第12話 襲撃、宵闇の死闘

「はぁ、はぁ、おのれ……野蛮な暗殺者め……!」


 騙し討ちで半ば強制的に着せ変えられたエンデュミオンが、息も絶え絶えにウォークインクローゼットから廊下へと出る。


 室内の大きな三面鏡の姿見の前では、執事風で浅黒い肌の男、ディル=ラジュールが慇懃な態度で軽く会釈をしていた。


「晩餐の用意が終わったらお呼びしますので、それまではご自由に院内をご覧ください」


 そう言いながら、ディルが畳んでいるのは先程までエンデュミオンが着ていたローブやシャツだ。


『エンデュミオン殿がお召しのローブは、大変実用性に優れた逸品ですが、今宵の晩餐に魔物はおりません。私としては、グラニカ様同様に社交性のあるタキシードなどがお勧めかと』


 その口調とは裏腹に、エンデュミオンは瞬く間に身ぐるみ剥がされ、抵抗する暇もなくタキシードを着せられていた。


 しかし、悔しいが、三面鏡の姿見に写し出された自分の姿は正に高貴な紳士と言うに相応しく、このままグラニカと夕食というのも悪くないと思ってしまっていた。


(あの男め。院内を自由に散策せよと言われた所で、この薄暗闇の中で何をしろと言うのだ?)


 経費節約の為か、廊下の燭台に火は灯されておらず、子供たちも寝静まっているせいで、声が聞こえることもない。

 仕方なく、エンデュミオンは薪割り小屋へ行く時のルートを戻って、メインホールへ行ってみることにした。


 ちょうど、角を曲がった時。


 前方に伸びる、月明かりの差し込む廊下。その奥から、凄まじい勢いで何かがこちらに向かってくるのをエンデュミオンは感じた。


「っ!? 何だ、こちらに来る!!」


 目を凝らすが、気配と明確な敵意以外には何も感じられない。それはまるで、闇に溶け込んだ影のように不可視であった。


「まずっ、ぐ、うぉおお!!」


 その初撃を回避できたのは、奇跡で間違いないだろう。なぜなら、廊下の窓枠の影が突然形を変え、腕ほどもある影の杭として突き出されるなど、エンデュミオンは想像すらしていなかったのだから。


「これは、まさか________操影魔法!! 馬鹿な!? 先々代の魔王と共に滅んだ古代魔法エンシェントだぞ、扱える者などいるはずがない!!」


 操影魔法は、読んで字のごとく影を自在に変質させ、物理的な影響を可能にする魔法だが、自然法則をねじ曲げるほどの膨大な魔力を必要とし、一種の『世界改変』を引き起こす。古き魔王が得意とした魔法だ。


 だが、編み出した魔王以外の誰も術式を知らず、その存在を知るものはエンデュミオンのような世界有数の魔法研究者や魔導師に限られていた。


(歴代魔王由来の古代魔法エンシェント……ッ! 後継者の覚醒がここまで早いとはな!! 狙いは私とグラニカ、両方か!?)


 次々と繰り出される影の杭による打突をすんでのところで見切り、かわしていく。

 しかし、廊下という狭い空間は、大規模魔法を得意とするエンデュミオンにとっては不利にはたらいてしまう。


 運動能力の低いエンデュミオンが影の攻撃をかわせるタネは、瞳で常時発動させている動体視力強化の魔法によるものだが、敵の攻撃は段々と追い付けない速さまで加速しつつあった。


(まずい、防御魔法の術式構築は、間に合わんか……!!)


「エンデュ!! 伏せてッ!!」


 背後から聞こえた声に、エンデュミオンは咄嗟に反応して身を屈める。

 その瞬間、間髪入れずに、頭上すれすれを魔力を纏った巨大な手裏剣が掠めていった。


 ギャリギャリギャリギャリッッ!!!!!


 大手裏剣は魔力によって造られた影杭の群れを引き裂き、廊下の奥へと押し返していく。


「誰かは、知らないけど。私の仲間と孤児院を傷付けるなら_______殺すよ」


ゾッとするような冷たい殺意。

 

 魔界において、隠密と暗殺を生業にして幾星霜。時代によっては魔王の右腕を輩出したこともあるとされる、稀少種族「鬼族」の宗家。


 その血を今に繋ぐ"バケモノ"が、そこにいた。


「グラニカ様、何事ですか!!」


 それとほとんど間を開けずに、廊下へディルが駆け込んできた。

 先程の執事然とした様子とは一変し、手には暗殺教団信徒が好んで使っていた短刀を握っている。


「来るな、ディル! みんなを避難させて!こいつは、私じゃないと止められない!!」


 その言葉に、ディルは素早く反応してその場を後にする。

 相手はおそらく魔王の後継者。

 グラニカの判断は間違いではないはずだ。


「ッ、グラニカ!! 影に気を付けろ、敵は影を実体化させる魔法を使う!!」


 エンデュミオンの助言に小さく頷き、グラニカは駆け出す。

 迫り来る影を短刀でいなし、切り裂き、影の根本、不可視の闇を真っ直ぐに目指している。


「はぁあああああああああ!!!!!」


 咆哮に呼応するように、グラニカの額から一対の漆黒の角が現れ、その両腕が赤熱して緋色に染まる。


「猛れッッ!!_______"鬼神掌打きしんしょうだ"!!!」


 巨大な悪竜を素手で殴り殺したとされる、宗家初代の豪腕。暗殺者として最高速度に、鬼神の力を乗せた必殺の一撃は、影の中心にある闇を正確無比に打ち抜いた。


 エンデュミオンは衝撃波と熱風に顔を覆うが、それを振り払って前へと進む。


 エンデュミオンにも、そして渾身の一撃を放ったグラニカにさえ、一つの確信があった。


(まだだ、これで終わりなはずがない!!)


