第9話 はじめましての再会の日 side:グラニカ
何年前のことかは、もう思い出せない。
ただ、あの時の感情や、香り、そういった感覚だけは不思議と忘れることができなかった。
それは、多分________
「おい、混ざりモンのガキが当たり前に街中を歩いてんじゃねえよ」
その日は、母の為に薬を買いに行った帰りだった。
あの頃は、魔王が本格的に魔界大陸から外界へと侵攻を宣言した直後で、それまでは人間の中で普通に暮らしていたはずの魔族に対しての風当たりも、激しさを増していた。
魔族の男は、ただ道を歩いているだけで石を投げられるのは当たり前。酷い時には、路地裏に連れ込まれて殴られることもあった。
魔王の暴虐が大きく取り沙汰されるにつれて、次第に魔族の女子供にも謂れのない暴力や差別が及ぶようになるのだが、あれも、そのほんの一部だったのだと思う。
「前線じゃ、てめぇら魔族が散々人間を殺してるってのに、呑気に買い物だ? ふざけてんじゃねえぞ、クソガキが!」
「何黙ってんだぁ? おい、ちょっとこっち来いや」
ガラの悪い男が二人組で近寄ってきた時点で、一目散に逃げるべきだったのだ。
だが、その頃の私にはその勇気がなかった。
下手に逃げれば、後ろから蹴られるか、石を投げられるのが目に見えるから。
「やだ……やめて、やめて、ください……!」
路地裏に引き摺り込まれ、薬の袋を奪われる。
取り替えそうと腕を伸ばしたが、腰の辺りを蹴られて転んでしまう。
「チッ、んだよ薬か? シケてんなあ。おい、お前ら魔族は人間に喧嘩吹っ掛けてきてよぉ、迷惑被ってんだよこっちは。有り金全部、詫びに置いていけや」
「へへっ、それとももっと痛い目見てえか?」
そう言って、下卑た笑顔でこちらを見下ろす男たち。彼らは自分が戦場にいたわけでも、魔族が憎いわけでもない。ただ、鬱憤を晴らせる弱者が欲しいだけなのだ。私はそのおぞましい悪意に、ただただ震えるしかなかった。
怯えきった私は、お金で済むのならと財布に手を伸ばす。
しかし、それは悪手だったのかもしれない。
「へぇ……このガキ、よく見たら魔族の割になかなかの器量じゃねえか? 」
私の怯えきった様子が、彼等の嗜虐心に火をつけたのだろう。男たちは先程とは違う、まるで黒く滴る油のような粘ついた視線を私の体に這わせる。
次の瞬間には、私に覆い被さるように襲いかかってきた。路地裏とはいえ、白昼の市街地。しかし、わずかな目撃者すら、後難を恐れてか止めようとはしない。
「や、やだぁ!いやぁ、やめっ、むぐ!?」
助けを呼ぼうと叫ぶ前に口を抑え付けられ、後頭部から地面に叩きつけられる。
抵抗すれば殺される。そんな絶望感が涙と一緒に溢れ出した、その時。
「退け」
その抑揚のない声は、この事態にはあまりに似つかわしくなかった。
それでも涙で霞む目を必死に見開くと、私の上に跨がった男の背後に、フードを目深に被った一人の男が立っていた。
「ああん? テメェ、状況見てわかんねぇか? 俺らは取り込み中なんだよ、通りたきゃ他所回れや」
もう一人の男が、そう言ってフードの男の肩を突き飛ばす。
しかし、それでも男は少しよろめいただけで、再びこちらに向かって来た。
「退け、と言ったのが聞こえなかったのか。下等な虫が。盛るなら路上ではなく、そこらの草むらで存分にするがいい」
相変わらず抑揚のない声だったが、そこには先程と違って僅かな苛立ちがあった。
「あ? おいコラ、黙って聞いてりゃ誰が下等な虫だ? てめ、誰に喧嘩売ってっかわかってんのか? お?」
私の上に跨がっていた男も、降ろしかけたズボンから手を離して振り返る。それでも、私は体が硬直して動けなかった。
「つか、何んなもん被ってんだテメェ、脱げや!」
男の一人がメンチを切りながら詰め寄り、フードを無理やり跳ね上げる。
その下の顔を見て、男たちはもとより、私も一瞬息を飲んだ。
透き通るような金髪、蒼い瞳、通った鼻の上に怒りのシワを寄せ、二人の男を睨み付けている。
