第16話渦巻く陰謀
ローゲン家の居城、タンガ城。最上階に位置する部屋への廊下を歩く、一人の男――アゴン・ローゲン。部屋の前に着くと、ノックしてから中に入った。
「父上。ただいま参りました」
「おお。アゴンか。そこに座れ」
巨漢の父親、アイラ・ローゲンに促され、アゴンは黒鞘の刀を脇に置いて、椅子に座った。正面でアイラは焼かれた牛肉の塊を手づかみで豪快に食べていた。お付きの者がアゴンのグラスに貴腐ワインを注ぐ。それを優雅に持って口付けるアゴン。甘い匂いと味が口一杯に広がった。
「酒の味、分かるようになったか?」
「父上に鍛えられましたから。でも、私は甘い酒のほうが好みです」
「ふん。母親似は相変わらずか」
アイラはお猪口の日本酒を一気に飲み干して「それで、お前をここに呼び出したのは、他でもない」と話し始めた。アゴンは背筋を正して、グラスをテーブルに置いた。父の話を聞く体勢になった息子を満足そうに見つめるアイラ。
「あのガキ、まだ白状しやがらねえ。よくもまあ、耐えられるもんだ」
「流石、イースン家の跡継ぎですね。根性があります」
「だから、スパイディ家の娘から責める。明日、気絶したガキが目覚めたら尋問を始める」
「それに同席しろと? あまり見たくないですね」
溜息をつく息子にアイラは「血が苦手というわけでもないだろう」とお付きの者に目線をやる。心得たようにその者は酒をお猪口に注いだ。アイラは「ローゲン家が将軍になるためだ」と念のために言い聞かせた。
「埋蔵金を手に入れたら、わしとお前の天下。それまでは汚いこともやる」
「……天下、ですか。私はそれに興味はありません」
「はん。ドクの馬鹿たれに影響されたか」
そればかりは度し難いと言わんばかりにアイラは吐き捨てた。アゴンは露骨に嫌な顔をした。彼は父親を尊敬していて、基本的に言うことは従うが、ドクの悪口になると我慢ならなかった。グラン事件以来、彼にとってドクは――父親以上に憧れの人物だったからだ。
「そこはまあ、後で話すとして――それだけが理由ではないでしょう?」
「ああ。ホークとドクがとある診療所にいるらしい」
ホークの名を聞いてアゴンは確か、ドクが執着している伝説の男だったなと思った。何度もドクから思い出話を聞いていたので覚えていたのだ。彼曰く、いずれ超えるべき男であり、殺すべき相手――ホーク・ハルバード。
「ドクはともかく、ホークは邪魔だ。だから二十名ほど向かわせた」
「……たった二十名で大丈夫ですか?」
思わず父親の命令を否定してしまったアゴン。それもそのはず、聞いた限りのホークの実力とずっと見続けたドクの実力を考えたら、二十人では足りなすぎる。アイラは酒を飲みつつ「大丈夫だろう」と楽観的に答えた。
「あいつら一人でも、二十人くらいは圧倒できるが、狙うのは瀕死のホーク。忍びの報告によれば、刀すら握れないほど重症らしい」
「……ドクさんがホークを守ったら、どうします?」
ドクの性格を考えればありえない話ではないとアゴンは断じた。再戦の約束で協力することもありえる。そうでなくとも自発的に守りそうな気もする。それを彼は父親に言ったのだが、アイラは「ああ、その可能性もあるな」とどうでも良さそうに言った。
「……誰を向かわせたんですか?」
「家老のサムだ」
「なんだ。体の良い処分じゃないですか」
家老のサムは小大名でもあり、ローゲン家の傘下だがアイラの『これからやること』に反対し続けていた男だった。古参の家ゆえ、アイラ自身処分に困っていたとアゴンは記憶していた。
「お前に、一つ教えてやる」
「なんでしょうか」
アイラは立ち上がりアゴンの傍に近寄って、後ろから両肩に手を置いた。そして耳元で囁く。内容はともかく、その姿は愛おしい息子に教えを授ける父親そのものだった。
「ローゲン家が将軍になることは確実だ。だから次に考えることは、奪った権力を握り締める方法を考えることだ」
「…………」
「足元をすくわれるのは間抜け。そう思わないか?」
アゴンはテーブルに置かれたグラスを取って、ゆっくりと飲み干して、後ろの父親に優等生らしい回答を述べた。
「ええ。父上のおっしゃること、やっていることに間違いはありません」
そのとき、部屋の外から報告に来た者がいた。アイラが内容を聞くと、家老のサム率いる二十人の武士たちが敗北したと、その者は告げた――
「ふう。割と時間かかったなあ……やっぱりなまってるのかな……」
「ひいいいいい!? ありえないぃいいいいい!?
