第12話兄弟の再会

 深くて暗い、夜のこと。

 トライアド家の居城、ミツバ城の一室。


『はあ、はあ……ホ、ホーク……エリザが……やっちまった……』


 ラットの眼前には、喉を刺され、死体と化したエスタ・スパイディ。血塗れで凶器を震えた両手で握り締めるオウル。そして裸に剥かれた気絶しているエリザ。

 これは夢だと、ラットは分かっていた。過去の光景が夢に出ているのだと。あの日以来、何度も何度も見続けた悪夢――人生最悪の出来事。


『オウル。エリザを連れて逃げろ』


 自分の口から出た台詞。何度も何度も繰り返した台詞。その度に、顔を苦痛で歪ませるオウル。


『馬鹿なこと、言うなよ。お前こそ、エリザと逃げろ――』

『エリザには、お前が必要だ。兄貴だろうが』

『それを言ったら、お前は婚約者だろ!』


 ラットはエリザに自分の上着を着せて、震えが止まらないオウルに差し出す。


『たった二人の家族じゃねえか。頼むぜ、兄弟』

『ホーク……すまねえ!』


 オウルはエリザを抱きかかえると、急いで部屋から出ていく。

 ラットは自分が何をするのか、分かっていた。

 エスタ・スパイディの首を斬るのだ――


 もしも、過去に戻れたとして。

 自分は同じ行動を取るだろうか。

 必ず取るに決まっている。

 馬鹿は死んでも治らないと彼は思いこんでいたからだ――




 目を覚ますと既に日が暮れかかっていた。ミツバ城近くの森の小屋――以前は豊かな森の監視のための施設だった――で休んでいたラットは、久しぶりに悪夢を見た。そのせいか寝起きが良くなかった。


 背伸びをしようとして、肩に激痛が走り、顔をしかめる。そういえばドクに斬られていたなと思い出しつつ傷口を見る。化膿止めを塗っていたので、膿んではいない。しかし通常通り刀を振れるかと言えば微妙だ。


 もちろん、オウルと会うことが目的で、戦いに行くわけではない。しかし噂やダニエルの話のように変わってしまった――変わり果ててしまったオウルとは戦うだろうと心では覚悟していた。今から兄弟分で親友だった男に会うにしては物騒だったが、その覚悟を決めなければならぬと予感していた。


 諸々の準備を終えて小屋から出ると、黄昏が紫の帳で閉ざされようとしていた。真っ赤に映える夕陽は最後の抵抗をしている。それがなんとも美しかった。


「……行くか」


 誰に言うまでも無く、ラットはからんころんと下駄を鳴らしながら、ミツバ城へと歩み出す。目と鼻の距離だったので、数分で着く。あの間、オウルの家臣たちの襲撃があるかもしれないと思っていたが、まったくもって杞憂に終わった。


 ミツバ城の城門前。そこに一人の男がいた。見知らぬ顔の茶髪の男。だいぶ若くて物凄い美男子だった。黄緑と山吹色の和服にシンプルな黒鞘の刀を差している。歳は十五、六だな、十七ではないだろうとラットはぼんやり思った。


「ようこそお越しくださりました、ホーク様」


 声変わりしてないとも思える高い声。自然に頭をたれる仕草も相まって上品さを感じる。ラットは「お前は何者だ?」と男に問う。


「私はアクス家のランマと申します。こたび、殿から案内役を任じられました」

「……そうか」

「殿は廃城の最上階でお待ちです」


 ラットは「さっそく案内してくれ」とランマに促した。ランマは城門を開けて、ラットを中へと誘った。ところどころ廃れているが、昔見た城と構造は変わりないなと彼は思った。


 二人は黙って廃城を進む。ランマは足元を行灯で照らしながら、丁寧に先導する。ラットはランマにオウルのことを聞こうか考えたが、何を聞いても自分の目で確かめるしかないと思い直し、沈黙を貫いた。