それは、居住地の森からほとんど姿を現さないとされる伝説の種族、エルフの特徴そのものだった。
「んだ、コイツ……!?」
エルフのような男が、一度舌打ちをして再びフードを被り直す。おそらくは、目立ってしまうその特徴を隠す為のものなのだろう。
「あ、お、俺聞いたことあるぜ、確か、この辺に最近、エルフと人間の混ざりモンがうろつい……げぁるぁああああああ!!熱い、熱づぁあああああああああああああああああああああ!?」
私は、またしても目を疑った。
今まで啖呵を切っていた男が、突然目の前で業火に包まれたのだ。
「う、うわぁああ!? て、テメェ何しやがったぁあああああ!? ぐぇぶぇっ……………!?」
もう一方の男は、詰め寄ろうとした直後に綺麗にくの字に曲がって10m程後ろの石壁に叩きつけられる。
それを誰がやったかなど、確かめるまでもない。
「 あづいぃあああああああ!!!水、水ぅううううああああああ、あづいぃぃあああああああああ!!!!」
魔法で編まれた炎は、いくら悶えようとも消えることはないのをその時初めて知った。詳しい原理を知ったのは、随分と後のことだったが。
その様子を酷く冷たい目で見下ろしながら、そのエルフの男性は一度指を鳴らす。
すると、炎は何事もなかったように一瞬で鎮火し、後には上半身が所々ぶすぶすと燻る男の姿があった。辛うじて胸が上下に動いているので、どうやら生きてはいるらしい。
「ぅ………あ…………み、水………………」
腕を伸ばす男を無視し、彼はこちらに向かってきた。
先程、男を見下ろしていたのと同じ視線が私に注がれるのがわかる。
右手を動かした彼に、私は反射的に目を瞑った。しかし、いつまで経っても殴られたり、体に火が着くことはなかった。
「………おい、何をしている」
私が恐る恐る目を開けると、彼はこちらに向かって手を差し伸べていた。
「立て。早くしろ」
苛立った様子でそう言う彼の手を慌てて掴むと、ぐいっと体を引き起こされる。
「なるほどな、貴様は魔族の……フン、どこまでも腐った生き物だな。人間という奴は」
僅かに髪の間から見えたらしい角で、魔族の血が入っていることがバレてしまったらしい。
私はつい癖で、手で角を隠すような素振りをする。しかし、それは彼にとって不愉快だったようだ。
「おい、私をこいつらと一緒にするな。忌々しいが、私とて似たようなもの……いや、貴様に語るような話でもないな。ほら、行け」
彼は私の手を離すと、何事も無かったかのように路地の奥へ向かって歩き出す。
途中、壁に叩きつけられた男が何かを呻きながら起き上がろうとしていたが、そちらにも一切目を向けない。
本当に、ただここを通りたかっただけなんだ。
私は、助けられた事実が善意によるものでなかったことに、むしろ驚いていた。
呆然としていた私のことすら無視して歩く彼の足が、がしゃりと音を立てる。
それを見た私は、思わず声をあげた。
「あっ、それは……!」
それは、先程石壁に叩きつけられた男に奪われた私の薬袋だった。中には薬瓶に入った薬が入っていたのだが、当然、全てぐしゃぐしゃに割れてしまっているだろう。
魔族と呼ばれる人種の中でも「鬼族」の生まれである母だが、数年前から猛威を振るっている流行り病にかかってしまい、この薬は、なけなしのお金で買った高価な特効薬であった。
戦時の不景気、さらに魔族に対する風当たりが強い中で、仕事を探すのは容易なことではない。
次に薬を買えるお金が貯まるまで、母が生きている保証はどこにもなかった。
「うっ、うぅぇ………ぐすっ、うぇ………っ」
最後の希望だった薬を失い、私はその場にへたり込んで泣き出してしまう。
あの男達に襲われなければ、いや、いっそ自分が魔族でなければ、こんなことにはならなかったのに。
そう思うと、悔しくて涙が止まらなかった。
きっと、彼はそんな私に視線を向けることなく行ってしまうだろう。
そう、思っていた。
「おい、泣くな。立てと言っただろ」
しかし、ぐしゃぐしゃに滲んだ視界の先にはまた彼がいた。先程の無表情とは少し違う、呆れたような奇妙な表情で。