 先代魔王でさえ、グラニカと同等以上の英雄六人が死力を尽くしてようやく勝利したのだ。

 いかに覚醒して日の浅い後継者とは言え、今の一撃で仕留めたとは到底思えなかった。


 そして、どうやらその予感は当たっていたらしい。


『っ!? 』


 不可視の闇が弾き飛ばされた先、そこから一気に伸びた影が触手のように廊下全体を覆う。


 閉鎖された空間に、禍々しい魔力が満ちていく。それは明らかに強大な魔法を放つ為の溜めだった。


(まずい、この空間を周囲ごと消し飛ばすつもりか!?)


「下がって!! 抉じ開ける!!」


 グラニカが勢いのままに影の壁をぶち破ろうと拳を振るうが、影は揺らめくだけで効いている感触はまるでない。


「時間がない、グラニカ!! 私に掴まれ!!」


 脱出不能の閉鎖空間、力押しも通じないとなれば手段を選んでいる場合ではない。


「ぐっ、無詠唱はリスクがでかいが、やむを得んな_________『空間転移』!!」


 禁術『空間転移』。

 術式、理論ともに実証された魔法ながら、あまりに精緻かつ膨大な術式構築が必要な点から、「実戦使用は不可能」と結論付けられた大魔法。


 僅かでも構築を誤れば被害は計り知れないとことから禁術とされたそれを、魔導師としてただ一人扱うことを可能にした者がいる。


それが、エンデュミオン=クラウスフィアだ。


 二人の姿が消えた直後、廊下だった空間が膨れ上がり、轟音と共に風船のように炸裂する。


「ぜぇ、ぜぇ、座標指定破棄は賭けだったが、死なずには済んだか……!」


 孤児院を見下ろす丘の上、そこに二人は転移していた。

 苦しそうに肩で息をするエンデュミオンだったが、それは疲労に加えて、魔力の大量消費によるものだ。


「うぐっ、力が……はぁ、はぁ、げほっ」


 鬼の力を顕現させていたグラニカの身体も、同様に限界を迎えていた。

 直系とは言え、混血のグラニカにとってあれだけの出力を維持するのは命を削る行為に等しいのだ。

 立ち上がろうにも体に力が入らない様子で、膝をついたまま苦しげに胸をおさえている。


互いに、そこまでしなければ殺されていた。

 しかし、それほどの代償を払ってなお、事態は好転していない。


 満身創痍の二人の前方、そこに再び、邪悪な気配が現れた。


「くっ、追ってきたか……」


 エンデュミオンが憎々しげに睨み付けるが、そこには先ほどと同様に闇が広がるだけだった。


(やはり狙いは私とグラニカか、ならば最早、取るべき手段は一つしかあるまい)


 魔力は少なく、戦力的な差は圧倒的。

 この危機的状況に、それでもエンデュミオンには一つだけ切り札があった。


 だがそれは、命と引き換えの最後の手段だ。


(ふっ、死など今さら恐れるような物でもない。それに、時間稼ぎとは言え、魔王を道連れに出来るならば安い犠牲だ)


 エンデュミオンは、残りすべての魔力を杖に集中させる。


「グラニカ、悪く思うな」


「うぐっ、え、エンデュ、何を……する、つもり……?」


ただ短く、それだけ伝える。

気の利いた別れの挨拶など、用意していない。


目の前の闇が、再び魔力をみなぎらせていく。

 月明かりに照らされた影が蠢き、無数の影杭が一斉にエンデュミオンの体を貫かんと突進してきた。


「_______来るがいい、魔王の後継よ! 」


 啖呵を切り、エンデュミオンが両手を広げてそれを迎え撃つ。


「げほっ、だめ、ま、って、エンデュ……!」


 グラニカの制止に、振り返ることもしない。


 肉を引き裂く音と共に、無慈悲にも影杭が体を貫く。エンデュミオンの口から血が溢れ、傷口からも夥しい量の出血が滴っている。


 だが、それに怯むことなくエンデュミオンは杖から全魔力を解き放った。


「ぐ、げほっ、かかった、な……!!」


それは、先程と同様の転移魔法。

しかし、ただの空間転移ではない。


それは『時空転移』


 空間も時間も超越した大魔法だが、空間転移との大きな違いはただひとつ。


『時空転移』の先は、全宇宙の何処か。

 つまり転移したが最後、対象がこの世界に戻ることは二度とないのだ。


「エ、ンデュ、だめ……待って……やだ、エンデュミオン!! 」


 エンデュミオンと影を伸ばした邪悪な闇、その体が光に包まれるや否や、音もなく掻き消える。


 まるで、先程までの戦闘が嘘だったかのように、静まり返った夜の丘には、腕を虚空に伸ばしたグラニカだけが、ただ一人残されていた。





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