第17話忍びの頭領

「あら。久しぶりねえ。元気だったかしら」


 メニシンシティの中心から東にある、建物や家屋が乱立して人目のつかない裏路地で、ラットとドクが周りを警戒しつつ歩いていると、唐突に後ろから聞き覚えのある女の声がした。彼らが振り向くと、そこには黒ずくめの女が立っていた。以前、ラットとスフィアをアイラから救った忍びである。


「おひさー、忍びちゃん。元気そうで何よりだね」


 気軽に声をかけるドクだったが、すぐに小太刀を抜けるように警戒は怠らない。もしもアイラに雇われて、自分たちを殺すように命じられていたら、手負いのホークを庇って戦うことになるからだ。かといって、過度な慎重さは良好な関係を築くのに妨げになる。だから軽い言葉を投げかけたのだ。


「そっちは元気じゃなさそうね。二人とも――傷を負っているわ」

「まあねえ。実を言うと、ホークは立っているのもつらいんだ。だから落ち着いて話せる場所に案内してもらえないかな?」


 何の遠慮もなしに自分の要求を言ったドクに目を丸くした彼女――目元も隠れているから傍目からは分からない――は頭領の指示通りに「ええ、案内するわよ」と快諾した。ラットとドクに近づいたと思ったら、地面に手をやった。そして埋まっていた何かを引っ張ると、二人の正面の地面が空き、階段らしきものが現れた。


「どういう理屈なんだろうね――うん? どうしたの、ホーク?」

「…………」

「さっきから黙って――顔色悪いけど、大丈夫?」


 ドクが肩に手を置くと、崩れ落ちるようにラットは倒れた。医者のスピアートがドクターストップと言っていたのは正しく、ここまで辿り着いた時点で、体力と気力の限界だったのだ。


「あーあ。ちょっと無理させちゃったかな?」

「……意外と冷静ね。死んじゃったらどうするの?」


 ラットを背負いながら、ドクは「何ふざけたこと言ってんの?」と逆に呆れた口調で女に言った。まるで雨が降ってきたら雨宿りすればいい、そんな風な言い方だった。


「この程度でくたばるくらいなら、俺がとっくに殺していた」

「…………」

「でもまあ、危ない気もするから、少しだけ急ごうかな。治療ぐらいしてくれるでしょ?」




『おい! ホーク! 大変だ、エリザがエスタに連れて行かれちまった!』


 ラットはそのとき、親友に落ち着けと言った。


『落ち着いていられるか! 俺は行くぞ!』


 オウルの後に続いて、ラットも行こうとしたが、運悪く彼らの主君、リース・トライアドに声をかけられた。断るのも無礼だったので、ラットだけ残った。

 彼は、あのとき一緒に行けば良かったと何度も後悔した。リースに無礼者と思われても、小大名への昇進を断られても、一緒に行くべきだった。

 たとえ、間に合わなくても――


『はあ、はあ……ホ、ホーク……エリザが……やっちまった……』


 そして、いつもの光景を見させられる。

 お帰りなさい。いつもの悪夢へ――そう嘲笑われている。

 抜け出せない。逃れられない。

 トラウマの糸に結ばれて、縛られて。

 深く、深く、闇の中へ――




 さて。ラットの意識朦朧としている頃、ドクは女に案内されて忍びの頭領と面会しようとしていた。何の壁飾りもない、コンクリが打ち付けてある淋しい部屋。奥には一段高い床に一脚の椅子がぽつんと置かれているだけ。出入り口は一箇所のみ。もしも出入り口を塞がれて、忍びたちに一斉に襲われでもしたら、いくらドクと言えどもひとたまりもない。


 そういう状況なのに、ドクは奥の椅子に正対するように用意された椅子に座って、横に立っている女の忍びと話していた。大した度胸だと女は思いながら、何でもない話に付き合っていた。内容はメニシンシティのあの店の料理が上手いとか、そんなくだらないこと。


「そういえばさ。さっきから思っていたんだけど」

「思っていたこと? なによそれ」


 どうせたいしたことのない、益体のないことだろうと油断していた女。ドクはさりげなく、それでいて何気ないような訊き方で女に訊ねる。


「スフィアちゃんと知り合いなの?」

「…………」


 思わず突かれた急所に女は息を飲んで言葉を失った。ドクは自分が核心に近いことを訊ねたとは思っていない。ただ、話していて女とスフィアに近しいものを感じたので、違和感を覚えたのだ。だから質問のとおり知り合い程度だとばかり思っていた。


「うん? どうなの?」

「……質問の意図が分からないのだけど」


 女の取り繕った返しに、ドクはおかしいなと思った。もしも心当たりがなければ否定する。しかし彼女はわざわざ質問の意図を訊ねた。ドクにしてみれば意図などないのだけど、その返しが不審だったので、逆に興味をそそられた。


「いや。単純に似ていると思ったから。意図なんてないよ」

「…………」

「ま、生きていれば、いろいろあるよね」


 敢えて曖昧な言い方で終わらせたのは、ドクなりの気遣いでもあった。アイラからラットを守ってくれたことや、果たし状を届けてくれたことを、少なからず感謝していた。だから彼女に自分は何も分かっていないことを示すため、そして誰にも言う気はないと暗に教えるためだった。


