第10話 雑務、一宿一飯の恩を

 エンデュミオンは、なんとか孤児院の正門にまで辿り着いた。しかし、日暮れの庭園には、多くの職員が並んで訝しげにエンデュミオンを見詰めている。


 そのうちの一人、年配のシスターが意を決したように声をかけてきた。


「あの、行商のお方でしょうか」


 エンデュミオンが肩に担いだ大きな布袋は、土産にと市場で買い付けた大量のショコラが詰まっているのだが、確かに端から見れば行商人に見えないこともない。


「いや、私はグラニカ……院長のグラニカ=シオンに用があって来た。エンデュミオンが来たと伝えてくれないか」


 そう言うと、どうやらエンデュミオンの顔を思い出した者もいたようで、小さなどよめきが起こった。


「ただいま院長の許可が降りました。エンデュミオン殿、こちらへ」


 そうこうしている間に話が通ったようで、前に出た若い女性職員に先導されて、建物の中へと通される。ただ、その女性には見覚えがあった。


「貴様、教団の人間であろう? 見覚えのある顔だ」


「ふふ、覚えていていただけたとは、光栄です。今はここの職員をしてるんです。あ、その随分と甘い匂いのするお荷物は私がお持ちしますね」


 柔和な笑顔でそう答える女性だが、5年前には十代半ばといった様子で、今よりも余程苛烈な瞳をしていた覚えがある。

現に、エンデュミオンが最後に見たのは、迫り来る魔王軍の軍勢相手に果敢に斬りかかる姿だった。


「それは土産だ。ショコラとやらが入っている、適当にわけるがいい」


 エンデュミオンの言葉に、女性職員は「わあ!」と年相応の嬉しそうな表情を見せる。


 元暗殺教団の人間が解散後もグラニカを慕って孤児院で働いているというのは知っていたが、実際に見てみると、やはり違和感を感じるものだ。


(変われぬのは私だけ……か)


 そんなことを思っているうちに、目的の部屋に到着したらしい。


 院長室と書かれた扉を女性職員がノックすると、中からとても懐かしい響きの、少し上擦った声が聞こえてきた。


「ど、どうぞっ!」


 女性職員がドアノブに手を掛け、エンデュミオンに小さく耳打ちをする。


「頑張って下さい♪」


 一瞬、何を頑張れと言うのかと困惑したが、開いたドアの向こうを見た瞬間に、それは意識の外へと押し出された。



「え、エンデュ……ひ、久しぶり、です。」


「あ、ああ! 久しいなグラニカ、何だ、その、随分とめかし込んでいるが、連絡もなく急に訪ねたのは迷惑だっただろうか……?」


 エメラルドブルーのドレスの上に、夜を溶かしたような濃紺のヴェールを羽織り、薄くさした頬の朱色と鮮やかな口紅が相まって、グラニカの艶やかさを際立たせる。


 高貴な場に相応しいその姿に、普段あまり空気を読まないエンデュミオンですら気を使う有り様だ。


「連絡もせず、本当にすまない。これから来客があるのであれば、私などに構わずそちらをもてなしてくれ。私などはまた後日、改めて文を___」


「ちち、違うの! こ、これはっ、たまたま! たまたま今日はお洒落したくなって、だから大丈夫、です!」


 帰りかけるエンデュミオンの手を慌てて掴むグラニカだったが、エンデュミオンが振り替えると、顔を真っ赤にして手を離してしまう。


『グラニカ様、そこはいっそ抱き締めるとこですよー!』


『エンデュミオン殿も困惑はわかるけど、そこはもっとグラニカ様を誉めて!可愛いって!』


『ああ~やっぱ青春だなぁ~』


 いつからそこにいたのか、先程の女性職員に加えて、物陰からその様子を眺める元信徒達は思い思いに二人を応援していた。


 それも全ては主であるグラニカ様の為。決して、数年前の旅でも幾度となく見てきた二人の甘酸っぱいやりとりを楽しんでいるわけではない。


「ふふ、なんか懐かしい……本当に久しぶり。変わらないね、エンデュは」


「そう言うお前は随分とお淑やかになったじゃないか。少し驚いたぞ」


 エンデュミオンはエルフの血によって人間とは歳の取り方が違う。それは魔族の血が流れるグラニカも同様だ。


 故に、同じ時を生きていてもその感じ方は全く異なるのだった。


「そ、そっかな。嬉しい。あ、でもエンデュ、少しやつれたように見えるかも。大丈夫?」


 ここ二ヶ月以上の不摂生が祟ったのか、パラドンと同じ指摘をされてエンデュミオンは内心で苦笑するしかなかった。


「まあ、気にするな。近頃はあまり出歩くこともなくてな。おっと、そうだ、手土産と言う程のものでもないが、受け取ってくれ」


そう言って、肩にかけた鞄から大きな箱を手渡す。


「あっ、この匂い……ショコラだ。私が好きなの覚えててくれたんだね……嬉しい、ふふっ、ありがとう」


 グラニカのその笑顔が見られただけで、苦労して探した甲斐があったというものだ。

自身のチョイスに狂いがなかったことを、エンデュミオンは神に感謝した。


「あっ、ごめんね。私まだ仕事が残ってて。今日は泊まっていくよね? しばらく、院の中を見てて貰ってもいい?」


 元より急な訪問、それぐらいは想定のうちだ。エンデュミオンは快く頷く。


「すまないが、一晩世話になる。だからと言ってはなんだが、私に何か手伝えることがあったら、何でも言ってくれ」


 見たところ、シスター含む普通の職員は大半が女性で、教団上がりの男性職員もそう多くはないようだった。

何かしら、役立てることもあるだろう。


「本当? じゃあ、早速お言葉に甘えちゃおうかな……!」


どうやら、思った通り人手が足りないらしい。

目を輝かせたグラニカに引っ張られ、エンデュミオンは早速手伝いに駆り出されるのだった。


 玄関ホールから長い廊下を通り抜け、中庭から外へと回る。

そうして連れて行かれたのは、大量の丸太や木材が積み上げられた裏庭だった。


「これ、調理とか暖炉用の薪なんだけど、シスターさん達にやって貰うわけにもいかないし、私や部下達も手が回ってなくて……エンデュの魔法で、お願いできない?」


要するに、薪割りだ。

斧を振るうのであれば、そこらの男より余程自信のないエンデュミオンだが、魔法を使う前提ならば迷う余地もない。


「ふっ、任せるがいい。冬を越せるだけの薪を用意して見せよう!」


エンデュミオンは、杖を掲げて詠唱を始める。


『エンデュミオン=クラウスフィアが命ずる! 吹き荒れろ、"千刃の風ゼピュロス・ウィンド"!!』


 右手を振り下ろすと同時に、唸り声のような音を伴って、無数の見えざる風の刃が瞬く間に丸太に切れ込みを入れていく。


『続けて、エンデュミオン・クラウスフィアが命ずる!! 積み重なり並べ"敬虔なる聖者の列プレートル・セレモニア"!!』


ばきばきと小気味良い音を立てながら散らばる薪を、ほぼ均一な対象を文字通り整列させる魔法によってどんどん積み上げていく。


「すごく助かる、ありがと。じゃあ、私は書類仕事片付けちゃうから、何かあったらシスターさんか信徒、じゃなかった、職員に聞いてね」


グラニカはそう言って、建物内へと早足で戻っていった。

積み上げられた丸太はまだまだあり、しばらく退屈する心配は無さそうだ。


「フッ、久し振りだが、存分に力を振るう機会を得た。望み通り見せてやろう! 純粋な才能と技術のみが造る、真の_________大魔法セカイを」



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