「うぐっ……っ、薬………お母……さんの、ひぐっ、薬が、割れちゃった………うぇぇ………ひっ……」
嗚咽で回らない舌で、懸命にそう説明する。
彼は私の話をだまって聞いていたが、少し思案した後で、私の腕を掴んで立ち上がった。
「……ついてこい、薬の都合をつけてやる」
私がその言葉の意味が理解できるまで、普段の数倍の時間を要した。
それからは、どうやって彼の家にまで行ったのかあまり記憶がない。ずっと泣いていたこともあるし、無造作に捕まれた腕から伝わる彼の体温がとても心地よかったことだけが、強く印象に残ったせいかもしれない。
彼は、割れてしまった薬瓶の中に残った液を一舐めすると、神経質そうに材料を計量、調合して一時間程で二瓶の薬を作ってくれた。
「その病、聞く限りでは少し前に魔界大陸で流行っていた"壊皮病"の一種だろう。フン、しかしこの程度の粗雑な薬液でレゴール金貨3枚とはな。その薬屋には二度と行かんことだ」
そう言って、彼は薬を真新しい布袋に、ぼろ布と一緒に詰めて渡してきた。
「ああ、それと一瓶は貴様用だ。あれは確か、感染する病だろう。忘れずに飲んでおくことだ」
ぶっきらぼうにそう言う彼は、被りっぱなしだったフードに気付いたらしく、憎々しげにそれを脱ぎ去る。
その顔は、やはりとても美しかった。
ぼうっと眺めていたのを気付かれ、彼は不機嫌そうに口角を吊り上げる。
「はっ、珍しいか? まあ、貴様ら半魔族よりは確かに珍しかろうな」
でも、私は彼の姿よりも、ずっと気になっている疑問があった。
「……どうして、私を助けてくれた、の?」
「助けた、だと? 勘違いをするな」
人間の男に襲われた私を救い、あまつさえ薬まで渡しておきながら、助けたわけではないと言う彼は、表情を隠すように窓の外に視線を向ける。
「私は、たまたまあの道を通ろうとしただけだ。貴様を救ったのは偶然でしかない。薬にしても、あの虫ごと吹き飛ばしたのは私だしな。後から因縁をつけられては堪らん」
苛立たしげにそう捲し立てる彼だったが、私には何故か、それが照れ隠しのように思えた。
「用は済んだだろう。早く失せろ、二度と逢うことはあるまいが、次は下らん奴等に絡まれんよう周りをよく見ることだ」
彼は、そう言って私の背を押して家から出した。
私は、振り向き様に「あ、ありがとうございます!」と叫んだが、結局、彼はもうこちらを見ることもなく家の中へと姿を消していった。
その後、無事に家に辿り着いた私は、母に薬を飲ませて、言われた通りに自分でも一瓶口にした。
その薬は、吐き気がするほど不味かったが、数日のうちに母は回復し、私も病気が発症することはなかった。
今でも、あの時の彼の本心はわからない。
美しく、それでいてとても冷たい目をした、暖かな人。
彼のことは、それからずっと心のどこかに返しのついた棘のように刺さっていた。
「暗殺教団が頭目 グラニカ=シオン、貴殿らの覚悟、その命をもって測らせて貰う!!!」
だから、教団を率いて勇者一行の実力と真意を見定める為に襲撃をかけた時、本当に驚いた。
勇者セフィロの喉元を突き刺した筈の刃は、あの日見たままの彼の胸へと吸い込まれ行った。
幻覚かと思ったけど、それは本物で。
私は倒れていく彼を見て、あの日の何もできない子供に戻った気がした。
その後、聖女ファーリア様のお陰で彼はなんとか命を拾ったけれど、私のことは元より覚えていないみたいだった。
それなら、それでいい。
私はただの人殺しで、彼は偉大な大魔導師。
この想いは、無力な子供の淡い夢だから。
そう決意して、短刀を握り締める。
魔王を殺し、虐げられる無辜の魔族、そして人間が平和に暮らせる世界を取り戻す。
それが、あの日救ってもらった意味だと信じて、私は真っ直ぐに突き進む。
暗殺者グラニカ=シオン。
大魔導師エンデュミオン=クラウスフィア。
それは二人が出会った、はじましての再会の日。
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