「ここに、殿がおります」


 階段を上り、廊下をしばらく歩いて、目的の扉の前で止まる。ラットは黙って扉に手をかけた。


「私はこれにて。失礼します」

「ああ、ご苦労だった」


 ラットが扉を開けようとする前にランマは「私には兄弟分がいないので分かりませんが」と制するように静かな声で言う。表情一つ変えない不動の姿からは何の意図も見出せない。


「どんな気分ですか? 久しぶりに会おうとするのは」

「……俺にも分からねえよ」


 短く答えて、躊躇することなく、ラットは部屋に入った。




 トライアド家の当主、リース――つまりラットの主君であった男の私室。しかし家具のほとんどは持ち去ってしまったらしく、奥に椅子とテーブルしか残されていなかった。床も誇りとゴミだらけで、かつての栄光が過ぎ去ってしまったとラットは実感させられた。


 その奥の椅子には一人の男が座っていた。男はテーブルに置かれた酒瓶から酒をコップに注ぎ、ラットを見ながら口を潤す。ラットはその男を見て息を飲んだ。


「お前、オウルなのか……?」

「久しぶりだな、ホーク」


 男――オウルは椅子から立ち上がることなく応じた。彼は黒地に水色の刺繍を施した和服を着ていた。背中にはアクス家の家紋が描かれている。短く切りそろえた銀髪。誰もが認める男前で、先ほどのランマが良い歳の取り方をしたら、こうなるであろうと予想される、魅力的な顔。しかし女を魅了できるが男からは畏怖されるような面相をしている。強いてたとえるのなら、地獄の罪人のような悪が滲み出ていた。五年前とはまったく様子が異なるとラットは感じた。


「いつまでもそんなところに立っているなよ。早く座れ」

「……ああ」


 ラットは扉の手前の椅子を引いて、刀をテーブルに立てかけて、オウルの正面に座った。そして置かれたコップにオウルが清酒を注ぐのを黙って見つめる。


「五年と半年振りだ。お前に酒を注ぐのは」

「そうだな。お前から酒を奢ってもらうのも、そのぐらいか」


 ラットは清酒を口に含んで飲む。辛さが舌だけではなく喉にまで伝わった。満足そうにその様子を見たオウルは「さっそくだが」と話を切り出した。


「お前が戻ってきた理由を教えてくれ」

「……武士の誇りを取り戻すためだ」


 ラットの答えに苦笑しつつ、オウルは「そんなくだらねえもんのために、命を懸けるのか?」とコップを置いた。よく見るとテーブルに彼の得物である長刀『麒麟』が立てかけていた。