「――あなたは」

「すまない。待たせてしまったようだ」


 彼女が何かを言う前に、背後の出入り口から中に入ってきたのは、忍びの頭領だった。彼は覆面をせず、灰色の服に白い髪と顎ひげ、そして鋭い眼光を持つ六十くらいの老人だった。しかし杖などは突いておらず、背筋を真っ直ぐにして椅子へと歩いていた。


 ドクはその動きを見て感心した。その歳にしてはかなり鍛えているし、固い床なのに足音が一つもしなかった。普通、どんなにゆっくり歩いてもかすかな音はする。ましてやコンクリの部屋は音が反響しやすい。


 老人は椅子の腰掛けると「ようこそ、ドク・クレイム殿」と挨拶をした。ドクが会釈したのを見てから自分の名を名乗る。


「私はハンゾウという。しかし私本来の名ではない」

「うん? 偽名ってことかな?」

「いや、名跡と言うべきか。ハンゾウは代々、忍びの頭領に継がれる名前だ」


 初耳だったドクは「へえ。それは知らなかったなあ」と素直に感想を述べた。そして挨拶もそこそこに本題を切り出した。


「俺たちがここに来た理由、分かっているでしょ?」

「ああ。依頼に来たのだろう? ローゲン家の居城、タンガ城へ潜入するために」

「話が早くて助かるよ、ハンゾウ」

「その依頼は引き受けてもいい――対価を支払えば」


 ドクは「対価? どのくらい支払えばいいの?」とまるで気の置けない友人のように忍びの頭領に訊ねた。その気安い態度と言葉に、ハンゾウは思わず笑ってしまった。目の前の男には恐怖はないのか? そもそも計算もしていないように見える。


「半分、だ」

「半分?」

「将軍家の埋蔵金――その半分、いただきたい」


 傍らにいた女は、見た目には動揺しなかったが、心の中ではとんでもないものを吹っかけるなと内心冷や冷やしていた。将軍家の埋蔵金の半分があれば、どんなこともできそうだ。事実、見つけた者が将軍となれるのだから。


「流石情報通だね。よく知っているなあ……いいよ。半分あげる」


 何の迷いも躊躇もなく応じたドクに女は度肝を抜かれた。ハンゾウも意外だったので「いいのか?」と問い質す。とても本気とは思えなかったからだ。


「もしも、俺かホークが埋蔵金を手に入れたら、半分あげるよ。何なら誓約書を書いてもいい」

「…………」

「なんだよ。条件言ったのは、そっちだろう?」


 何故か不機嫌になって口を尖らせたドクにハンゾウは「こちらとしては、様々な交渉を考えていたのだが」と笑うしかないように苦笑した。


「別に金なんてどうでもいいし。ホークだって要らないでしょ。あ、もしかしたらあいつ、埋蔵金捨てるか処分するかも。それはもったいないな……その場合は全額あげるよ」

「冗談で言っているのか?」

「まさか。俺もホークも将軍なんて興味ないよ。あ、でも、そっちもリスク負ってほしいかも」


 リスクという言葉に、ハンゾウは怪訝な顔で「どんなリスクだ?」と注意深く訊ねた。ドクは「無駄働きになるリスクだよ」と笑顔で言った。


「もしも俺やホークが死んだりして、埋蔵金が俺たち二人の手に入らなかったら、対価は取らない」

「…………」

「無い袖は振れないからね」


 ハンゾウはしばし考えて「このような賭け事は好かぬが……」と呟いた。


「まあいいだろう。それでいい」

「交渉成立だね」


 ドクはその場で誓約書を書き、血判も押した。ハンゾウが誓約書を確認した後に「ホークを何とかできるかな?」とドクは言い出した。


「身体を動かせるようにする、という意味なら強力な秘伝薬がある。しかし副作用で効果が切れたらしばらく寝たきりの生活になる」

「それでいいよ。さっそく投与してあげて」


 ラットの承諾を得ずにとんでもないことを言い出すドクに女は呆れながら「あなた、彼と戦いたくないの?」と言う。ドクは「死なないのなら大丈夫だよ」と笑った。


「それに五年間待ったんだ。少し待つぐらい、どうってことないよ」


 はたして個室に寝かされていたラットの身体に薬が投与され、彼の意識はたちまち戻った。そしてドクから交渉の経緯を聞いたラットは「俺も埋蔵金の処遇についてはそれで構わない」と答えた。


「それよりも、早くタンガ城に行こう。薬の効果が切れる前に」

「そうだね。ああ、案内役は彼女にしてもらうから」


 そう言って指差した先には、例の女忍びがいた。覆面を被っているので表情は窺えないが「あなたも無欲ね……」という声からどうやら呆れているようだった。


「お前の名、聞いていなかったな」

「……本来なら名乗らないんだけどね」


 そう前置きしてから、女はラットとドクに自身の名を告げた。


「サファイア。それが私の名前。よろしくね」




 その頃、タンガ城の地下牢では――


「はあ、はあ、はあ……」


 傷だらけの少年。手を枷で吊られていて、寝ることも許されない姿で、牢屋につながれていた。


「……今日も、酷くやられているわね」


 真向かいの牢屋には同じ体勢の少女――スフィアがいた。


「…………」

「無理して喋らなくていいわよ」


 二人は自らの秘密を知られないために、拷問に耐えていた。

 しかし、耐えても助かる希望は、薄かった――

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