まるでぼうふらのように痩せぎすな老境の武士――サム・ロマは目の前の現実が信じられずに、尻餅を突いてしまった。自らの家臣団の中でも、腕利きの精鋭を用意して、万全の状態で臨んだ、確実に勝てるはずの戦いだった。しかし目の前に広がるのは――味方が全員倒されている光景だった。
行なった当人であるドクは不満げな様子で「息は切れていないけど、疲れてはいるなあ」と自分にがっかりしている。サムのことなど目に入っていないようだった。それを見て、サムはこっそりと逃げようとして――
「……確か、ロマ家のサムだったな」
「そうです兄貴。ローゲン家の家老で小大名です」
ダニエルに支えられながらなんとか立っているラットが目の前にいた。つまり、逃げ道を封じられた形になっている。サムは「た、頼む! 命だけは……!」と命乞いをし始めた。ラットは「スフィアを知っているな?」と半ば無視して訊ねた。
「あ、ああ! 知っている!」
「どこにいる?」
「タンガ城だ! わ、私は、反対したが――ぎゃ!?」
隙を見て逃げ出そうとしたサムの脚にドクが小太刀を投げつけて、動きを封じる。痛みに喘ぐサムに「詳しい話は診療所で聞こうよ」とドクが近寄る。
「サムのおっさんは古参だからって調子に乗って、アイラの殿さまに意見しまくってた。だから煙たがられて、命じられたんでしょ? ホークの殺害を」
「う、うううう……」
「アイラの殿さまはきっと簡単な仕事だって嘘言ったんだね」
次々言われる指摘は図星らしく、サムは何も言えなかった。ラットは「スフィアはタンガ城のどこにいる?」と強く訊ねた。ダニエルは昔の兄貴みたいだなと思った。大切なものを守るときはいつでも真剣だった。
「そ、それは、タンガ城の――」
答えようとしたとき、サムの頭が大きく左右に揺れた。ラットは素早く「ダニエル、伏せろ!」と命じた。彼は慌ててラットを守るように身を伏せた。ドクも姿勢を低くして、どこから攻撃を受けても対処できるようにした。
しかし時間が経っても誰も来ず、何も起こらなかった。ラットは舌打ちして「逃げたのか……」と零した。ダニエルは恐る恐る、サムを見た――左側頭部に矢が突き刺さっていた。
「口封じ……いや、要らないものを処分したって感じだね」
「そ、そんな……古参の小大名を……」
「ダニーぼうや。そんなに震えるなよ」
ドクはサムから矢を引き抜き、開けっ放しの目を閉じてやった。それから両目を瞑って十字を切り、冥福を祈った後、ラットに「時間はないようだね」と告げた。
「その身体でアイラの殿さまに挑むのは無茶だと思うけど、行くんでしょ?」
「ああ。そうだな」
当然のように即答したラットに、ダニエルはなんと言えば良いのか、分からなかった。言っても聞かない人だと分かっていた。言葉が見つからなかった。止めたい気持ちはあるのに、言葉にできない自分が情けなかった。
「本当にお人よしなところは変わらないねえ。それとも罪滅ぼしのつもりかな?」
「…………」
「まあいいや。それじゃ、行こうか」
当然のようにドクが告げる。ラットは頷いて、支えてくれたダニエルから離れて、刀を杖代わりに歩き出す。そこでダニエルはようやく、自分の兄貴分に言葉を投げかけられた。
「――兄貴!」
「なんだ、ダニエル?」
「……今度、兄貴の好きな濁り酒、ご馳走しますよ」
ラットはじっと弟分の真っ直ぐな目と表情を見つめた。ダニエルはにかっと笑って言葉を続けた。
「死ぬほど美味しいから、死ぬまで飲めると思います。だから――死なないでください!」
頭を深く下げるダニエル。その姿に何か熱いものを感じたラットは「ああ。死ぬ気で生き残る」と昔の彼らしく笑顔で返した。
「そのときは、お前も一緒に飲もう。昔話を肴にしてな」
「――はい!」
「頭領。小大名のサム・ロマの始末、終わりました」
「ご苦労だった」
メニシンシティの地下深く。誰も知らぬような街の最深部にて、椅子に座った頭領と呼ばれた男は弓矢を携えて、跪いている忍びを労った。その忍びは集団の中でも飛びぬけて弓矢の扱いが上手かった。だからこそ、頭領の命令に疑問があった。
「何故、ホークやドクを殺すように命じなかったのですか?」
「…………」
「俺の腕ならば、二人とも殺せました」
頭領は深く息を吐き、それから忍びの疑問に「三つ、理由がある」と静かに答えた。忍びは黙って次の言葉を待った。
「一つは、いくらお前と言えども、警戒した二人を殺すことはできぬ」
「……それは、どういう意味でしょうか?」
過小評価されたと憤る忍びに「そのままの意味だ」と冷たく答える頭領。
「二つ目は、ローゲン家の依頼に、殺しは含まれていなかったからだ。依頼以上の仕事は安売りになる」
「…………」
「そして、三つ目」
頭領は笑みを見せた――酷薄な笑み。冷たく濁った表情。本当に人が微笑んでいるのかと思いこんでしまうような、底冷えしてしまう顔。訓練を受けた忍びでさえ、身を竦んでしまった。
「私は必ず、勝つ者にしか味方にならん」
「……あの二人には、まだ勝機があると?」
疑っている忍びに頭領は軽く頷いて、さらに予言するかのように、断言した。
「私の見立てだと、可能性はある。だから、こちらへ向かっている二人を丁重に案内せよ」
忍びは跪いたまま「かしこまりました」と承った。
「誰に案内させますか?」
「決まっている。彼らの顔馴染みである、私の娘にだ――」
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