「本当に、お前は変わらない……いや、変わったな。今のお前は折れた刀に見えるよ」

「お前もすっかり変わり果てたな。錆びついてるぜ」


 皮肉ではなく、思ったことを思ったまま言ったラットに「そうだな」と同意したオウル。手を組んで少し言葉を溜めた。


「……俺は将軍になりたい。そのための協力をしろ」

「…………」

「将軍になったら、お前の追放処分を取り消してやる。メニシンシティで大手を振って暮らせるぞ」


 ラットはオウルを見据えながら「どうして将軍になりたい?」とやや失望が混じった声で訊ねた。


「お前は、将軍を望むような野心なんて、なかったはずだ」

「人間、五年も経てば変わるもんだ」

「変わった? その結果が主家を断絶させることか? 主君や将軍を殺すことか?」


 オウルは微笑を浮かべながら「将軍を殺したのは、俺じゃねえ」とそれだけは違うとばかりに、首を振って否定した。


「じゃあ誰が殺した?」

「知らねえよ。だけど、チャンスだと思った。俺の前からホークという伝説の男が消えたときと同じ、チャンスが来たってな」


 ラットは懐から煙草を取り出して、口に銜えて火を点けた。紫煙が部屋に広がる。そしてかつての兄弟分に訊ねた。


「俺のことが、邪魔だったのか?」

「今となっては分からねえ。少なくともかけがえのない、背中を預けられる存在だったよ。でもな、お前がいなくなってから、俺はとんとん拍子に出世した。それが事実だ」


 オウルも同じように煙草を吸い始めた。彼らは互いに落ち着く必要があった。

 しばらく黙り込んだ後、オウルは「そういえば、スパイディ家の生き残りがいるらしいな」と切り出した。


「その娘、どこにいる?」

「……お前が知らないわけ、ないだろう?」


 ラットはあの忍びの雇い主がオウルであると忍び本人から明かされていたので、自然とそう言った聞き方になってしまった。それに不思議に思ったこともある。どうしてスフィアの話題になったのか。いくらここがスフィアの父が死んだ現場だとしても、いきなり出るのはおかしい。


「ふん、そうか。やはり忍びは信用できねえな」


 煙草をテーブルで消すオウル。人相が悪人そのものになっている。本当に悪い顔になったなとラットは感じた。そして自分もそうなんだろうなとも。


「ホーク。もし、お前が協力してくれるって言うなら、娘を俺の元に連れて来い」

「……何故だ?」

「今は言えねえ……いや、これだけは言っておく」


 オウルはラットに向かって、スフィアを捕らえる理由を断片的に伝えた。


「あの娘の抱えている秘密を暴けば、莫大な富が手に入る」

「莫大な、富?」

「それを掴めば、将軍になれる」


 スフィアの秘密? 莫大な富? 掴めば将軍になれる?

 曖昧で抽象的な言い方だった。だが、半年ほど行動を共にしたラットも心当たりがなかった。もちろん、自分とオウルを殺したい理由は隠していたが、それ以外の隠し事はまるで分からない。そんな素振りも見せなかった。


「なあ。ホーク。俺とお前が組めば最強だ。アイラのじじいも目じゃねえ」

「…………」

「俺と一緒に、頂点に立とうぜ」


 ラットはオウルのようにテーブルで煙草を消した。そして「オウル。どうしてあのことを言わない?」と問い詰めた。


「あのこと? なんだ? リースを殺したことか?」

「それもあるが、エリザのことを何故言わないんだ」


 エリザと聞いてオウルは無表情になった。先ほどの熱心な勧誘がなかったかのように冷え切ってしまった。


「昔のお前なら、開口一番に言ったはずだ。どうして言わない? エリザは、どうした?」

「エリザは……妹は――」


 オウルは感情を込めずにあっさりと言った。


「――死んだよ。俺が殺した」


 その瞬間、ラットは立ち上がり、オウルを思いっきり殴った。椅子ごと倒れるオウル。テーブルもその勢いで倒れ、高級品の清酒の酒瓶とコップが割れて中身が飛び散った。


「なんでだ……命がけで守るって言ってただろうが!」

「うるせえ! 仕方なかったんだよ!」


 オウルは唇を切ったらしく、袖で血を拭いながら「お前に言う権利があるのか?」とオウルは挑戦的な目でラットに言う。


「いなくなっちまったお前が、俺を責められるのかよ!」

「……どういう意味だ?」


 それには答えず、オウルは床に落ちた得物を取った。ラットも素早く拾う。オウルは立ち上がって「最後に訊くぞ、ホーク」と言う。


「俺に協力して、栄光を掴むのか。俺に逆らって、惨めに死ぬのか。選べ!」

「昔のお前だったら、協力してやったよ」


 ラットは腰に刀を差した。話はもう終わりだった。オウルもそのつもりらしい。


「だがもう無理だ。変わり果てちまったお前には、手は貸せない」

「そうか。そうだよな……!」


 オウルは長刀『麒麟』を抜刀してラットに突きつけた。

 そして殺意を込めた目で睨みつける。


「もう時は戻せないんだよ……ホーク!」

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