていたが、"狂化"はまだ使えるのか? あれは、女神から授かった力だと聞いた気がするが』


 "狂化"は、かつて転移した際に竜之介が女神より賜った力だ。


『安心して下さいって、昔と違ってちゃんと制御できてます。テンション上がったからって、そうそう暴走はしませんですしおすし』


 竜之介の"狂化"は、発動条件として本人の精神面に強く依存している。

 故に【テンションが上がる】ことが一種のトリガーとなっているのだが、転移した当初は制御に苦労し、度々セフィロやパラドンを筆頭に無理矢理抑え込まれた経験もあった。


『そうだといいがな。貴様の口調が普段の気怠そうなものと変わる度、私の体が瞬時に強張るのが実に腹立たしい』


 そんな傍迷惑な力を竜之介に与えた女神だが、今はその存在がどこにいるのかを知る者はいない。竜之介でさえ女神を直接見たことはなかった。


 前提として、そもそも女神とは文字通りの神ではない。


 魔王と女神はそれぞれがことわりの両極端に位置する存在であり、魔王が生まれると同時に女神もまた目覚める。


 そして、人々に魔王に対抗する為の力を与え、世界の調和を保とうとするのだ。

 それは言わば、世界の防衛本能。意思を持つ魔王へのアンチテーゼこそが女神の正体なのである。


『向こうからこっちに転移した時、一応"狂化"や身体能力を失うのかって女神様には聞いたんすけどね。魔王を倒した直後だったせいか、どうもレスポンスが悪くて……で、いざ目覚めたら普通に狂えちゃったんすよ』


 竜之介の"狂化"の発動条件の一つはテンションが上がることだが、いざ"狂化"して変化するのは、主に身体能力だ。


 十メートル程の距離を瞬きほどの間で詰め、巨獣の一撃を生身で受け切り、渾身の蹴り一つで人間の胴回りほどの生木をへし折る。


 その上で、テンションが異様に高いのだ。


 例え魔獣の群れに囲まれようが、魔王軍幹部と対峙しようが、狂ったように笑い、叫び、襲い掛かる。そして打たれ強いせいで、中々止まらない。


 不屈の狂戦士の名は、その様子を見事に表した二つ名であったと言えよう。


『…………今だから言うが、狂っている時の貴様は本当に怖い。あのセフィロが半泣きになっているのを見たのは、貴様が暴走している時が最初で最後だ』


『自分だとよくわかんないんすよねー。意識が飛ぶというか、めちゃくちゃ楽しい気持ちは感じるんすけど』


 しかし、"狂化"状態で継続して使えるのはせいぜい十分が限界で、常時の身体能力は一般人と大差ない。


 ここまでピーキーな能力を使いこなしたのも、ひとえに竜之介の才覚ではあるのだが、制御を完成させるのに流した仲間達の汗も決して少なくはなかった。


 そんなことを話ながら、二人は駅に入り、目当ての電車に乗車する。


 聞き慣れた英語や中国語の車内放送を聞き流しながら、ふと竜之介はあることに気付いた。


『あの、エンデュさん翻訳魔法みたいなの使えませんでしたっけ?』


 竜之介があちらの世界に転移した直後、公用語の東ガレオン語を覚えるまでは、エンデュミオンの作った翻訳魔法を宿した魔石も持ち歩くことで意思疏通を図っていたことを、ふと思い出したのである。



『…………………………使える、な』


 エンデュミオンが一瞬言葉に詰まったのは、その発想が一切浮かばなかったことに自分自身驚いていたせいだ。

 確かに、この世界にしばらくいる以上、言葉を覚えるまでは翻訳してでも意思疏通の必要がある。


『術式構築は不要だな。エンデュミオン=クラウスフィアが命ずる! 嘯け、"騙る口唇エスクロ・レーヴル"、発動……!』


 記憶の片隅にあった術式をそのまま流用した魔法だが、かつての旅でも度々使用する機会はあったので、精度には自信があった。


「………ふう、どうだ。私の言葉は理解できるか?」


「おお、めっちゃバッチリっすよ! やっぱエンデュさん何でも出来ちゃいますねー!駅前のピンクのウサギなんか目じゃないっすよ」


 誉めているのかよくわからない比喩に返す言葉もないが、こうしてエンデュミオンは擬似的に日本語を会得したのだった。





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